第二章 不穏
第8話
異世界イグドラシル・ウルズ帝国東方海岸線まで五キロ地点。
月明かりが唯一の光源となっている深い森を、低空で飛ぶ影があった。
ミーミル王国製ハルクキャスター、SCM-22〈ルプス〉。丸い装甲形状の灰色の機体で、最初期に開発されたハルクキャスターである。とはいっても当然、初期生産型ではなく、あくまでカテゴリーが第一世代となっているだけであり、近代化改修により性能は現在主力である第二世代型の〈ハイドラ〉に引けをとるほどでもない。地球では現在あまり確認されていないものの、ミーミル王国では未だに配備数の半数を占める機体である。
「くそっ、ウルズのやつら…!」
〈ルプス〉の操者(イグドラシルではハルクキャスターのパイロットをそう呼ぶ)は知り得た情報を反芻し、その度に悪態をつき、内心で焦燥と憤慨を感じていた。
彼の役目は斥候である。
イグドラシル連合はミーミル王国、ウルズ帝国、フヴェルゲルミル連邦により成り立っており、無論三国は友軍として、同盟国として関係を持っている。
しかし、どの国も、互いの国に気を許しているわけではない。地球と交戦状況にある中でも、他国の出方を窺っている。特にウルズ帝国は、ミーミル王国、フヴェルゲルミル連邦両国が一層気にかけている存在だった。
帝国として皇帝を最高位に据えている軍事国家であるウルズに、皇族という概念はない。地位とは与えられるものではなく、力ある者が得るものである。その思想の下、一〇年に一度行われる『選定の儀』と呼ばれるバトルロイヤルを経て、その上位者が重要な地位に着くというシステムをとっている。
そんな実力主義の軍事国家を心の底から信じることなど、両国にはできなかった。
むしろ、この戦争終結後、ウルズ帝国はどう動くのか。その動向が最大級の懸案事項になっているのである。
操者の男は何度も後方を確認しながら、追っ手を確認する。その度に、静寂な暗い森と空を視界に収め、しかし安息を得ることはできずにいた。
何かがいる。誰かがいる。俺を見ている。
そんな、幽霊に怯える子供のような恐怖心が、ずっと拭えなかった。
「早く、このことを、陛下に……っ!?」
疲れているわけでもないのに荒くなる呼吸の中で、何気なく呟いた瞬間、
『いい夜ね』
声がした。
低空で飛びながら周囲を見回すが、何も見えない。
『こんな夜はいい男と愛を語り合ってみたいものね』
若い女の声だった。
再び周囲を見回すが、やはり何も見えない。レーダーを確認するが、機影やそれに準ずるものは一切感知できない。
『耳元で、奏でてほしい――』
艶のある声は止まらない。まるで男を誘う娼婦のように、もしくはやる気のない独り言のように、言葉だけが、男の耳に届いていた。外部スピーカーによる音声を収音したものではない。直に機体の回線に割り込み、わざわざその声を聞かせている。
「――っ!?」
男は悪い予感を察し、機体を上下反転させて、背泳ぎのような体勢で〈ルプス〉の腕を翳した。そこから白い光の障壁が現れ、機体を守るための楯として展開された。
その表面で、火花が散った。
何か黒いものが、機体に覆い被さるように存在していた。その〝黒〟が持つ何かが、展開されたばかりのバリアと衝突し、火花を散らしているのだ。
まるで闇の中から抜け出したように現れたのは、間違いなくハルクキャスターだった。黒い背景に黒いシルエットとなって浮かぶ機体は、〈ルプス〉のカメラアイから月の光を奪うように、すっと顔を近づけた。
『あなたの、断末魔をね』
〈ルプス〉が一気に弾き飛ばされた。そのままの勢いで暫く滑空し、やがて深海のように暗い森の中に吸い込まれ、すぐに派手は音を立てて木々を薙ぎ倒し、水切り石と化した。
一〇〇メートル以上滑ってやっと止まると、操者の男は暗闇から現れた機体を見ることができた。
一言で言えば、
その姿を見て、男は自ずと呟いていた。
「ミスティルティン……、パーシヴァルか!」
機体の特徴から操者を特定した男は、みるみるその顔を絶望に染めていった。
パーシヴァル。
ウルズ帝国に存在する一二人の騎士――政治家でもあり軍人でもある、生きた軍神とも呼ばれる傑物のひとりである。
『さぁ、かわいい声で、
妖艶に響く女の声。隠しきれない喜色が混じっているのは、戦闘行動への愉悦故か。
パーシヴァルのことを詳しく知らない操者の男には、それはわからない。そもそも、それを知ることに意味などない。
なぜ騎士がこんなところにいるのか。
それこそ単純な図式だった。
ウルズ帝国の情報を持ち出そうとする自分。
そのウルズ帝国の重鎮がここまで追ってきて、攻撃を仕掛けた。
『せいぜい粘って、わたしを満足させなさい』
黒い機体が暗闇に紛れるように、輪郭が薄くなり、やがて見えなくなった。
(殺される…!)
男は初めからわかっていたことを、改めて心中で叫んだ。
『この〈ミスティルティンツヴァイト〉の、相手が務まるようにね』
声が響く中、男は機体を翻し、高速で飛び出した。
勝てるわけがない。
だったらとにかく逃げるしかない。
結論は早かった。
しかし、同時に遅すぎた。
パーシヴァルに出会った時点で、すでに逃げることなど不可能なのだから。
ガンッ!!と機体に衝撃が走る。
気づくと、〈ルプス〉の右腕部が欠損していた。何をされたのか、撃ち抜かれたのか、近づかれて斬られたのかもわからない。レーダーには何も映らなかったし、今も何も反応がない。カメラにも何も映っていない。強力なステルス能力であること予想できるが、これはあまりにも異常な事態であった。
ガンッ!!とまたも衝撃に襲われたときには、今度は両脚が膝下から欠損していた。
『ねぇ、さっきからわたしばかり動いてるじゃない』
闇夜に紛れる姿なき声だけが、男の耳に届く。脳髄に直接語りかけているのではないかという錯覚すら覚える、恐怖を煽る音色。
操者の男は機体の周囲に光の球体を出現させた。
別にパーシヴァルの言葉に触発されたわけではない。ただ、このままじっとしているだけでは死を待つだけだと、行動に出た結果だった。
〈ルプス〉の周囲に現れたのは、白い光を放つ五つの魔力弾だった。
その魔力弾を、不規則に撃ち出し、周囲に撒き散らした。
森の木々が薙ぎ払われ、着弾点では魔力弾――高密度に圧縮されていた魔力素の塊から、小さな魔力弾が弾き出され、森を蹂躙していった。
まるで散弾のように――否、それ以上の攻撃範囲をもって、姿の見えない敵に攻撃する。
しかし、手応えがない。
〈ルプス〉の残っている左腕が前方に掲げられ、掌から身の丈の半分ほどもある、二重円環の中に一二芒星を模った魔法陣が、白い光を放ちながら現れた。その中心で、同じく白い球体が、みるみる大きさを増していく。
光条が迸る。
強力な砲撃魔法である。
射線上の空気を押しやりながら、森の中に光の柱が突き刺さった。木々だけでなく、土が空高く舞い、風景を一瞬にして変えていった。
それに留まらず、男は〈ルプス〉の腕を横方向に動かしていく。それに伴い、砲撃が地面を薙ぎ払いながら追従していく。
四五度ほどの弧を描いたところで、砲撃は止んだ。
森はすっかりその姿を変え、〈ルプス〉の周囲には無残に薙ぎ倒され、折られ、細かく砕かれた土を浴びた、全く別の森となった。
だというのに――。
『あら、もう終わり?』
女の声色は、何一つ変わってはいなかった。
『早すぎる男って、サイテーよ』
そう、何事もなかったかのように、語りかけてくるのだった。
ガシン―――ッ!!
三度目の、一際大きな衝撃がコックピットを揺さぶった。
コンソールに目を走らせ、機体状況を確認する。
右腕欠損。両脚膝下欠損。
そして、―――臀部破損。
メインモニターに、初めに見た黒い機体が映った。赤い目が、男を射抜く。
『もう、楽しめそうにないわね』
〈ルプス〉のコックピットにミシミシ、と振動が伝わった。男には何が起こったのかわからなかったが、少なくとも自分の命の灯が消えかかっていることだけは悟ることができた。
『さようなら』
その言葉を耳にした直後、男の意識は刈り取られた。
黒い刃が、〈ルプス〉を下から上に、機体の中心を綺麗に両断した。
蝙蝠のように黒いハルクキャスター〈ミスティルティンツヴァイト〉は、その頭部を、落下して森に身を沈める〈ルプス〉の残骸を追うように動かした。
暗くてあまりよく見えないが、両断されたコックピットが赤暗くなっているのが見えた。
〈ミスティルティンツヴァイト〉のコックピットで、女が笑う。
シートに座っているとはいえ、下に着きそうなほど長い、細い三つ編みを更に編んだ螺旋状の黒髪に、目には濃いアイシャドーという容貌の、最強の一角。
「パーシヴァルよりアヴァロンコントロール、ネズミの駆除は完了した」
『アヴァロンコントロール了解。帰投願います、パーシヴァル卿』
短いやり取りを済ませた後、黒いハルクキャスターは闇夜に紛れ、消えていった。
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