第94話 歌姫のお仕事①

 ユリナはYoTubeを運営するグローリー社の重役である。

 公には明らかに出来ない裏の事情が絡んでいる以上、別名義を用いなければならない不便さはあれど特権は存分に振るっていた。

 定例で行われている歌のライブ配信がアーカイブに残らないのもその一環だった。


 不思議なことにユリナは件のスキャンダラスな動画をアーカイブに残したまま、静観する姿勢を見せた。

 彼女の『歌姫リリー』チャンネルは歌のライブを配信する生放送が主体である。

 歌のライブは原則、動画としてアーカイブに残らないことで知られており、希少性からチャンネル視聴者数を増やす要因にもなっている。

 一ヶ月に一度、月末の安息日に開催されることから、『歌姫のサバト』の異名でも知られていた。


 しかし、ユリナのライブはこの歌の活動だけに留まっている訳ではない。

 不定期ではあるものの雑談を主体とした視聴者とのコミュニケーションが目的のコンテンツだった。

 これらのライブは一部がアーカイブに残されている。

 歌姫の意外な一面を見られるとあって、ひそかな人気コンテンツともなっていた。


 件の動画はそこに投じられた明らかに物議を醸す一石だった。


「んっふふふ」

「…………」


 動画を何度も見ては御満悦といっただらしない表情を晒す愛妻を前にさすがの麗央もお手上げである。

 ユリナは自己愛の激しいナルシストではない。

 麗央に求められた事実が嬉しいあまり、力強い手で頭を押さえられて、キスをされたシーンを何度も巻き戻しては繰り返し、見るのを止めない。

 いささか病気であると疑われても仕方がない。


「ねぇねぇ、レオ。あれ、してくれる?」

「え、ええ?」

「嫌なの?」

「分かった」


 しかもある程度の回数を見終わると上目遣いでユリナはキスをせがむ。

 途中までは回数を数えていた麗央だったが無駄であると悟り、彼女の言うがままに口付けを交わすことに決めた。

 麗央は作業の手を途中で止められるのを嫌がって、躊躇っているのではない。

 ユリナと口付けを交わすと甘美な毒に侵されたような錯覚を覚え、集中しがたくなることを恐れてのことだった。


 どちらともなく、距離が近づき、まさに唇が触れそうになったその時、ユリナのスマートフォンが通知を知らせる軽快なメロディを鳴らした。

 ユリナは心の中で「ちっ」と舌打ちをしている。

 決して表に出さないのは見事という他ない。


ゼルゼノビアからの定例報告みたい」

「そっか……」


 二人の距離が零になる寸前でユリナが離れたことで、麗央はあからさまに落胆した表情を見せた。

 麗央の方が人間らしいとも言えるがそれも詮無きことである。

 麗央には日本人だった母親の血が半分流れている。

 ユリナは生粋のあやかしであることに加え、腹芸の一つも出来なくては生き残れない特殊な環境下で育ったのだから。

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