第67話 備忘録CaseVI・光を避ける者と捕らえる者

 光宗回みつむね めぐるは数々の画期的な発明を実現し、世界の変革に大きな影響を与えた稀代の天才科学者であるとともに機械工学と生物工学の権威としても知られた人物だった。

 九十九年の天寿を全うし、その魂は神に愛されし者として天に召されたはずだった。

 表向きは……。


 実際にはそう見えるように政府機関が工作をしており、法的にも光宗博士という名の人間が存在しないことになっている。

 しかし、姿を変え、は生きている。

 見た目は小学校の高学年児童くらいと幼くなったものの天才的な灰色の頭脳は未だ健在である。


 彼女が人々の目が届かない世界へと逃げたのには理由があった。

 人類の発展に大きく寄与したがゆえに世間の目が厳しく、思ったような研究が出来ない。

 そんな状況に我慢がならなくなったがゆえ、考えついたのが己の死の偽装だった。


 光宗博士の背後に付いているのは環太平洋機構Pacific Rim Organization、通称PROである。

 元々、彼女の発明はPROの要求に応え、それを実現したものであると言っても過言ではない。

 PROの中枢を占め、世界の趨勢に多大な影響を与えている者は人ではない存在だった。

 実質的にPROを主導する若き統率者ダミアン・レフィクル。

 彼の者の正体が『光をもたらす者ルシフェル』であると聞けば、世界に住まう多くの人々が恐慌を来すことは避けられない。


 めぐるもまた、人ではない。

 『光をもたらす者』とは切っても切れない仲にある『光を避ける者ルキフゲ・ロフォカレ』であり、ヘブライ神族と呼ばれる『あやかし』の一部族に属する者だった。

 己の知識欲を満たさんが為に動いていた光宗博士にとって、転機となったのが本来、彼らが生きていた別の次元の世界から一人の少年との出会いに他ならない。

 その少年こそ、麗央であり彼を庇護する立場となった彼女は考えを大きく、改めることになった。

 ヘブライ神族とは異なる部族の血を引く、麗央という異分子との触れ合いはその後の世界の行方にも影響を及ぼした。

 そして、麗央を追って現れた新たな怪異こそ、世界を大きく変える力を持つユリナ達だった。


 ユリナが思い出したのはダリアやドロシアの器――人工的に造られた人造人間ホムンクルスを光宗博士に発注した後のことである。




「ワシ、とんでもないものを造っちゃったかもしれん」


 ある日、光宗博士がそれほど深刻な表情も見せず、衝撃的な告白をした。

 ユリナは光宗博士がこれまでにを知っている。

 殊更に騒ぎ立てる必要がないのか、落ち着いたものである。


「へぇ。今度は何をされたのかしら?」


 その時のユリナは話半分にしか聞いていなかった。

 麗央が作ったフワフワした舌触りの良い生地のパンケーキとバニラアイスに舌鼓を打つのに夢中だったのだ。

 多少の難事が発生してもどうにか出来る自信が、彼女の心にゆとりを持たせていたとも言える。


「それでのぉ。逃げられたんじゃ」

「ふぅ~ん」


 この時点においてもユリナの中で光宗博士の話題が大勢を占めることはない。


「逃げたのはのぉ……」

 

 めぐるが逃がしたモノの名をボソボソと呟くとそれまで我関せずの姿勢を崩さなかったユリナの顔に初めて、焦りの色が浮かんだ。

 そのモノは『捕らえる者ラゴウ』の名で呼ばれていた。

 正義を司り、相手が何者であろうと正義の戦いを行う。

 決して引かぬその戦いぶりから、闘神と恐れられたそのモノは何の因果か、光宗博士が造った戦闘型の試作人造人間ホムンクルスの中に入ってしまったのだ。


 戦闘型の人造人間ホムンクルスを造るにあたり、これまでのコンセプトを取り払った。

 即ち、見目の麗しさを捨て、性能面のみを限りなく追求した異形の人造人間ホムンクルスである。

 使われたの多さから、これまでの人造人間ホムンクルスよりもかなり大柄だった。

 それだけではなく存在がより怪異に近づいてしまい、見た目が醜悪になっていた。


 光宗博士はこの人造人間ホムンクルスにラテン語で契約を意味するパクトゥムという名を与え、仕上げとして考えうる最高の頭脳を与えた。

 精神に作用し、人間を凶行に走らせる怪異の仕業で市街地において、一般市民を巻き込んだ凶悪な事件が発生した。

 白昼、涎を垂らしながら二振りの日本刀を振り回す青年が客で賑わうショッピングモールで暴れ、現場に警察が到着するまでの間に多数の死傷者が出てもおかしくない状況だった。

 それにも関わらず、軽傷者が数名と死者が一名だけである。

 この時、命を失ったのは二十九歳の若者だった。

 彼が自らの命と引き換えに暴れる青年を取り押さえたので多くの犠牲者が出ずに済んだのだった。


 光宗博士はこの英雄的な死を遂げた若者の脳をパクトゥムに移植することを決めた。

 パクトゥムが正しき心を持ち、善き行いをするように望んだからだ。

 ところが理論上、動くはずだったパクトゥムが生命活動を開始することはなく、長らく研究施設の地下に封印されたままだったのである。


 そのパクトゥムが動いた。

 そればかりか、研究施設から脱走し、行方を眩ました。

 パクトゥムが期待した以上の自我を持ち、己の意思を持ったとしか思えない行動だった。




 ユリナは麗央とテラに介入した謎の大男こそ、パクトゥムではないかと考えていた。

 外見上の特徴が合致しているからだ。

 件の大男は別の場所でも目撃されていた。

 とある出版社に奇怪な日記の原稿を持ち込んだ男がまた、同じような特徴を示していた。


「まぁ、いいわ。ルナさん。例の件は保留で構わないから、あなたの弟さんを一日ってことで契約しない?」

「え、ええと……あの……それでよろしければ、構いませんわ」


 暫し瞼を閉じ、考えをまとめていたユリナは軽く、手を叩くとさも名案を思いついたと言わんばかりに口角を上げ、言い切った。

 唖然としたのは急に槍玉にあげられたテラとどこか置いてきぼりの麗央だった。

 さらに二人を唖然とさせたのはルナがほとんど逡巡せずに首を縦に振ったことである。


 ユリナにとって、八岐大蛇の問題はさして重要な事項ではない。

 な状態で野ざらしになっていた大蛇の肉体は、光宗博士を始めとした当代一流の技術者によるサイバネティクスで大方の復旧と強化が終わっている。

 失われていた足りない首も機械仕掛けの物が代用となり、既に調整が行われていた。

 もっとも足りない要素である核となる人間の捜索が難航しそうだった為、『タカマガハラ』の中枢にいたルナとの協力を必要としたのに過ぎなかったのだ。

 それよりも今後、悩みの種となりかねない異形の神々の思惑で出現したと思われる迷宮への対処が急務である。

 それゆえにライブで配信する迷宮走破に向け、テラを借りようとしたのだった。


 ルナにとっても契約内容の急な変更は渡りに船だった。

 八岐大蛇の一件は自分だけで判断を下せる案件ではなく、持ち帰るしかなかったが弟一人ので済むのなら、軽いものだと判断した。

 これまで散々苦労をさせられてきたのだから、これくらいは大した問題ではないと考えたルナは、考える振りをしていただけで実は二つ返事だったのである。

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