第24話 らぶアンドろまんす。在りし日の恋の逃避行


「りっすんつーみー。“ふぁっ○ゆー”」

「「“ふぁっ○ゆー”」」


 妙な事になったとヨドミは思った。何故なら白雪家お抱えの執事が、今しがた自分のクラスにて、まったくもって使いどきのわからない“えんぐりっす”を教えているのだから。


「どう言う意味かわかりますか? それではそろばん小僧くん」

「え、えっと僕は計算以外の事はあんまり……」

「……捻り潰すぞクソガキ」

「えっ!?」

「……という意味です。異国から来た“スレンダーマン”とか言う軟弱もやし野郎を潰す時に用いました。良い言葉ですね。妖怪としては是非覚えておきたい“えんぐりっす”です」

「こ、こわい……っ」


 生徒たちを怯えさせている大五郎による英会話レッスン。果たして彼の英会話というのが何処まで信用出来るものかは疑問だが、あやかしとして、そこはかとないプレッシャーを解き放っている大五郎に誰も意見出来ないでいた。


「おい、ヨドミの家の執事とかいうあのジジイ、何者なんだよ」


 頭を膨らませた“油すまし”がそう囁くと、彼が手にしている油の入ったひょうたんが、投げ放たれて来たチョークの一投に破壊された。


「“はばっ、ないっすね〜”こう話し掛けられたらなんと答えますか、油すましくん」

「ふわわわっ……えっと、た多分、サンキュー……的な?」

「“ふ○っっく”!!!!!」


 凄まじい怒声にひっくり返った油すまし。すると大五郎は掌にチョークを握り潰しながら教えてやった。


「良いですか? “はばっ、ないっすね〜”は皮肉です。そんなひよった挨拶をかまして来る輩にアナタは舐められているのです。なので正しい返答は“ごーつーヘル”です。はい繰り返して」

「「“ごーつーヘル”」」


 お嬢様も一緒に、と促してくる大五郎であったが、ヨドミはそっぽを向いた。その反応に大変ショックを受けた様子の大五郎は、苦虫を噛み潰したような表情で黒板へと向き直りってチョークを握る。


「堅苦しい“えんぐりっす”ばかりで大変失礼いたしました……ここからは女性が喜ぶロマンスな英会話を学んでいきましょう」

じいにロマンスだなんだのだのと、もう無いじゃろうて」

「なっ、ヨドミお嬢様。これは大変心外な。こう見えましても爺もヤングの頃は伊達男。生粋の女泣かせと呼ばれ……」

「一世紀前じゃろそりゃあ」


 大五郎は黒板に『あいらぶゆ』と平仮名で書いて振り返る。


「はい! それでは滝姫さん。“あいらぶゆ”とはどういう意味ですか?」

「私ぃ? えぇとぉ……何処までも、何処までも追い掛けてぇ、地の果てまでも追い掛け回すという意味かなぁ」

「“えくせれんと”その通り、これは愛を伝える言葉です!」


 ボンヤリ天井を仰いだヨドミは、“あいらぶゆ”の言葉の意味を考えていた。


「愛を伝える言葉か……愛、愛のぅ」


 そこで自分がなんの気無しに、ヨシノリくんを見つめていた事に気付いたヨドミ。目を逸らし、赤面しながら頭を振るう。


「な、無い無い! あんなクソザコ人間……弱過ぎてやたらと気に掛かるだけじゃ、何を考えとる!」


 するとその視線に気付いたか、ヨシノリくんが振り返ってヨドミに手を振って来た。


「なッ! ふぁ……つア」


 言葉にならない声でヨドミが慌てふためいていると、そこで授業の終了を告げるチャイムが鳴った。


「懐かしいですね、爺の“らぶアンドろまんす”恋の逃避行……」


 ツルリと頭を光らせながら感慨深そうに大五郎が言うと、クラス中の者が疲弊で床に倒れ込んでいた。皆異国の言葉には苦手意識があると見える。


「なーにを惚けておるか」

「お嬢様……」


 鼻から長い息を吐いた執事は、ヨドミへと視線だけを寄越して言った。


「いいですよねお嬢様は」

「ん、なにがじゃ……先程から何を感化されておる」

「いいですよね……

「ハワぁッ?!!」


 目を回したヨドミを他所に、大五郎は物憂げに肩を落としていった。


「爺も恋をしていました。それは熱い熱い……お嬢様に負けないくらいの」

「な……カハ……おぬし……っっ」

「今もまだ存命でしょうか? ……いや、彼女は爺よりも年上でした。爺のストライクゾーンは年上系イケイケギャルでしたので、今ではもうあの乙女たちは皆墓場へと入ってしまったのでしょう」


 顔から湯気を上げてカチコチに固まったヨドミ。そんな少女に気付いているのかいないのか、大五郎は少し切なそうな顔をして窓の向こうを眺める様にした。

 するとその時――


「ワジャーー!! 聞いたぞ聞いたぞい!! うちの教師を叩きのめして好き勝手しよるジジイがおると!!」


 突如と教室の扉を開け放ち、言葉の通りに鬼の形相をして踏み入って来たのは、鬼の教頭と恐れられる“山姥やまんば”であった。

 彼女の激昂げっこうするその恐ろしい顔に、生徒たちはガタガタ奥歯を震わせながら静まり返る。山姥はガシャどくろ校長に次いで、ここいらで名の知らぬ者のいない恐ろしい妖怪であるのだ。


「どういう訳かガシャどくろ校長が止めておけと懇願して来たが、わっちは映えある黒縄小学校の伝統を破る奴を捨て置くつもりは無いぞ!! そこに直れクソジ……じ、ぇっ――――」

「え、もしかしてあなた――」


 山姥が持っていた出刃包丁が、スルリと手のひらから落ちて音を立てた。

 ヨドミたちはその時、何重にも折り重なった山姥のシワシワの顔が、瞬時にしてハリとツヤを取り戻したに立ち返る瞬間を目撃するのであった――

 ツルピカのハゲをハートの目で見上げ、ババアはいじらしい声を出し始めた。


「あなたは……だ、だだ、っ大五郎……さまっですの??」

「驚きました、あなた……“ヤマヒメ”さんですか?」

「ヤマヒメだなんてお恥ずかしい。こんなに年老いてしまって、今ではすっかり山姥です」

「ふふ、私もまた、年を重ねてしまいました。けれど、あなたと過ごしたあの“らぶアンドろまんす”は、今でも私の胸に熱く焼き付いております」

「大五郎様……」


 在りし日の若人へと立ち返り、ジジイとババアは目を丸くして見つめ合い続けていた。

 クラス中のあやかしたちは、あれだけ恐ろしかった鬼の教頭が、見る影もないに変貌してしまった有様に息を呑む事しか出来ないでいる。

 そうして大五郎は、校長先生並びに教頭先生の許可の下、正式に『六年い組』の臨時担任教師として着任するのであった。


「なんじゃそれ」


 冷めた瞳でヨドミは一人呟くのであった。

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