第82話 吾輩はフェンリルである②ボロ雑巾

 ちょっとした思い付きを実行するユリナの癖は、何も今に始まったことではない。

 麗央がまだ、子供と言ってもおかしくはない頃からの長い付き合いだった。

 当然のようにそれを理解していた。


 しかし、理解していながら、上手く付き合っている麗央は特別、要領がいい訳ではない。

 むしろ彼は人付き合いが下手な方だった。

 そんな彼がことユリナに関しては誰よりも理解し、彼女には理解されている。

 互いに高めあえるいい関係になっているのは不思議なことだった。


 イザークフェンリルはユリナの同母兄であり、彼女が生まれた時から傍にいる存在である。

 それにも関わらず、イザークは麗央のようにユリナを理解することが出来ない。

 ある程度は彼女の考えに思いを馳せ、沿うことが可能だったがそれにも限度がある。

 イザークは何よりも考えるのが苦手だった。

 直感で行動するところは良く似た兄と妹だが、相性はあまりいいと言えない。


 自由気ままに生きることを好み、それを許された地上の覇者。

 全ての魔獣の頂点に立ち圧倒的にして、破壊的な力を持つ大いなる白銀の魔狼は何よりも自由闊達を選んだ。

 そして、それを許されたのである。

 しかし、ユリナはそうでない。

 荒れ果てた冷涼な大地と呪われた民を統べる女王として、生きることを強いられた。

 友となったアスガルドの女神の影響もあり、やがて光によって生まれる影で策謀する冥府の女主人が誕生する。

 本質的な部分では良く似た兄と妹の性質という名の道はこうして、分岐したのである。

 だが、本質的な部分は変わらない。




 ゆえにイザークは考えない。

 ただ、ひたすらに思ったままに行動する。

 その結果、招いたのが屋上に生まれたままの姿で立ち尽くせざるを得ない事態だった。


 事の起こりはイリスとイザークが怪異専用の集合住宅に住むダリアを訪ねたことである。

 正確には訪ねたことが問題ではなかった。

 イザークに色々と足りないところがあると理解していなかったイリスとダリアが迂闊であったとも言える。


「つまり、どういうことなのである?」

「さっき説明しましたけどもぉ!?」

「あにさまはその……えっと、『一行以上の台詞は言えないのである』でござる」

「何ですの、それ。そんなことで今回の企画がうまくいくとお思いですのん?」


 まるで雪女を連想させる白一色の着物に身を包んだダリアが言葉遣いこそ丁寧なものの鼻息も荒く、切りだした。

 普段のライブ配信では彼女が見に纏うのは太腿が露わになる裾丈の短い白い着物である。

 だが、本来の彼女はあまり、肌の露出するを好まない。

 それでもライブで纏っているのはその方が、視聴者受けすると入れ知恵をした例の歌姫のせいなのだが……。


 ダリアは元々、奥ゆかしい性格の持ち主だった。

 人を恨み、世を恨み、怪異と化しても皿を数えるといった回りくどく、気付かれにくい行動しか取れなかったほどに。

 そのせいか、ライブの反動とでも言うようにプライベートではかつて、身に着けていた極力、肌を見せない着物で過ごしていることが多いのだ。


「大丈夫である。吾輩は天才である」


 床に寝そべり、大あくびをしたイザークが事も無げに答える。

 太陽は既に傾きかけていた。

 惰眠を貪る時間ではなく、の最中であるにも関わらずだ。


 見た目は既に彼がいた世界における本来の姿……巨狼へと戻りつつあった。

 サモエドどころの大きさではない。

 最も体高が高く、立ち上がれば二メートルを超えるアイリッシュ・ウルフハウンドすら小さく見える体つきである。

 光に反射する見事な銀の毛と爛々と輝く、黄金色の瞳は正しく狼の王に相応しい貫禄があった。


 しかし、鳥の三足とりのみあしという格言がある。

 イザークは本当に五歩の間に残念な頭の持ち主なのだ。

 それは忘れやすいといった記憶領域の問題だけではない。

 空気を読まずにしでかす被害の大きさはユリナに引けを取らなかった。


「吾輩。人の姿も取れるようになったのである」

「「!?」」


 故に彼は突拍子もないタイミングでやらかした。

 イザークも元の世界では人の姿を取ることが多かった。

 もっとも強大な力を発揮出来るのは獣の形態だった。

 肉体という名の枷が外れた姿なのだから、言わずもがなである。


 だが、代償とでも言うように

 その為、日常生活を送るのに勝手が悪い獣形態ではなく、人の姿を取る者が大多数だった。

 イザークも例に漏れず、その中の一人である。


「くんのおおお! へんたああああい!」

「hdkrf!?」


 変事に真っ先に体を動かしたのはイリスだった。

 イザークの宣言の後、朦々と立ち込める白煙の中から、姿を現したのは白銀の毛皮を持つ狼ではない。

 シルバーブロンドの髪をたなびかせた水も滴るいい男がそこに立っていた。

 ただし、一切の衣を纏わない生まれたままの姿で……。


 耐性がないダリアはそれを直に目にしたショックで茫然自失となった。

 しかし、イリスは違う。

 特殊な環境下で育ち、ハンターとして過酷な状況で生きてきた半人半妖である。

 反射的に体が動いた。

 イザークの急所を容赦なく、蹴上げただけではない。

 あまりの痛みに意識を失いかけたイザークがふらっとよろついたところをさらに容赦ない追い打ちをかけた。

 結果として、白銀から灰色へと色の変わったボロ雑巾が一枚出来上がった。


 適当に見繕ったシーツでこれまた、適当に隠したボロ雑巾はかくして、集合住宅の屋上へと無事に捨てられた。

 会議を阻害する要因が排除されたことで両チャンネルのコラボレーション企画が滞りなく、進んだのはまた別の話である。

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