第9話
二人のパイロットが消えた後、執務室の童顔司令官と細面の眼鏡副司令は、目を合わせていた。高遠慎哉は唇の端を吊り上げて。相模桧杜は表情をやや強ばらせた状態で、である。
「いつぶりに会ったのかな?」
「なんのことでしょうか、司令」
ふざけているようにも見える微笑の司令が見上げ、それを受け流すように、眼鏡のブリッジを指で触れる副司令。二人とも、元来思慮深く、本心をさらけ出すタイプではない。如何に自分の手札を見せずに相手の切り札を出させるかを思案する人間であり、違いといえば片や無害な笑顔と、片や強ばった鉄面皮によってその本性を隠しているところにある。
互いが互いを警戒していた。それは敵かも知れない、スパイかも知れないと疑っているわけではなくて、単純に心の中、思考を簡単に読み取られたくないという意識が働いた結果であった。
「知ってるかい?この前にとある学者の論文に目を通したんだけど――」
世間話の体で、唇の形を先と変えずに高遠が語り始めた。
「幼少時に父親とのキャッチボールをしたことのある男性は、無経験の男性よりも犯罪率が約四〇パーセント低いらしいよ」
その言葉に、相模は表情を変えることなく、私見を述べた。
「その
高遠は上から落ちてくる言葉を聞いて、ハハハ、と小さく笑う。
「でも、マクロだけじゃミクロを語ることはできない。その論文だって、一応それには言及しているよ。一辺倒な視点で語っているとは僕も思わなかったし、それくらい君だってわかっているはずだよ?」
高遠は自分の話したいことから論点がずれているということを自覚しながらも、こうした返答をした。本当に聞きたいことを、本音で聞き出すには、意識させないことが大事だ。それをわかっているからこそ、高遠は初めに『自分が言いたいこと』を『予想しやすい』言葉で投げかけ、相手が躱そうとするのを『敢えて邪魔しない』でいる。そこでカウンターを仕掛ける。まるで綱引きの時に一瞬綱が緩められてバランスを崩してしまうように、逃げ道を敢えて残しておくのだ。特に攻めていないのに、自分の力で転倒してしまう現象と同じ事を起こすために。そのための話題ならなんでも構わない。第一、高遠はそんな論文を読んだことがないし、あるかもわからない。結果だって知らない。でっち上げの内容であり、つまり話題など本当になんでも良かったのだ。
相模もそれはわかっている。高遠が言いたいこともだいたいわかる。しかし、綱引きで相手が一瞬綱を緩めるとわかっていても、それを利用して勝利しようとしても反応が難しいのと同じように、隣に立つ笑顔の司令から逃れることの困難さを理解していた。
そして、本音を零すかもしれない自分を、内心で恐れていた。
「見てもいない論文を非難するというのも、些か著者に失礼でしたな」
相模が慎重に言葉を選び、当たり障りのない普通の会話を心懸けた。しかも、あまり会話の弾まない方向へ持っていくことも忘れていない。
しばらく間が空いた。高遠のターンに回っているにも関わらず、決して高遠は喋らず、ただ腕を組んでいるだけ。何かを考えているようにも、もう諦めたようにも見えた。
「言葉って、難しいよね」
たっぷり間の空いた後の、少年のような上官の言葉に、相模は返答に窮した。これは先の会話の続きなのか。はたまた、別の話なのか。そもそも、これは自分に投げかけられた言葉なのかもわからない。
「伝えれば、言葉は届くけど、届けたい気持ちがそのまま伝わるとは限らない」
高遠は相模の顔を見ず、正面を向いたまま紡ぎ続けた。
「それに怯えて言葉を恐れると、今度は何も理解してもらえない。でも、やっぱり怖いんだろうね。想いが曲がることと、伝わらないことを天秤にかけた時、どちらに傾くかはその人次第」
「司令の経験談、ですか?」
相模がなんとなしに尋ねると、高遠はさっと顔を上げて、横へ傾け、
「君の、じゃないかな、相模副司令?」
高遠の口はいつものように微笑んでいる。しかし、目は細められ、その結果、全てを見通しているように、批難しているように、憐憫を向けるように、はたまた慈愛を向けるように、どうとも取れ、どうとも取れない表情を、司令官は一〇以上年上の副司令官へ向けた。
相模はまるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。呼吸すら忘れそうなほど、唾液の嚥下さえ大きく聞こえるほどに。
ふと、高遠の表情が崩れた。
それを経て、相模も呪縛から解放されたように、筋肉が弛緩した。わからない程度に大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「さて、世間話ばかりしてると、部下にも示しがつかないね。お仕事お仕事」
何事もなかったかのように、司令官は手元の端末を操作し、上がってきた報告書に目を通し始めた。
相模はもう一度大きく、今度は高遠にもわかるほどに息を吐くと、電子ボードを掴み、技術部からのレポートに目を通し始めた。
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