がんばれ! ダメロボチーパイくん
朝倉亜空
第1話
これは少し遠い未来のお話。
とある総合病院の無菌室にシンジという少年がいた。シンジは命にかかわるある大病を患い、入院したのだが、抵抗力の著しい低下が見つかり、一般病室は不許可となったのだ。
無菌室には窓があっても開かない。エアコンも体を冷やし過ぎないようにやや高めの温度設定。要するに、じっとしていれば適温であるものの、少しでも体を動かすと、微妙に暑苦しくなるという空間だった。
今、シンジは計算ドリルで勉強中だった。
「ちょっと暑くなってきたなあ…」
脳細胞を活発に動かしたおかげで、身体全体が火照ってきたのだ。「ねえ、チーパイ、うちわない?」
シンジはこの部屋にいる自分の相棒、ヘルスケアロボットのチーパイに訊いた。
チーパイは病室の壁に備え付けられている温度計をチラリと見た。27・5度とある。
「少シ高そウデすね。うちわハ有りませンが、シンジのためニ作って持ってキたものガ有りマス」
じゃーン、と言いながら、チーパイは手作りの風鈴を差し出した。薄水色のガラスの鐘の中に紅い金魚の舌があり、その下に短冊が糸でつながれていた。短冊にはシンジとチーパイが笑顔で肩を組んでいる絵が描いてある。
「これヲ、エあコンのそばにツけて……」
チーパイは伸縮式になっている機械の腕をグーンと伸ばし、うまく天井に風鈴を取り付けた。
エアコンからの緩やかな冷気が短冊に当たった
《チリリーーン》
「あ、いいねえ。涼やかな音。気持ちいいや」
「脳ガ涼しげな音ダと感じるト、本当ニ体温が3℃ほど下がるンですヨ。ロボットには分かりマせんが、人間ノ心と身体っテ不思議ですネ」
「へえ。いいものを作ってくれてありがとう」
「シっかり勉強しテ、ロボット博士になるトいうシンジの夢ヲ叶えてくださいヨ」
「サンキュー。じゃあ、チーパイの夢って何?」
「夢でスか。ワタシの仲間たちハ深海探査や宇宙開発、高濃度被ばく地域でノ作業など、人間にハできないことに夢ヲ掛けて頑張ってイますが、ワタシは今の仕事デ十分ですし……」
適応成長型AIを搭載したロボットは、宇宙や深海など、自己の置かれた環境での目的行動において、何をすればよいか考え、AIを成長させていくのである。チーパイもその一体なのだが、CPUの設計ミスで、電力の大量消費に比してパワーは上がらず、じきにオーバーヒートを起こしてしまう不完全ロボットだったのだ。チーパイという名前も、劣等の意のチープとAIのつなぎ合わせで、生みの親の科学博士が適当につけたのである。チーパイの胸には、CPU温度をデジタル表記する小窓がついている。ただ今42℃。絶好調だ。
「でも、本当は何かあるよね、ね」
「実はデすね、人間になりタいんですネ」チーパイは言った。「絶対無理でスが。ハハ」
「いや、科学の進歩は分からないよ」
「ドウ考えても無理でショ。でも、ソう言ってくれル優しさが人間ニ憧れる理由デすよ」
それから数週間、チーパイはシンジと共に無菌室で過ごし、シンジのケアをした。おかげで、シンジの体力はみるみる回復していった。風鈴効果が役立ったことは言うまでもない。
そんなある日、衝撃的なニュースが入ってきた。明日、チーパイをテストし、不合格なら解体するというのだ。場所はここ。方法は大学医学部入試レベルの理数問題180問を3時間で完答すること。1問1分のキツさだ。
その晩、シンジはある策を講じた。そして翌日、運命のその時がやって来た。
「ここガ勝負ノ正念場ですヨお!」
チーパイを設計した博士や役人、何よりシンジが見つめる中、テストは始まった。
銀の鋼の指先が器用にペンを走らせ、速射銃のように数式をバリバリと答案用紙に書き出している。
「チーパイ、がんばれ! 負けるな!」
シンジはジロリと隣にいる博士を睨んだ。
高速演算処理により、チーパイが熱を帯びてきた。すると、エアコンがチーパイめがけて強冷風を噴出した。昨晩のシンジの策とはこれだ。高熱発生位置のみに冷気を吹き付けるように、シンジが回路を調整していたのだ。それでも徐々にチーパイの温度は上がっていく。冷却が追いつかない。チーパイ本体に内蔵されている冷却ファンもブィィーンと唸りをあげ始めた。その甲高い音はまるでチーパイが悲鳴をあげているように聞こえてくる。
チーパイの目の光が弱弱しく、鈍く揺らぎだした。「うォ……、ウぇ……」と、チーパイの口からは気合とも苦しみともとれる言葉が漏れてくる。
そして遂にオーバーヒートを起こしてしまった。2時間43分、179問回答。無情にもあと1問……。
「がんばれ! チーパイぃ!」
まったく動かない友にシンジは叫んだ。
静かな部屋に、チーパイ本体とは別電源になっている冷却ファンの、温度を下げ続ける音だけが無情にも響く。ただ、時間が過ぎゆく。5分、10分、15分……。
「万事休す、だな」
素っ気なく、博士は言った。
チーパイの胸で150℃を超えて表示されていたCPU温度は今、73℃と出ている。
エアコンはチーパイへの強風を止め、通常運転に戻った。緩やかな冷気が部屋全体に配られていく。それが風鈴の短冊を優しく揺らした。
《チリリーーン》
「……あア、本当に涼しい音ですネ」
なんと、チーパイが息を吹き返した。「一気に3℃、熱が下がりましたヨ。何とか復活デス」
チーパイの適応成長型AIはシンジとの温かい交流の中で成長し、人の心を学び得ていたのだ。そして、チーパイのCPUは70℃以下で起動回復するように設計されていた。
「チーパイ! やったあ!」
シンジが声を上げた。
「シンジのおかげで命拾いしました。シンジが人の心の優しさを教えてくれたおかげで。さあ、ラストの1問、今、解きますよ!」
がんばれ! ダメロボチーパイくん 朝倉亜空 @detteiu_com
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