第125話 備忘録CaseIX・ぽっちゃり姉ともこもふ兄③

 彼はのではない。

 だけである。

 イザークを相手にユリナが難儀したのはこの一点だった。


「無理ね」

「諦めちゃ駄目だ、リーナ。やればできる子だよ、義兄にいさんは!」

「ねぇ、レオ。世の中、やっても絶対に無理なこともあるの。空っぽの頭は乾いた大地みたいなものだから、知識が降り注ぐ雨となって滲みていく……なんてことはないの! お兄様の頭はオートデリート機能でもついているのよ!」

「そ、それは言い過ぎじゃ……」

「じゃあ、レオはアレを見てもそう言えるの?」

「あ、うーん。言えないかな」


 頭痛に苛まれているのか、蟀谷こめかみを押さえたユリナは、なるべくアレに目を向けないつもりらしい。

 ただ、指差した先にあるアレへと麗央も視線をやり、それ以上言葉を紡げないでいた。


 そこには引き締まった筋肉質の肉体を惜しげもなく晒したイザークがいる。

 惜しげもないどころか、生まれたままの姿なのでイザークのイザークがパオーンしている。

 ユリナは目にしたくない。

 断固拒否の姿勢を崩さない。

 麗央のモノは目にするどころか、彼女だがそれとこれでは話が違うらしい。


 何度、口を酸っぱくして言い聞かせようともイザークは一向に理解しなかった。

 獣形態から、人前で人化をしてはならないと何度も注意したが全く、意味がない。


「何か、問題があるのであるか?」


 真顔でそう返されては麗央とユリナもそれ以上、言う気が起きなくなる。

 イザークは己を人としてではなく、狼であると認識している。

 獣性の強さが原因としか思えなかった。




 半身が世界蛇ヨルムンガンドになっているユリナには、半分だけ力を解放した第二形態と言うべき形態がある。

 背からは二対の黒翼が伸び、三本の尾が臀部から生えた姿になり、この状態になると瞳が蛇を思わせる縦に長い瞳へと変じる。

 この形態でもまだ体は人の姿をしている。

 第三形態がいわゆる獣形態にあたるがそれでもユリナの場合はまだ、人の姿を保っている。

 とはいえ、下半身が完全に巨大な蛇とも竜ともつかない怪物と化し、その頭部からユリナの腰から上の部分が生えていると表現した方がいい見た目である。

 もっとも神代から現代に至るまで、彼女がこの姿に変身したことは一度もない。

 第二形態すら披露することはまずないだろう。

 麗央にあまりその姿を見られたくないからというのが一番の理由だった。

 ゆえにユリナの場合、獣性が上回ることはなく、うっかりと肌を晒すようなへまはしなかった。


 また、麗央やイリスのように人間の血が入っていても極稀に獣形態への変身が可能な者もいる。

 彼らは人の血が影響して、羞恥心が上回る。

 そのせいか、古来より対策を練る者が少なからずいたのである。

 彼らは変身により、装束が破け使い物にならなくなると憂慮し、これをどうにか出来ないかと様々な手を講じた。


 その結果、誕生したのが画期的な伸縮性を持つ繊維で編まれた特殊な装束だった。

 これを着ていれば、人から獣になろうとも獣から人になろうとも問題なく、普段の生活を行えた。


「問題はあまりお洒落でないってところかしら?」

「そうかな?」

「レオに聞いたのが間違いだったかしら」

「ええ? 動きやすそうだし、シンプルでよくないかい?」

「そういうとこ!?」

「うん。そうだけど?」


 こちらの世界には存在しない代物だけにわざわざ『鏡合わせの世界』から、取り寄せることとなった。

 上下一揃いの専用装束を見たユリナの第一声は「微妙よね」だった。

 麗央は「悪くないと思う」だったので二人のファッションセンスの違いがはっきりとした瞬間でもある。


 シンプルと言えば、聞こえはいい。

 闇を纏ったが如く、上下共に黒一色。

 装飾の類も一切なく、ぱっと見はスマートなスウェット上下にしか見えない。

 トップスは袖の無いタンクトップであり、ボトムスは細身のスキニーパンツに近い。


「どこの暗殺者なのよ。こんな服装を好むなんて」

「でも、これしかないんだろ?」

「ま、まぁ、そうなんだけど……」


 ユリナは納得がいかないのか、まだ何か言いたげな表情を隠さなかったが、やがて「でも、着るのはお兄様だから、何でもいいわね」と納得した。




 それから、暫くしてのことである。

 準備が整ったと判断したユリナは、件のを纏い万全のイザークを伴って、N県S市へと転移した。


 イリスにはパスを渡し、幽霊列車を利用させた。

 イザークには同じ芸当をこなせないとユリナは判断した。

 それも無理はない。

 集中力が幼稚園児よりも続かず、忍耐力も同様だった。

 列車での一人旅にとても耐えられるとは思えない。

 何よりも他人様ひとさまに迷惑をかける確率の方が遥かに高いので、リスクをなるべく避けたいユリナは次善の策を取らざるを得なかったのである。


「いいですか、お兄様」

「分かっているのである。吾輩は出来る男である!」


 ユリナは「どの口がそれを……」と喉まで出かかった言葉を無理矢理、飲み込む。

 すぐに取り繕ったような花笑みを浮かべられるのはもはや特技である。

 彼女が伊達に『歌姫』を名乗っている訳ではないと思い知らされる瞬間でもあった。


「お兄様の鹿に期待してるわ♪」

「うむ。任せるのである」


 本当にイザークが理解しているのかどうかはさておき、事務的な用件は伊佐名いざな家でもっとも頼りになるルナ月読に伝えた。

 自分のやるべきことはやったと判断したユリナはそそくさと兄を置いて、退散する。

 あまりの引き際の早さに冷静さが売り物のルナが、目は見開き口に至っては半開きとありえない姿を晒したほどである。

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