第61話 備忘録CaseVI・八岐大蛇
「そういうのを負け惜しみって言うのよ、レオ
そう言い出したユリナの瞳に麗央は確かにキラキラと輝く星とハート模様の幻を見た。
「あれ?」と我が目を疑い、麗央は慌てて、目を擦る。
「どうしたのぉ? 聞きたくないのぉ?」
決して麗央の気のせいではない。
なぜか舌足らずで甘ったるい喋り方をしているユリナの瞳が車内の照明と窓から射しこむ陽光を浴び、怪しげな光を放っていた。
麗央の本能が危険を知らせる。
この状態のユリナはもう止められないと……。
「あ、いや。そうだね。う、うん。聞きたいかな」
「そうよねぇ? 知りたいよねぇ?」
ちろりと舌を出し、軽く舌なめずりするユリナの姿はとても蠱惑的だが、麗央にとってはこれから、苦痛を伴う時間が始まる報せでもある。
一旦、スイッチが入ったユリナは決して、止まらない。
「レオはどこから、分からないのかしら?」
「日本の神々はどうなっているんだい?」
「質問に質問返しするの?」
ユリナはそう答えながらも機嫌がいい。
やや長い停車時間となり、多くの客が降車したことで人目がなくなったからだ。
再びその長い足を麗央の方へと伸ばした。
足の指を器用に動かし、太腿をリズミカルに刺激してくるユリナの
「教えてくれないのかい?」
「ひゃぅ」
麗央はユリナの足を
先程までの強気の姿勢はどこにいったのか、ユリナは軽く混乱を
麗央はユリナの
少し動いただけでも目の毒になるほど、艶めかしく揺れ動く豊かな双丘の持ち主であるユリナが常日頃から、肩凝りに悩まされていることを知らない麗央ではなかった。
「教えてくれないのかな?」
「お、教えるからぁ、そこはダメだってばぁ」
軽く肩で息をしていたユリナは、どうにか息を整えると編み上げブーツを履くことにした。
これ以上、攻めに転じようとすれば、己の方が無駄に消耗すると理解しているからだ。
それでもその間中、麗央へと恨めしそうな視線を向け、抗議する姿勢は忘れていない。
麗央が一切、動じた様子を見せないので効果が出ているとは言い難かったが……。
麗央はユリナとのこうしたやり取りを日常的にこなしていある。
どう対応すればいいのかを実地で学び取ったがゆえに出来る芸当だった。
だが、真実はそれだけではない。
ユリナは麗央が己に向けてくれる表情を自分だけのものだと思っているのと同じように麗央もまた、ユリナが自分にだけ見せてくれる表情を独占したいと思っているからだ。
足ツボの痛みに耐えきれず、思わず跳ねたことでユリナのたわわに実った狂暴な果実が蠱惑的な動きをしていることも麗央を惑わせるのに十分だったが、それ以上に僅かに瞳を潤ませ、桜色に上気した彼女の顔に心を掴まれているせいだった。
「
「くっ。わ、分かったわよ。教えれば、いいんでしょ。もうっ!」
自分に向け、白い歯を見せながら爽やかな笑みを浮かべてくる麗央にユリナはぐうの音も出ず、降参した。
これ以上の無駄な抗戦は無意味でないにせよ、有意義ではないと判断したのだ。
「レオは日本の神々の
ようやく普通に教えるつもりになったユリナは語り始めた。
母親が日本人だった麗央は日本で普通の人間として、生きていた時期がある。
母親の実家が神職の家系にあったことも影響したのか、それなりに勉強していたつもりの麗央だがユリナの話はそんな麗央の常識を全て、根底から覆すものだった。
何者かの手によって意図的に捻じ曲げられ、人々の記憶から消されてしまった真実だ。
現在の日本を人知れず治め、脅威から守っているのは天津神と呼ばれる神族である。
霊的防衛の特務機関『タカマガハラ』を創り、主導していたのは伊邪那岐、伊邪那美を筆頭とした天津神族の血縁によるものだった。
彼らが姿を消した現在、その穴を埋めるように現れた
しかし、ここで重要なのはかつて極東の日出国を治めていたのは天津神ではなかったという
国津神の名で知られる日本土着の神々が本来の守護者だったのだ。
八つの頭と尾を持ち、小山のような巨躯を誇る大蛇の姿をした大神が日出国を守護する存在だった。
この雄々しくも尊大にして、孤高の大神の名は八岐大蛇の伝説として、世に知られている。
悪逆の限りを尽くす化け物が天から流れてきた天津神族の勇士によって、退治される神話に改変されて……。
真実は違う。
西方の神族と関りが深い天津神の侵略行為により、霊的防衛の要だった八岐大蛇が
神々と神々の熾烈な争いの果てに起きた悲劇だったのだ。
斃れた八岐大蛇の巨体は黄泉比良坂に近い地で長き時を晒されたまま、無為の時を過ごしたがこれに異を唱えたのが
彼ら国津神は先の世において変が生じることを憂い、自らの命を代償として八岐大蛇を復活させようと計画した。
大国主、木俣神、事代主、火明命、下照比売、大物主。
以上の六柱が八岐大蛇復活の為、命を捧げたが二柱足りなかったのである。
彼の者の復活を快く思わない天津神族の姦計により、八柱の神々の命を代償に完全なる復活とは至らなかったのだ。
辛うじて生命を長らえていた。
いわゆる仮死状態にあったのだ。
ここに六柱の神々の命が投じられたことで八岐大蛇は己の意識を取り戻すまでには回復の兆しを見せた。
しかし、
時を忘れるほどに長く、眠りについた為、完全な自我は失っている。
潜在意識で日本を守ることしか覚えていない状態だった。
ここに一石を投じたのが麗央の養母である光宗博士だ。
いわゆるサイバネティクスで構築された機械化された二本の首である。
足りないのは自我がない八岐大蛇を操ることが出来る血を持つ者……。
「そうだったんだ……」
麗央はいささかの同情を禁じ得ず、動きを見せない物言わぬ骸の如き小山を見やるのだった。
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