第3話
ブリーフィングルームには、現在五〇名近い人数が所狭しと着席していた。
「―――という性質を持っているわけだが」
室内は暗く、正面スクリーンに映し出された多種多様な図解が忙しなく切り替わっている。
「単純な質量での破壊力、という意味では単位質量当たりで地球の徹甲弾に劣っている」
それを説明しているのは、長い黒髪と整い過ぎた顔立ち、今は青いMUFの軍服を着ているフィオナ・フェルグランドであり、彼女の凛とした声が室内に響いている。
現在、フィオナによる魔法及びハルクキャスターに関する講義が行われている。僕もそれに参加している一人であり、技術開発チームやパイロットに限らず、整備班も参加し、最前列には高遠司令がいつものニコニコ顔で参加している。
今日で四日目になるこの講義は、高遠司令から参加を命令された二六名に加え、毎度毎度、その倍近い参加者が、彼女の話に傾注していた。強制参加は一部のパイロットと、直接ハルクレイダー開発に携わっている技術陣で、自由参加者の中には直接関係のない車両整備や、なぜか最後尾には軍属である掃除のおじさんまでもがフィオナの話を聞いている。
「高速直射弾の場合、術者にもよるが、最低でも一〇〇〇から一二〇〇メートル毎秒は出ている。速度による運動エネルギーに加え、魔力素が衝突した瞬間に内包している大量のエネルギーを連鎖的に熱エネルギーへ変換する。つまり、仮に高度な耐熱材料が対象となっている場合、通常の装甲ダメージよりも二割から三割程度魔力弾の威力を低減することが可能になる。あくまでも、理論値だがな」
ただ、ほとんどの内容が難しすぎるのが問題といえば問題かもしれない。
「そして、制御についてだが、これは式を見てもらった方がわかりやすい」
スクリーンにびっしりと、数式が、かなり細かい字で、ずら~~~~~~~っと全部で二〇行くらい書かれていた。∫とか∬がいっぱいついてるし。うわっ、下の方に座標変換とかあるよ。ベクトル表記してるからこの長さで済んでるけど、それでもすごく長いし。
「これはほんの前段の部分なのだが――」
こんだけ長くて前段かよ!とか思わずつっこみたくなる衝動に駆られたが、なんとか我慢する。
「ここで使われているのがナビエ・ストークス方程式であり、魔法使用前の近似計算ではよく重宝している。ちなみに、この三行下の不定形の計算時に正負が逆転するので、積分した後に間違える初心者がよくいた。……話が逸れたな。で、さらに下、この対気速度Vについてだが――」
なんだか大学の流体力学みたいだ。そこではこんな馬鹿みたいに長くて複雑な式は出てこなかったけど。僕も理系大学出たから言葉の意味はなんとなくわかるというかちょっと懐かしいけど、やっぱり難しいものは難しい。
そのせいもあってか、室内には二つの反応が見られる。
一つはフィオナの発言一つ一つに関心を見せ、食い入るようにスクリーンを睨み、時折頷いている技術チームの面々。高遠司令も顎に手をやりながら最前列で楽しそうに聞いている。
もう一つは知ったことではないとそっぽを向いたり、逆にフィオナを睨んだり、とにかくこんなところから早く出たいと言外に語っているパイロット中心の面々だ。
単純な構図だった。
イグドラシルの技術に対する興味と、仲間を殺された怒りや敵であるという意識。そのどちらが勝っているかという問題だった。
高遠司令の説明もあり、技術開発に関わる人間はどちらかといえばフィオナを歓迎していたが、先週の横須賀基地での戦闘で戦友を失ったパイロットたちは、まるで親の敵でも見るようにフィオナを毛嫌いしてきた。
ただし、この技術陣、パイロットという構図は絶対ではなく、フィオナを嫌っていないパイロットもいるし、逆にフィオナの顔を見ることすら嫌悪している技術屋もいる。フィオナに好意的なパイロット筆頭が、二機のハルクレイダーの内の一機、大破した〈ペルセウス〉のパイロットである
大破した機体に乗っていたのに無傷という、ある意味人間離れした人だが、そんな芦原大尉はフィオナを初めて見たときに「一〇年、いや五年後にもう一度会ってみたいな」と何やら唸っていた。
あれは歓心から来る言葉だろう。今は僕の隣で寝息を立てているけど。
対照的に、僕の後ろからはあからさまな舌打ちが聞こえてきた。反抗的な戦闘機パイロットたちだ。
僕はそういう雰囲気が嫌いだ。好きな人なんていないだろうけど、この空気が、僕の胃をキリキリ締め付けてくる感覚がして、ついでに肺の空気に淀みができたような気がして、とにかく気分が悪かった。
「―――というわけで、魔法射撃についての話はこんなところだ」
いつの間にか、フィオナの講義が終わっていた。
時刻は午前一一時五八分。そろそろお昼ご飯の時間だった。
一二時一五分、ここは横須賀基地第二食堂である。なんで『第二』食堂なんてものがあるかっていうと、単純に人が多いからだ。司令・管制部に各種パイロット、陸戦ユニット、整備兵だけでなく、広報に研究開発部、医療部、警備部、購買部(食堂管理はここ)、あと細かいのがいくつかあるけど、覚えていない。とにかく、この基地内には戦闘・非戦闘要員含めて三万人近い人間が働いている。別に全員が全員食堂を利用するわけじゃないだろうけど、この第二食堂は八〇〇席あるのにもうほぼ満席だ。
ここは主にパイロットや整備関係の人間が、立地的に多く集まっている。
整備班班長である初老の男性、郷田鉄宏技術大尉が皺の深い顔で蕎麦を啜っているし、僕の隣では芦原大尉が特大神盛りカレー(芦原大尉専用メニュー)を食べている。
「いやー、頭使った後ってのは、やっぱり炭水化物の摂取が必要だな」
もっともらしいことを言っているつもりであろうが、単に「美味い」と言っているだけである。
「ずっと寝てたじゃないですか」
僕はジト目で隣の大尉に言うが、当の本人はそれを無視してカレーを口にする。まるで学生街にある名物店の特盛りカレーみたいに山になっているご飯は見ていて逆に気持ち悪い。この皿なんて、もう洗面器じゃない?
「というか、よくそこまで食べられますね」
「涼華ちゃんに頼み込んだからな」
スプーンを止めることなく、芦原大尉は答えた。
ちなみに、涼華ちゃんというのはこの食堂に勤務している東雲涼華さん(二七歳)のことである。
それはさておき、と僕は首を伸ばして周囲を見回す。
(フィオナ、遅いな……)
フィオナは毎度、講義の後片付けをしているとのことで、少し遅れて食堂にやって来る。
三日前、最初の講義の後は僕を呼びつけて後片付けをさせていたのに(それをすんなりと承諾する僕も僕だけど)、二日目以降は彼女独りで片づけをしていた。僕が手伝おうかと呼びかけても、「お前は昼飯でも食べていろ」と断られた。
それでも、いつも食堂の同じ席で昼食を摂っている僕と芦原大尉の傍で、遅れながらも焼肉定食を平らげているのだ。
だというのに、今日はまだ来ていない。いつもは添え物の野菜を押し付けてくるフィオナとの押し問答が繰り広げられているはずの時間なのに、その姿が全く見えない。
そうこうしているうちに、とうとう昼休みが終わってしまう時間になった。
午後からはずっとシミュレーターに入り、〈アルフェラッツ〉での戦闘訓練が続いた。実機は修理中なこともあり、初陣以降、僕の戦闘訓練はシミュレータのみだ。シミュレータならば、なんとかなっている。
いつもは複座の後部シートにフィオナが座っているのだが、今日は技術チームに呼ばれているとのことで、僕一人での訓練になった。
帰るときも、僕は一人だった。
普段はフィオナと一緒なんだけど、彼女はまだ研究棟に詰めているようなので、先に帰って夕飯の準備をすることにした。
途中で冷蔵庫の中身に不安を覚えた僕は、スーパーに立ち寄って買い物をした後に、マンションの扉を開けた。
玄関で靴を脱ぎながら、今日も疲れたな、なんて呟く。
日常的な繰り返しであるはずなのに、それでも言わずにはいられない。同年代はまだ学生をしているのに、僕はこうして軍人をやっている。それ自体は僕が決めたことなので文句を言うつもりはないが、世のサラリーマンも同じことを感じているんだろうか、などと一八歳らしからぬことを考える。
冷蔵庫に直行し、手に提げているビニール袋から卵のパックと鶏もも肉、二リットルのスポーツドリンク、焼肉のタレを取り出して冷蔵室に仕舞う。それから五割引で買った冷凍食品を冷凍室へ。
そこでハッとなり、シンクの脇の戸棚へと身を翻し、勢いよく扉を開く。
そしてほっと胸を撫で下ろす。
「二週間前に買ったんだっけ」
料理酒の存在を確認し、あーびっくりしたー、と独りで呟いた。
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