第62話 備忘録CaseVI・優雅な列車の旅、終わる

 幽霊列車零式は多くの死せる者を降車すると黄泉比良坂の駅を音もなく滑り出した。


 夜の帳が下り、深い闇の色に染め上げられた空を軽やかに駆け上がる。

 敢えて速度を抑え、ゆったりとした空の旅へと戻る幽霊列車は一路西へと向かう。

 未だ動きを見せない八岐大蛇の姿は徐々に小さくなっていった。


「気にしても仕方ないわ」

「そうなんだけどさ。気になるじゃないか」


 ユリナは座席を麗央の対面ではなく隣へと移し、彼に全体重をかけるようにもたせかかっている。

 まだ少年と言っても十分に通る幼さが残り、隠し切れないのが麗央という青年である。

 だが闘神の血を引き、勇者と呼ばれた過去は伊達でない。

 戦いの中に身を置いてきた猛者でもあり、肉体は見事に鍛え上げられたものだ。


 女性にしては百七十二センチとそれなりに高いユリナだが、スリムな体つきである。

 思い切り、わざともたれかかろうと麗央の体幹はしっかりしているので揺らぐことがない。

 ユリナは身を任せられる安心感に満足しているのか、停車時に見せていた不機嫌な素振りが嘘のようにご機嫌だった。


「でも、私の予想が正しければ……近いうちに動きがあるのではないかしら?」

「そうなんだ? 何か、確信があるのかな?」

「ふふっ。そんなのある訳ないでしょ? 勘なのよ、勘。女の勘は結構、当たるんだからね?」


 そう言いながら、もたれかかるだけではなく、ユリナが密着してくるので凶悪な二つの武器を押し付けられた麗央としては気が気ではない。

 意識をしないように考えれば考えるほど、よろしくない妄想が頭の中を駆け巡り、麗央の心を乱す。

 そんな麗央の葛藤を知ってか、知らずか、ユリナの攻勢は激しさを増すばかりだった。

 麗央にとっては終わったと考えていた生殺しの時間が再び、到来したとしか思えない。


「ねぇ、レオ」

「だ、ダメだよ、リーナ」


 ユリナにとってはこれとない好機である。

 無邪気な振りをして、何も知らない振りをしているがそれなりに知っている。

 非常にあやふやで全く頼りない知識ではあるが、本能で学んでしまっている。

 己の武器が何であるのかも十二分に理解していた。

 それを利用すれば世界で一番、愛する男が自分にしか見せない表情を見せてくれると既に学習済みである。

 必要以上に体を密着させているのもその為だったのだ。


「あねさまぁ~。びゅっふぇー、めっちゃ面白かったでござるよ~」

「げぷぅ。吾輩は満足なのである」


 予期せぬ援軍の到着である。

 食堂車に行っていたイザークフェンリルとイリスが戻ってきたのだ。

 少しばかりは女の子らしい言葉遣いに慣れてきたものの相変わらず、妙なイントネーションと語尾が抜けきれないイリスは未体験の連続に目を輝かせており、自分に機会を与えてくれた姉にその話を聞かせたくて、仕方ないのが傍目にも見てとれる。


 一方、日本スピッツほどに体躯が成長したイザークだが普段の怠惰な生活に加え、食堂車での無理な飲食が祟り、真上から体を見ると真っ直ぐな寸胴体型と化していた。

 完全に堕落した牙を抜かれた野獣である。


 しかし、一人と一匹が戻って来たことでユリナは興を削がれたと感じていた。

 先程まで麗央に見せていた甘える仕草を嘘のように封印すると風を装い、麗央との間に適度な距離を保つ。

 あまりの変わり身の早さに置いてきぼりを喰らった麗央はただただ困惑するばかりだった。


 それから二座席を占拠し、高いびきをかいて惰眠を貪るイザークに辟易した三人は少し離れた位置の座席に移る。

 本来、座席は予約制で自由に動くことを許されていないのだが、彼らは言わばである。

 特例を許される立場にあり、車掌も黙認していた。


 これでようやく、安心した旅が送れるとユリナが思ったのも束の間である。

 今度はイリスの初体験トークが止まらない。

 イリスの境遇を知っているだけにユリナと麗央もついつい彼女の話を親身に話を聞いていた。

 そんなこんなで彼らはいつのまにやら、目的地に到着する。


 思い描いていた優雅な列車の旅とあまりに剥離した現実に暫くの間、ユリナの機嫌が悪かったのは言うまでもない。

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