母と子

 ジェイコブが拾われてから、特別な事もなく七年間が過ぎ、ジェイコブは七歳となった。

 当然その間、母のハンナは、我が子ではないジェイコブを、我が子のように愛し続けた。


 この頃になると、ジェイコブは一人で家の外に出るようになった。

 何故一人で外に出るのかと言えば、母のハンナは仕事上、昼過ぎまで起きてこないし、ジェイコブは女達の嬌声が聞こえていても、夜にはぐっすりと眠れるようになっていて、母よりも早く起きるようになっていたからでもある。

 

 そして、ジェイコブと母であるハンナが住んでいる場所は、ドリームヒルストリートという名前の一角であり、それは当然スラム街の一角ではある。

 しかし、娼婦が客を連れ込む都合上、ジェイコブ達が住んでいる場所は、スラム街の中でも、普通の通りに近い位置ではあったし、治安も良くはないが、悪いという程もなかった。

 それでも、母のハンナが心配するので、ジェイコブは家の近くから離れることはなかった。


 ジェイコブのお気に入りの場所は、家の傍の木の下である。

 そこで、母が生活を切り詰めて買ってくれた本を読むのが、ジェイコブの日課だった。


「やだ、あの子。またあそこにいるわよ」

「おお、気味が悪い」

「ハンナだって頭がおかしいしねぇ。早く出て行ってくれないかねえ」


 最初の頃は、優しい娼婦がジェイコブに話しかけてくることはあった。

 だが、ジェイコブはハンナ以外には心を開かず、喋りもしなかった。

 死んだ息子の代わりに拾って来たジェイコブを、我が子として扱うハンナも不気味がられ、二人は腫れ物のように扱われていた。


 だが、ジェイコブはそんなことは気にせずに、一人で本を読み続けていたし、


「おはよう、ジェイコブ」


 母のハンナも、ジェイコブの事しか頭にないのだった。


「おはよう、母さん」

「相変わらず本が好きね。また新しいのを買って来るわね」

「いいよ」


 ジェイコブは短くそれだけ答える。

 お金がないから、という意味だが、そこまでは言わなかった。


「ふふっ、子供が遠慮しないの」


 ハンナはそれだけ言って、ジェイコブの隣に座る。

 そんな、いつもの平和な日常だった。


 だが、平和な日常と言うのは、このスラム街では長くは続かないのだ。


 大柄な男が二人、ハンナとジェイコブへと近づいてくる。


「おいおい!随分ガキが大きくなったな、ハンナよ?」


 男達は互いに大柄だが、片方は痩せていて、片方は太っていた。

 二人とも、ここいら一帯を仕切るギャング団の一員で、集金を担う男達だった。


「何の用ですか?今月の分は支払いましたよね?」


 この二人が金を持って行くせいで、ハンナだけでなく、娼婦達全員が貧乏なのだが、ここいら一帯は全てこいつらギャングのものなので、仕方がないのである。


「母は強しってやつか?前はもっと大人しかったじゃねえかよ?用なんてねえよ、ただこんなところでガキがいたら浮いてるから話しかけてやろうかとも思うじゃねえか」


 痩せた男の方が、ジェイコブを触ろうとすると、ハンナは立ち上がって割って入った。


「お願いです。何でもしますから」


 ハンナは男に体をすり寄らせたが、男はそれを押し返した。


「近寄るんじゃねえよ。こんなところの娼婦なんて、どんな病気を持ってるかわかったもんじゃねえからな」


 酷い言われようだが、ハンナは言い返したりはしないし、ジェイコブもずっと黙っていた。

 それが一番、波風が立たない方法だと知っているから。


「別になにしようっていうわけじゃあねえよ。ただ思い出してよ。家賃の取り立てしてなかったなってよ」

「そんな!今月分は払いましたよね」

「ああ、そうだ。一人分はな。でも、二人いるじゃねえか」


 男たちがジェイコブを見る。

 今までそんなことは言われたことなかったし、当然、家賃に一人分も二人分もない。

 男たちはただ、自分達の小遣いをせびりに来ただけなのだ。

 

「はい、わかりました……」


 しかし、ハンナには拒否する事など出来ない。

 ここを追われて、行くところなどないのだから。

 ハンナは家に戻ると、すぐに少量の金を持って戻って来た。

 その金を男達は奪い取る。


「ちっ!しけてんな。まあいいか」


 痩せた男はその金を懐にしまう。


「おいおい、そんな顔すんなよ。まるで無理矢理奪ったみたいじゃないか」


 それは間違いなく奪ったとしか言いようがないのだが、ハンナにはそんなことを言う事は出来ない。


「代わりにこれやるよ」


 そう言って、太った男がポケットに入っていたガムを地面に投げた。

 当然、少額とはいえ、男達に渡した金は、ガム等では補えない金額であった。


「じゃあな。来月もよろしく頼むわ」


 そう言って、男達は去っていった。

 

「ごめんね。本は少し待ってね」


 母のハンナは、悲しそうな顔でジェイコブの頭を撫でた。

 その表情を見ると、ジェイコブもまた、とても悲しくなってしまうのだった。


 そして、それからも、そんな貧しい日々は続いた。

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