第21話 備忘録CaseII・私刑

 全身が凍るような錯覚とともに勇は再び、目を覚ました。

 冷たい水をかけられたせいだった。

 そして、目を覚まさなければよかったと後悔した。


「魔女を殺せ」

「村長の仇だ! 殺せ! 殺せ!」


 自分のことをメアリーと呼んだ少女だけではない。

 たくさんの人間に取り囲まれていた。


 彼らの目に浮かぶのは憎しみと殺意に満ちた狂気の色だった。

 その色は勇自身がよく知っているものだ。

 鏡に映った己の目が宿していた色に他ならないのだから。




 勇は思い出した。

 庵に入ってきた若い男にいきなり、顔を殴られた。

 普段の自分であれば、痛い目を見るのはお前だとばかりに何の苦も無く反撃していた。

 だが、今の自分は夢の中でどこか遠い外国の女になっている。


 この時点で勇はまだ、冷静な判断力を失ってはいなかった。

 殴られた衝撃でやせ衰えた体は軽く飛んでおり、襲撃者との距離が離れたのを幸いに脱兎の如く、逃げ出すことにしたのだ。

 勇がそのような行動に出るとは思っていなかったのか、少女と男は泡を食ったように焦るが、そんなことをお構いなしに勇は痛む手足に鞭打って、駆け出した。


 扉から表へと逃げ出すとそのまま、逃げようと走り出す。

 森の中の庵だったらしく、うら寂しい見慣れぬ森を裸足のまま、勇は必死に逃げようとした。


 しかし、あの時、殴られてそのまま、おとなしく捕まっていた方がだったのだ。

 再び、飛び交う怒号とともに自分が思っていた以上の人間に追われていることに勇が気付いた時にはもはや、手遅れだった。


 メアリーという女の体は痩せさらばえており、とても逃げ切れるような体力を持ち合わせていなかった。

 また、追跡する者らがたがの外れた行為に出てくるとは考えもしなかったからだ。


「魔女がそっちに行ったぞ」

「逃がすものか」


 怒りに満ちた目で追いかけてきた若い男達は容赦なく、勇を痛めつけた。

 まるで狩猟をするように勇を追い詰めながら、痛めつけること自体を楽しんでいるようでもあった。


 木製の大きな杖状の鈍器で手や足を思い切り、殴られ骨を折られる。

 倒れ込みそうになったところに渾身の打撃を喰らい、あばら骨が何本かやられたとやはり、他人事のように勇は感じていた。

 ボロ雑巾のようになるまで彼らの暴行は続き、ついには意識を失ったのだ。




 やがて彼らの一人が太い縄を持ってきた。

 「殺せ! 殺せ!」と狂ったようにシュプレヒコールが起こる。


「魔女メアリーはどうするべきか?」


 リーダー格らしい大柄な若い男がそう問いかけると「死刑だ! 死刑だ!」と再び、シュプレヒコールが巻き起こる。

 勇は「やめてくれ。俺は魔女じゃない」と叫ぼうとするが何度も殴られ、腫れあがった顔と無惨に折られた歯がそれを邪魔する。


 「あなたもやめてと泣き叫ぶ子を魔女って、殺したよね? どう思う? ねぇ?」と耳元で囁くような女の声がした。

 勇はその声に聞き覚えがあった。

 昨晩、何となく耳に入ってきた歌の声だということに……。


「判決。魔女メアリーはフィリップ殺害の罪により、絞首刑に処す!」


 男の上げた声にこれまで他人事のように感じていた勇の心を見の竦む恐怖が支配していった。


 勇の首に太い縄がかけられた。

 決して外れないようにきつく結ばれた縄が勇の首に食い込み、血が滲む。

 そして、引きずられるままにの傍に立っていた大木へとその体が引き上げられていくのだった。


 苦しい、助けてくれ、違うんだという勇の叫びは誰にも届いていない。

 「苦しいよね? 助けて欲しいよね? どうするの?」と無駄にもがく勇の耳元で再び、女の声がした。


(許さねえぞ、こんな夢。絶対に認められるか。俺は間違ってない)


 勇は結局、最期まで罪を認めることがなかった。

 正しいことを行っていたと自らを正当化し、被害者に哀悼の意を捧げることもない。

 そして、逝った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る