第65話 備忘録CaseVI・ハウステンピョス③月と呼ばれた少女

 茜色に大地を染め上げる太陽は未だ天に座している。

 残陽でありながらも勢いは少し、衰えた程度に過ぎない。


 運河に面したカフェのテラス席で互いを探るように対面する二人の少女の姿は傍目から見れば、一枚の絵画から切り取られたとでも言わんばかりに華があった。


 日本をほぼ勢力下に置き、世界をも席巻せんと勢いに乗った『歌姫ユリナ』は黙っていれば、陶器人形ビスクドールと見紛う整った容貌の持ち主である。

 スラブ系民族の特徴を色濃く、受け継いだ顔立ちはやや丸みを帯びた輪郭も相まって、美しい大人の女性というよりも可愛らしい顔立ちの少女と言った方がふさわしい。

 色素が薄いプラチナブロンドの髪と光線の加減により、アメジストに見える時もあれば、ルビーにも見える不思議な瞳が魅力を添えた。


 対面する少女もまた、美しい容貌の持ち主である。

 ユリナの顔立ちがスラブ系で西欧人らしく、陶器人形ビスクドールに近いとするならば、少女のそれは日本人形に似た要素が強い。

 しかし、その髪の色は日本人とはかけ離れた銀糸を思わせるシルバーブロンドであり、猫目に収まる宝石のような瞳はアメジストの輝きを放っていた。


「先に自己紹介した方がいいかしら?」


 先に動いたのはユリナの方だった。

 互いに探り合う視線は友好的なものとは言い難く、お世辞にも空気がいいとは言えなかった。


「私はユリナ。それともリリーと名乗った方が分かりやすい?」


 麗央がその場にいれば、ユリナの声色がいわゆるお仕事モードに入っているよそ行きの声であり、感情を隠していると気付いたに違いない。

 そう思わせるのに十分な心の内が見えない声だった。


「お目にかかれて光栄ですわ、歌姫。私は伊佐名月いざな るな。ルナとお呼びくださいまし」


 対する銀髪の少女――ルナもまた、一切心の小波を感じさせない見事な受け答えである。

 それもそのはず。

 偉大な両親、姉。

 さらには弟と家族に恵まれているルナはその細い両肩に重すぎる責任を背負って、生きている。

 猫を被り、己を偽ることにかけてはユリナといい勝負と言っても過言ではない。


「それではルナさん。単刀直入にビジネスのお話に入りましょうか?」

「いいですわね。私も回りくどい言い方より、直球の方が好きですわ」


 ユリナとルナ。

 似ているようで似ていない二人だがほぼ同じタイミングで僅かに口角を上げ、軽い笑みを浮かべた。




 環境が影響し、腹の探り合いをすることに慣れていた。

 それがゆえに出会いの印象があまりよろしいとは言えなかったユリナとルナだが、会話を交わしているうちに互いを多少なりとも理解する余裕が生まれた。


「グローリー社の全面的なバックアップも約束される。それにこの私がプロデュースするんだから! 売れるのは確実と思って。契約はそうね。これくらいでどうかしら?」

「それは助かるのだけど……見返りが必要でしょう?」


 ユリナがメモに書き記した数字の多さを見て、一瞬、その顔が引き攣ったルナだがすぐに現実へと立ち戻ると何事もなかったように切り返して見せる。


「大した見返りは要求しないわ。これはあなた達にとって……いいえ、この国にとって悪いことではないと思うのよ」

「んっ……これは。私の一存ではさすがに決められないですわ」


 数字の横にユリナが書いた『八岐大蛇』という単語にさしものルナの頬が引き攣った。

 ルナにとって、ユリナとの約定は何も失うことが無く、得難い物を得られるこれ以上ない好条件である。

 契約に従えば、姉であるそらを強制的にYoTuberデビューさせなければいけないが、それこそ願ったり叶ったりだったのだ。


 ソラは太陽の申し子であり、日の光の下でこそ輝きを見せる存在だ。

 それが何の因果か、太陽の光が眩しいと部屋に閉じこもり出てこなくなった。

 出てくる時は食事や入浴など、必要がある時だけの立派な引き籠りの誕生である。


 その姉の尻を叩き、性根を鍛え直すと宣言したユリナの自信に満ちた物言いはルナにとって、一条の光のように見えたのだった。

 しかし、八岐大蛇の文字があまりにも重い。

 彼女の理性が契約の一歩手前でストップをかけた。


「それも悪くないと思うわ。大変なんでしょ、あなた達のところも」

「それはその……ええ。まぁ、色々とありますから」


 どこか疲れ切った表情でそう零すルナの顔はあまりにも真に迫ったものだった。

 ユリナもそれ以上は無理に話を進めようとはしない。

 見た目通り、少女らしい会話を交わす雑談をする程度に留まっていた。

 その様子はどことなく、打ち解けた印象が強く、何者知らない者が見かけたら、二人が仲の良い友人関係にあると錯覚してもおかしくない。


「あら? 遅かったのね、レオ」

「何をしているのよ……てら


 それから、程なくしてからのことだった。

 どこかへと姿を消していた麗央がひょっこりと戻ってきた。

 その後ろにはユリナの見覚えが無い背の高い少年の姿があった。

 きちんとセットされていたと思しき、青みがかった黒髪は乱れ、マリンブルーのジャージ上下もやや着崩れている。

 何かがあったと察するのに余りある状況だった。

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