訃報が届く

そうざ

The Obituary Arrives

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 訃報が届いた。

 選りに選って暮れも押し迫ろうとする頃に届いた。

 俺は、思わず営業所内を見渡した。誰も彼も忙しそうに動いている。いつも忙しない空間だが、この時期になると心に余裕がなくなって来る。

 そんな中、配送ドライバーが一人抜けると聞いたら、皆どんな心持ちになるか。何度も逆の立場になった事があるので、その心情は手に取るように判る。皺寄せ、尻拭い、傍迷惑―色んな単語が脳裏を過ぎる。普段から職場の人付き合いに無頓着な分、こういう時は余計に白い目で見られそうで憂鬱だ。

 言い出し難いが、言わない訳には行かない。

 葬式があるので欠勤する。これ程の大義名分は他にない。天下御免の第一位。第二位は家族が危篤状態の時かな――そんなこんなを考えながら所長のもとに向かった。心の何処かで、葬式くらいで休みは認められない――と、あり得ない返答を期待している俺が居た。


                  ◇


 俺は、葬式が嫌いだ。

 通夜も告別式も、ついでに初七日とか納骨とか、初盆、一周会、三回会――その後も延々と続くらしいが、引っ括めて嫌いだ。

 世の中に葬式好きの人間が居るのかどうかはよく判らない。憎いあん畜生が押っんで万々歳、という奴は居るかも知れないが、俺は誰が死んでも葬式が嫌いだ。

 葬式は、まるで出物腫れ物だ。所嫌わず、何が何でも執り行われる。人生には色んな『式』がある。入学式、卒業式、入社式、結婚式、開会式、除幕式――元来、そういった形式ばった堅苦しい事柄が苦手な俺だが、殊に葬式が嫌いになったきっかけははっきりしている。


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 小学四年生の夏だった。

 学校から帰ると、何だか家の中がばたばたしていた。近隣に住んでいる従姉が来ていた。もっと昔はよく遊び相手になってくれていたが、七歳も年上の彼女が高校生になる頃から、次第に疎遠になり始めていた。

 祖父が救急車で運ばれたと聞いたのは、その従姉からだった。縁側で倒れている祖父を発見したのは買い物から帰った母で、直ぐに119番に連絡し、救急車に同乗して市内病院に向かったと言う。病院の母から電話を受けた親戚達は直ぐ病院に駆け付けたが、家がもぬけの殻になってしまうので、従姉が母の代わりに俺の帰りを待ってくれていたのだった。

 祖父ちゃん、助かるよね、と俺は従姉に訊いた。その時の返答はよく憶えていないが、目が虚ろだった事は脳裏に焼き付いている。

 後で知ったが、大動脈解離を起こした祖父は、発見が遅れた事もあり、救急車で運ばれた時点でもう助かる見込みはなかった。その事を従姉は既に聞いていたようだった。

 祖父はその日の内に死んだ。

 俺にとって、初めて眼前にある死だった。どこどこのお宅の誰々が亡くなったという大人達の話は偶に耳にしていたが、祖母は俺が生まれる前に既に他界していたし、後は精々、メディアを通じて知る有名人の死や、漫画やアニメの悪者の死くらいだった。

 長患いの末の死だったら、もう少し心の準備が出来ていたかも知れない。しかし、結局の所、どんな死も突然なのだ。


                  ◇


 祖父の葬式は自宅で行われる事になった。費用が安く済む事もあったが、当時、郷里ではまだ自宅葬が珍しくなかった。

 会社を早引きした父が加わり、親族一同が奥の間に戻って来た祖父の顔を代わる代わる眺める光景は、俺にとっては怪しい集会そのものだった。両親はそんな俺の腕を半ば強引に引っ張り、祖父の枕元に着座させた。

 祖父ちゃんってこんな顔だっけ――俺は、作り物のようにも見える祖父の顔を一瞥しただけで、後は視線を逸らし続けた。祖父は孫を猫可愛がりする気質ではなく、寧ろ度々酔って暴れるような人だったから、俺にとっては近寄り難い存在だった。

 俺は、目の前に現れた死よりも、明日の遠足の事を考えていた。葬式は大人がやるものだろう、子供の僕には関係ないだろう、だったら両親も予定通り遠足に行って構わないと言ってくれるだろう――そんな思考の反芻を繰り返した。


                  ◇


 翌日の夜、俺の願いは無残に打ち砕かれていた。

 大人達が喪服の中、従姉は学生服だったが、俺は余所行きの一張羅を着せられ、神妙な面持ちの両親の隣に座らせられた。

 その頃は近所付き合いが密だったし、祖父は祭り等の地元行事に積極的な人だったから、弔問客は多かった。

 焼香の度に両親と共に頭を下げる。苦痛でしかなかった。退屈でしかなかった。次第に、俺の心に怒りが芽生え始めた。

 どうして生きている人間が死んだ人間の都合に合わせなければならないのか。

 人は皆それぞれ、生きる上で都合というものがある。なのに、死者は遠慮なく生者に儀式を強いて来る。予定が狂う。計画が壊れる。日常生活に支障を来たす。

 生者が無理に都合を合わせなくても、死者は何処へも行きはしないし、苦情も言って来ない。大事な仕事に、貴重な余暇に、自分磨きにと励んでいる間に、葬儀屋や火葬場が宜しく弔ってくれて、後日、精算をすれば良いようなシステムにならないものか。死者の悼み方は人それぞれであって良い筈だ。同日、同所、同形式で粛々と儀式として進めて行く事だけが正しいかのような思い込みは、断じて間違っている。

 遠足に行く予定だった土曜日に通夜を行い、翌日の告別式は言うまでもなく日曜日だったので、俺は否応なく葬式全てに参列する羽目になった。


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 欠勤届けを出した翌々日に通夜が執り行われるという事だったが、場所が実家とは意外だった。今時自宅でやるのか、祖父の時もそうだったからという事なのか。故郷は今でも古い習慣が根強いらしい。

 俺は高校を卒業して直ぐに都会へと脱出した。何か当てがあった訳ではないが、故郷に留まっていても何がある訳でもない。そんなぼんやりとした理由だった。転々と仕事を変え、偶々アルバイトで入った宅配の仕分け作業がきっかけで、配送ドライバーに落ち付いた。

 一粒種の長男が家を出て行ってから暫くは、結婚がどうとか、地元に戻る気はないのかとか、色々と鬱陶しかったが、年末年始に偶に帰省する程度の俺に、両親は段々と口煩い事を言わなくなった。やがて俺は、引っ越しをしても新しい住所を伝えず、携帯電話を変えても新しい番号を教えもしなくなった。

 俺は、天涯孤独を気取っていた。


                  ◇


 十数年振りに俺を故郷へと運ぶ在来線が、往時の姿を留めた無人駅に停車する。取り敢えず懐かしさは感じたものの、これから葬式だと思うと憂鬱な心に変わりなかった。

 まだ夕方の五時だというのに駅前には人っ子一人居らず、閑散としている。冬場の日の短さも手伝い、陰鬱な空気が漂う中、俺は徒歩で三十分程度の実家へと歩を進めた。

 改めて考えたら、俺は祖父の葬式に参列して以来、誰かの葬式に顔を出した事がない。親戚や旧友ともすっかり疎遠だし、仕事を転々とする生活は新たな縁を生まず、そもそも家族葬が一般的になった現代にあって、職場の顔見知り程度では葬式に参列する機会は滅多にない。

 葬式に出なくてはならないような人間関係を徹底的に回避して来た俺は、子供時代の唯一の葬式体験をずっと根に持って生きて来た訳だ。


                  ◇


 当然のように、実家周辺は変わり映えしなかったし、実家自体も変わりがないようだった。いや、よく見ればかなり古惚けている。嘗て祖父が器用に剪定していた庭木も今は手入れが行き届いていないようで、闇に沈み掛けた木立の影は家屋を呑み込まんばかりに鬱蒼としていた。

 祖父の時と違って大勢の弔問客が駆け付けている気配はない。祖父の葬式では、遺体に取り縋って泣いている旧友さえ居た事を思い出す。酒飲みでもそれなりに人徳はあったのだ。

 それにしても、門灯も玄関灯も点けられていない。近隣の街灯が、廊下に雨戸が閉まっている事を教えているだけだ。

 幾ら通夜だからってしめやか過ぎるだろう。

 玄関に入ると、三和土たたきには一足も靴が置かれていなかった。屋内も真っ暗で、人の気配が感じられない。ここで葬式をやるというのは、俺の勘違いだったのか。

 勝手知ったる屋内を進む。埃っぽい茶の間を抜け、沁みの浮いた襖を開けると、そこは嘗て祖父の遺体が寝かされていた奥の間だ。

 何もない。

 何もない、と言えば――どの部屋も、物がほとんどなかった。あるのは、汚れた戸棚や日用品、家電等、必要性が見出せない粗大ごみのような物だけだった。スイッチを入れても照明は点かない。蛇口を回しても水は出ない。

 さっき門の前に立った時、小さな違和感を覚えた事を思い出した――表札がなかった気がする。

 空間が揺らぐような錯覚の中、俺はゆっくりと後退り、そのまま奥の間の湿気で撓んだ畳に崩れ落ちた。指先に何かが当たった。暗闇を探ると、布団が敷かれているのが判った。

 不意に灯りが燈った。布団の脇に置かれた枕飾りの蠟燭だった。誰かが寝かされているが、白布の下の顔は知れない。在りし日の光景が蘇る。次々に親族の顔が現れては消えて行く。

 祖父ちゃんをちゃんと弔い直せって事なのか――実家の宗派すらよく解っていない俺だが、当たり障りなく手を合わせた。そして、震えながら白布を捲くった。

 そこに寝かされていたのは、

 やっぱりな――俺は、胸のつかえが取れたように寧ろ冷静になった。

 近頃、忙しさに煽られ、配送トラックの運転が乱暴になっている事は自覚していた。その内、事故を起こすかも知れない――そんな予感を秘めながらも自戒しない自分が居た。

 幾ら葬式嫌いでも、自分自身がの立場になったら、流石に無視する訳にも行かない。他人ひとの葬式には関心がない癖に、自分の葬式はそれなりに執り行って欲しいと願っていた。俺は何て身勝手な人間なんだ――。


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 俺の両親は数年前に立て続けに病死していて、年老いた親戚達も介護施設暮らしだったり、病気療養中だったりで、後始末を引き受けてくれたのは、市役所が戸籍等を頼りに捜し当てた従姉だけだった。

 俺の実家は既に売りに出されていて、買い手が付かずに荒れ放題になっていた。それでも死後に身を寄せる当てのない俺は、結局あの家に帰るしかなかったのだ。

 俺は今、先祖代々の墓に納骨されているが、葬式嫌いは死んでも治らない。

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