第29話 左前足の怪我、左手の怪我
「フォー?!」
母熊に飛びかかり、その首を咬んだ。
ほどこうと身体を大きく動かし振り落とそうとするのを、フォーは両前足を母熊の首元に鋭い爪をたてて食い込ませる。母熊が悲鳴をあげた。
子熊は母親の叫びに我に返り、母熊の元へ走り戻る。逃げるなら今だ。
「フォー!」
振り落とされ地面に叩きつけられたフォーは立ち上がり再び母熊に駆けた。
「フォーだめ!」
母熊の身体を伝い今度は後ろから首を咬むと母熊から再び悲鳴が上がる。
子熊が戻れば大人しくなるはずなのに、これ以上相手をするのは危険だ。なんで、ここまでするの。
「……あ、もしかして」
私がここに留まっているから? 逃げろってこと? 守ろうとしてくれてる?
母熊が後ろから倒れるとフォーは巻き込まれる前に飛んで避けた。けれどすぐに起き上がった母熊の爪が振り下ろされ、避けきれず前足から血が飛んだ。
「!」
これ以上はだめだ。なんとか自分を奮い立たせてその場から走り離れた。
目を合わせたまま少しずつ後退するなんて定番の熊避けはきかないし、フォーから見たら私は足手纏い。急いで離れて母熊の視界から外れ、茂みの隙間から様子を窺うと、フォーが何度か飛びかかった後、母熊は子熊を連れて逆方向へ去っていった。
様子を見て問題ないと判断したフォーがゆっくりこちらに近づいてくる。
茂みから出た私を見て尻尾を振った。
「フォー大丈夫?!」
ごめんね私がすぐ逃げていればと言うと、フォーが擦り寄ってくる。大丈夫だと言わんばかりに。頑張ってくれたのはフォーなのに、気を遣ってもらうなんておかしい話だ。
「フォー、怪我」
左前足が血で滲んでいる。さっき母熊の爪でやられた時のものだ。
手を出して乗せるようお願いすると遠慮がちに傷のある前足を差し出した。
「治すね」
単純な裂傷なら聖女教育時代に仕込まれた治癒魔法でどうにかなる。
傷は想定通り塞がり、血が滲んだ毛は染まったまま完治した。
フォーがじっと傷を見つめている。
「驚いた?」
タープに戻って手頃な布を取り出して、水に浸けてから汚れた部分を拭く。水が苦手みたいだから直接はやめて、時間をかけて拭った。その間に他に怪我をしているか見てみたけど大丈夫そう。叩きつけられたけど、骨も問題ないみたい。
「聖女といえば癒しだ治癒だって言って治癒魔法を特化してやってたわけ。安易な発想だよね~」
笑ってみても特段反応はなく、じっと見つめてきた。なんだか探られてるようで気まずい。
前足の怪我に問題はないけど、念のため綺麗な布を前足に巻いておく。後でレイオンにも報告しよう。
「役に立ってよかった」
足手纏いでもあったけど。
笑うとフォーが身体を寄せてくる。いつも私から抱きついてるから逆は珍しい。
「ふふふ、フォー可愛い」
ぎゅっと抱き締めて安心する。いくら動物が好きでも襲われたら当然怖い。それを察した上で抱き締めさせてくれてるのかなと思うと無性に泣きたくなった。
「帰ろ?」
まだこちらをじっと見つめて訴えるので大丈夫だからと言い聞かせて屋敷に向かった。
* * *
夕飯はレイオンと一緒だった。
朝食をとるようになってから、レイオンはたまに早く帰ってきて一緒に夕飯をとってくれるようになった。
シェフを筆頭に家令たちは大喜びで、屋敷内も活気づくし、とてもいい傾向だと思う。
裸族訓練の日に早く帰ってくるから、てっきり裸族のためかと思っていたけど、最近はそうでもない日に帰ってくるから違うようだ。とはいっても裸族訓練日が増えたからなんとも言えない。三日おきに一回が、二日おきに一回というかほぼ毎日になってしまったけど、レイオンの睡眠治療のためだ。やるしかない。
「熊が出たと聞いた」
前菜からいきなり今日の話題に入ってくる。
情報早いのね。怪我はときかれ、首を横に振った。
「フォーが助けてくれたから大丈夫」
むしろフォーが心配だ。怪我はたぶん治癒したけど、きちんと医者に見てもらうよう言うと、既にみせた後だったらしい。大事ないらしい。よかった。
「熊が出る時期ではあるが、あの近辺には出ないはずだ」
「え?」
「屋敷付近と麓の町に関しては魔物と動物避けをしている」
さすがレイオン。今まであの場所で動物と出会っても滅多なことでは人を襲わない種しかいなかったから、きちんと対策はしてるのはよく分かる。
なのに今回熊が下りてきた。あの泉はいい場所だから引き寄せられても仕方ない。
「監視と管理を改める」
「うん」
「今まで騎士達に任せていた部分もあったが、担当や編成、仕事内容も変えようと思う」
「わかった」
これだけ広い領地だ。騎士達に任せていても難しい部分はあるのかもしれない。
「君が危ない目に遭わないよう努める」
「ありがとう」
あまり気にしないでほしいけど、言うと謝る可能性があるから、これ以上は話を膨らますのはやめた。
「?」
ふと食事をする彼の手に目がいく。左手に包帯みたいなのを巻いていた。
「レイオン、左手怪我したの?」
「!」
僅かに目が開いて、すっと左手が机の影に隠れた。
「大丈夫? 治癒しようか?」
治癒魔法は得意だからと言うと、彼は視線を手元に落として囁いた。
「いや、治っている」
「そう?」
「念の為、つけているだけで」
「?」
手元をいじるような仕草の後、すいっとあがった彼の目元は僅かに赤くなっていた。
「ありがとう」
このレイオンの感謝の言葉は、色んなものが含まれている気がした。
少し瞳が潤んでる気もする。嬉しいのかな?
なんだか恥ずかしくて照れてしまう。頬に熱が集まり鼓動が跳ねた。ちょっとした怪我の心配をしただけなのに、返ってくるレイオンの気持ちが大きい。
それとも私が彼の機微に気づけるようになっただけだろうか。
「うん」
「今日は部屋に行く」
「わかった」
彼が来るまでに慌て始めた鼓動を戻さないとだめだ。ああもう、なんだか最近は少しでも違う表情を見るだけで妙に落ち着かなくなってる気がする。
最近の私は少しおかしいかもしれない。
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