第130話 逃げろ!黒猫ゲーム

 ユリナの固有結界・絶対領域アブソリューターベライヒは、彼女の唄を聴いた者を彼女が創造したいざなう。

 夢の世界の絶対者は彼女であり、全てがユリナの思い通りに動く。

 この結界内で起きた出来事は夢で終わらずに現実世界にも多大な影響を及ぼす。

 どんなに頑強な肉体があろうとも夢の世界で心を壊されたら、意味を成さない。


 しかし、一見すると万能に見える絶対領域アブソリューターベライヒにも弱点があった。

 この権能が無条件で行使されるものではないからだ。

 意思の強さを持つ者が抵抗すれば、夢の世界に招待されることはない。


 ある程度、格の高い『あやかし』であれば、絶対領域アブソリューターベライヒに抗える。

 ではある程度の格とは一体、どれくらいなのか。

 一般的には術を行使する者と同程度もしくはそれ以上とされている。

 これは大まかな考え方ではあるが、強ち間違ってはいない。


 そして、この考えに基づけば、絶対領域アブソリューターベライヒに抗える者は非常に少ない。

 冥府の女王ヘルに匹敵する神格を有する者など、そうそういるものではない。


 そして、絶対領域アブソリューターベライヒには厄介なところがある。

 ユリナの唄を介して、結界が張られる為、分からないうちに取り込まれる可能性が否定出来ないのだ。

 それゆえ、ユリナの唄で術が展開されると予め知らなければ、抗う条件を満たしていても夢の世界に誘われる。


「だから、分かってる?」

「分かってるよ。大丈夫」


 大神オーディンの血はどうやらユリナの唄に抗する力を与えるものらしい。

 麗央の父親トールユリナの母親ゲェルセミの異母兄であり、麗央にも大神の血が入っている。

 それもあってか、麗央とトールには唄に対して、強い耐性を有した。

 麗央は意識して、ユリナの唄を受け入れないと無意識で絶対領域アブソリューターベライヒに抗ってしまうのだ。


「何も心配はいらないわ。私を信じて」


 麗央は口を動かさず、ユリナの目を真っ直ぐに見つめ、頷くだけにとどめた。

 かつてのユリナは絶対領域アブソリューターベライヒを展開すると、自身の意識が喪失するので無防備になった。

 その間は麗央が彼女の身を守っていたが、現在はその必要性がなくなっている。

 意識の喪失なく領域の展開が可能になり、出力も上がっていた。


 だが今日は勝手が違う。

 ユリナはで麗央とつもりだった。

 内偵から戻ったゼノビアがいる以上、も何ら心配する必要がなかった。

 屋敷の警備体制は万全なのだ。


「さあ眠りなさい♪ もう自由なの♪」


 二人はベッドの上にいる。

 いつも寝ている時のように抱き合ってはいない。

 ただ手と手をしっかりと合わせ指を絡ませ、見つめ合う。


 そして、ユリナは囁くように歌い始める。

 安らかなる闇へといざなう子守唄を……。




 麗央がユリナに疑念を抱いたことはない。

 言い回しが難解で彼女の真意が分からなくても信じている。

 ただし、ユリナがキラキラした瞳で「信じて」と言う時、幾ばくかの不安を感じていたのも事実だった。


 不安は見事に的中した。

 目を覚ました麗央は若干の違和感を覚える。


 彼は百八十六センチとそれなりに長身である。

 立ち上がれば見える風景が何か、おかしいことに気付いた。

 全てが高く見える。


(なんだ、これ!?)


 立ち上がった際に感じたのも妙な違和感だ。

 二本の足で立ったのではなく、手も使っている。

 まるで四つ足で立っている感覚だった。


(俺の背が縮んだのかな? 何もかもが大きく見えるぞ)


 違和感の正体はスケール感覚の相違だ。

 これまで自分が小さいと感じていた物全てが、大きく感じられる。

 麗央はふと視線を下げることでその答えを見つけた。


(黒い。小さい。毛が生えている……何だよ、これ)


 答えをもっと確実なものにすべく麗央は見慣れぬ大きな部屋を抜け出し、外に出た。

 燦々と降り注ぐ日の光のあまりの眩しさに思わず、目を閉じる。


 麗央が住んでいるH町はかつて外国人や華族の別荘地として、知られているが温暖を通り越したところがある。

 それでも麗央はここまで太陽の強さを感じたことがなかった。

 違和感がより明らかなものとなり、麗央は自分が既に夢の世界に入っていることにようやく気付いた。


(早く、確かめないといけないな)


 住み慣れた街と様子の異なる見慣れない風景はどこか、南方を感じさせる。

 太平洋に浮かぶ南の島と言われても何ら、違和感を覚えない。

 太陽を近くに感じ、解放された感覚があるのだ。


 それでいて建ち並ぶのは地中海風の白亜の建築物の数々だった。

 ちぐはぐといった印象が強いのはここが夢の世界との証左でもあった。


にゃんにゃにゃーなんだこれー


 ようやく自身の体を確認できる池を見つけた麗央は声にならない声を上げた。

 言葉を発しているつもりなのに声になっていない。

 それもそのはず。


 池に映った麗央の全身は見慣れた自分のものではなかった。

 ビロードのように見事な黒い毛並みの小さな猫の姿がそこにあったのだ。

 ぱちぱちと瞬きする瞳はきれいな紅玉ルビーの色をしている。


(まんまとやられた感じだ……)


 水面に映る黒猫はしょんぼりと項垂れていた。

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