第36話 熱中症
夏とはいえ、伯爵の屋敷の庭には多くの花が咲いていた。
「これはえーと、」
「パノキカトから取り寄せたものです」
「へえ」
言おうと思ってたのにと怒る三男に対し、会話に割り込んだにも関わらずなにも感じていなさそうな平坦なままの次男、そして苦笑しながら雑談を交える長男と個性が違いすぎて楽しい。暑いけど癒される。
「先日シコフォーナクセーに行かれたと伺いました」
「ええ、エピシミア辺境伯夫妻に御挨拶してきて」
「いーなー!」
ドラゴンみたの? と聞かれる。フェンリルという巨大もふもふに相見えて来ましたよ、とはさすがに言えないので、ふんわりした回答にした。フォーが焼きもちやきそうだけど、いつかフェンリルも抱きしめてみたい。フォーが大丈夫ならダブルでもふもふして埋もれたいな。
「こらパン。言葉遣いに気をつけろ」
別に気にしなくていいのに、丁寧な言葉遣いをと注意されてしまう。貴族院にも通っていない小さな子には無理でしょ。
「敬語は必要ないし、名前もメーラでいいわ」
「それは失礼に値します」
貴族院に通う年の長男はそこでマナーも学んでいるのだろう。レイオンの義姉であっても爵位で考えれば伯爵よりも辺境伯の方が上、名前で呼ぶなんて相手が許可しても有り得ないと思っているのね。
「セリスィは思ってたよりも真面目ね」
「礼節は大事でしょう?」
子供なんだからいいじゃない。
言うと少し不貞腐れた。なんだ、可愛いとこあるし。子供と言われたくないお年頃かな。
「誰がレイオンの後継ぐのかな~」
「え?」
「セリスィは聞いてないの?」
「いえ、伺った事はありますが……今日のお二人を見た限りでは問題ないのでは?」
「はい?」
と、急にくらりと視界が回った。
そういえば息もしづらい。
「夫人?」
「めーら? かおへんだよ?」
「そ、う」
身体が妙に熱いのに寒気がきたような気もする。喉の渇きは夏だからと思っていたけど、段々と苦しくなってきた。あれ、これって間違いなく熱中症なんじゃないの?
「ごめん、夫を、」
止まらない眩暈と頭痛に立っていられなくなる。
ふらついて後ろに倒れそうになった時だった。
「メーラ」
とんと背中に大きな腕が回る。
ぼんやりした視界の中にレイオンがいた。
「すぐに室内へ」
逆光で見づらいけど、辛そうな顔してる。
ここに来てまで迷惑をかけてしまった。折角一緒に出掛けて御挨拶して、少しでも妻として挽回したかったのに逆効果になってしまう。
「メーラ」
待った。苦しい中で悟る。私何回この人にお姫様抱っこされてる? 回数多くない?
客間へ連れていかされ、ベッドへ横になってひんやりしたタオルを当てられる。レイオンは氷系の魔法使えたからそれかな? 冷たさが気持ち良い。
レイオンと目を合わせると、少し起こされて水を飲まされた。あ、塩と砂糖入ってるやつだ。コップの中にはレモンの輪切りも入ってるし、よく分かってるわね。
「ごめ、ん」
「医者がすぐ来る」
「ん、だいじょ、」
「寝てて」
いつの間にか服が少し緩んでいて息がしやすくなっていた。熱中症対策詳しすぎじゃないの。
「ありがと」
だらしない笑いだろうなあと思ったけど、ひとまず笑って誤魔化す。眉間に皺を寄せて悲しそうな顔をされてしまい失敗だったことを悟った。
「いいから休んで」
「うん」
すっと意識が遠のいていく。
たまに浮上しては深く潜りを繰り返して、浅いところでは医者が問題ないことを言っていたり、子供たちが騒がずに小さく謝っているのが聞こえた。大丈夫と言えないことが歯痒い。
一番多く聞こえたのは彼が私を呼ぶ声で、それだけには応えるようにした。名前を呼んだり、頷いたり、感謝したり、とにかくなんでもいいから返して、それを耳にするとレイオンは安心したように目元を緩ませる。その繰り返しだった。
「誘拐未遂? 聖女候補だけが?」
何度か繰り返される意識の浮上の中で、ひりついた会話が聞こえる。静かにと諫められ、ぐっと息を飲む気配を感じた。この子に聞かせない方がいいでしょと義姉の強張った声が通る。
「そう。レイオンの所が一番安全だから狙われる可能性はないと思うけど注意なさい」
「はい」
もう少し追ってみると義姉が溜息交じりに吐露する。
ぐっと喉を鳴らして、いつもの平坦な調子とは違った声が下りてきた。
「メーラは私が守ります」
なにがあっても、と強く紡ぎだされる言葉が嬉しかった。
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