第145話 アイヤータイヘンアルヨ
二階はまたがらりと空気が違う。
どこか和の雰囲気が漂った一階とは異なる。
誰の目にも明らかな異質だった。
客を歓迎する手段として、甚だ間違っているとしか思えない悪手だが一階は少なからずも人を迎え入れようとする歓迎ムードにも似た明るさがあった。
それが一切ない。
二階に漂うのは無機質な空気である。
その理由はすぐに分かった。
二人を出迎えるように現れたのは無数の木偶人形だった。
パペットとも呼ばれる糸で操ったように不自然かつ不規則な動きをする木製の等身大の人形である。
耳障りな軋む音を立てながら、ゆっくりと前進してくる姿はホラー映画さながらで恐怖感を煽るのに十分だった。
気が付けば、四面楚歌の図である。
エレベーターから出た二人を木偶人形の群れが完全に包囲していた。
エレベーターの扉が既に閉まっている以上、不気味ににじり寄る木偶人形の群れが待つ前方に進むしかない。
「どうしよう?」
「一気に壊してもいいなら、俺がやるけど」
「燃やすと後が大変そうだし、その方がいいかしら?」
「そう思うよ」
ユリナは半歩後ろに下がり、麗央が半歩にじり寄るように前に出た。
独特の居合抜きの構えに入ったかと思うと一瞬で勝負がついた。
木偶人形の軍団は数歩を歩くことすら、許されなかった。
細切れに分解され、木片と化したのだ。
この時、麗央が取った動きを目で捉えられた者は恐らく、誰一人いない。
神速と呼ばれる抜刀術を少しでも捉えることの出来る者がいたならば、見込みがある者と言えるだろう。
「呆気ないわね」
「そうだね。歯応えがなさすぎるかな……」
麗央は好戦的な
争いごとになるのを極力避けようと動くのが彼の基本行動とも言えた。
それでも血は争えないと言うべきなのか、そんな麗央にも闘争本能に似た不思議と戦いを求める気質が心の奥底にあった。
しかし、ユリナと共に過ごせば、その厄介な気質が収まる。
ユリナの中にも厄介な気質は眠っている。
互いが求め合うことでどうやら相殺されるものらしい。
「二階にはフロントがあったみたい」
「へえ。だから、パペットなのかな」
「それなら執事のゾンビでも置いといた方がよくない?」
「そうだね」
再びエレベーターが稼働し始めた。
次の行き先である三階のボタンを光で指し示し、移動するように促しているようだった。
あまりにも弱すぎる相手に首を傾げる二人と同様にコメント欄も「がっかり」「拍子抜け」「超ホラーなダンジョンどこ?」などの文字が飛び交う。
このC市に現出した『パシフィックホテル迷宮』は十一階で構成された高難易度ダンジョンとの触れ込みだった。
二人がチャレンジする前に侵入を試みたアウェイカーやあやかしが這う這うの体で逃げ出したのも事実である。
彼らは一階半ばにも到達していない。
押し寄せるゴブリンの物量作戦を前に対処しきれなかった。
それを平然と処理した麗央とユリナの二人がおかしいのだ。
ダメージを負ったのはユリナのワンピースだけであり、それも動きにくいからといった理由である。
自分で裾部分を外したのに過ぎない。
コメント欄が楽勝ムードに包まれるのも無理はなかった。
そして、二人は三階へと侵入する。
これまた雰囲気が一転した。
カーペットや壁紙が目の覚めるような紅色に染められていた。
「オキャクサマアルヨー」
「ゴチュウモンハナニアルカー」
白と黒。
無機質な機械音声のような声を上げ、二つの影がエレベーターから出たばかりの二人に襲い掛かった。
庇うように前に出た麗央が捌く。
突き刺すように繰り出された白いチャイナドレスの影の手刀に対し、体を反転させハイキックを放つことで対処し、最上段から頭頂を狙って振り下ろされた黒いチャイナドレスの踵落としを右の拳でしっかと受け止めた。
そして、瞬きする間に白と黒の影は麗央の尋常ならざる膂力で弾き飛ばされる。
その勢いは凄まじかった。
さながら弾丸が飛ぶが如く、チャイナドレスを着たモノは激しく壁に叩きつけられた。
「今度は何なのよ、もう」
「熱烈大歓迎してるんじゃないかな?」
おどけた風でもなく、実にのんびりとした調子のやり取りにコメントもそれほどに焦った様子が見られない。
「三階には中華レストランがあったらしい」と冷静な書き込みが見られるほどだ。
「「アイヤー! ヒドイコトスルネー」」
対称的な色合いの煽情的なチャイナドレスに身を包んだ二体のモノがまたも機械的な音声を上げながら、ゆっくりと立ち上がった。
壁にめり込むほどの衝撃で叩きつけられ、かなり痛手を負ったと思われるのにそれを感じさせない動きだった。
ギギギと耳障りな音が聞こえてきそうなぎこちない動きであらぬ方向に曲がった首も全く、気にしていない様子である。
「あちゃ~。何なの、アレ。趣味悪いわ」
「ヘルヘイムにああいうのはいなかったのかい?」
「あんな趣味が悪いのはお断りしているのよ」
バケツ頭でくつくつと笑う麗央を見て、ユリナは軽く頬を膨らませた。
彼女が怒った
麗央はユリナを時に気紛れな猫のようだと例えることがある。
一見すると不機嫌そのものに見えるが、実はそうではない。
彼女は心の中で激しく葛藤しているのだ。
(どうしよう? ここで抱き着くのはおかしいよね? あぁ、でも! 麗央に抱き着いて、よしよしもして欲しいし……)
不機嫌そうに眉根を寄せ、頬を膨らませているが頭をよしよしされている自分を想像すると悪い気はしない。
自然と微かに口角が上がっているのだが、無自覚である。
それに気付かぬ麗央ではない。
ユリナとの距離をそっと詰めると肩を抱き寄せ、壊れ物を扱うように優しく抱き締めた。
そこからはされるがままで幼子をあやすのと同じ要領で頭を撫でられるまでじっとしているユリナは実に分かりやすい。
その間、各視点での反応はこれまた、それぞれの色で違いを見せる。
メインカメラでは「リリー後ろ! よそみ危ないよ」と冷静なツッコミが多く、チャイナドレスのあやかしが健在なのを心配する声が多い。
ところがユリナ視点ではバケツマンとの軽いボディタッチを含めた触れ合いに心振るわせる程度の声が、少しばかり顕著な程度だ。
しかし、一番盛り上がっているのは麗央視点だった。
抱き締められ、押し付けられた豊かな果実と谷間にヒートアップする実に分かりやすい視聴者である。
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