第4話
顔面に太陽光を直射されたことで、僕は目を覚ました。
どうやらあのまま眠ってしまったらしい。僕はソファーで寝るからベッド使って、と言ったまでは覚えているが、どうやらかなり疲れていたらしい。心も体も。
と、そこまで考えて、フィオナを野放しにしておいたのはどうだろうと、一応敵であることは変わらない事実だし、せめて簡単な拘束だけでもしておいた方がよかったんじゃないか、あまりに無警戒だろ、なんて思っていた。その矢先、
「朝ご飯、用意できたよ」
味噌汁の匂いと共に、長く黒い髪を後ろで纏め、エプロンを着けた少女が、いや、むしろここは美女と呼ぶべきか。とにかく、そんな家庭的な、甲斐甲斐しいフィオナが朝食をテーブルに並べ始めた。ご飯に味噌汁に焼き鮭という、絵に描いたような日本の朝食が展開され、言葉を失ってしまう。
僕は「いただきます…」と呆気にとられつつも、味噌汁に口をつけ、
「美味しい……」
自然と感嘆の声が漏れた。
それを聞いたフィオナはすごく嬉しそうに笑って、
「よかった。おかわりあるから、どんどん食べてね」
なんて、ちょっと紅潮しながら言った。まるで見る者全てを幸福にしそうな至福の笑みを見せる彼女の姿に、思わず抱きしめたくなる衝動に駆られ、
そして…………。
「お前の妄想癖はわかったからこれ以上近寄るな気持ち悪い」
と、『ついさっき見た夢』を馬鹿正直に話したところ、呆れているのか蔑んでいるのかわからない目で睨まれた。ああ、女の子に「気持ち悪い」って言われるのがこんなにダメージ大だとは思わなかった。
そんなフィオナはというと、夢と同じなのはシャワーを浴びたせいで紅潮した頬くらいで、相変わらず大きな態度で僕を上から見下ろしていた。
彼女を助けて一夜明けた現在、なんとなく話題を提供しようとした僕の策は、その話題のせいで頓挫した。マゾだったらまだこういう視線を向けられて喜べるだろうが、僕は一応ノーマルだと自負しているので、この刺さるような視線をどうにかしたい。
あ、仕事に遅れる、なんて言ってこの場を切り抜けたいが、生憎今日は非番。連チャンで詰めていたから休めるうちに休んでおけとのご命令があったので、じゃあ久しぶりにゆっくりするか、と昨日基地を出るまでは思っていた。別に上官を恨みはしないが、敢えて恨むとすればそれはこんな状況を作り上げた神様だ。神様の馬鹿野郎。
「とりあえず朝食にするぞ、妄想チェリーボーイ」
なんかもういろいろ言われ続けたせいで馬鹿にされるの慣れそうだ。そんな自分が恐い。
「って言っても、冷蔵庫の食材皆無だからなー……」
昨日の夕食により、冷蔵庫の中はかなり綺麗に片付いた。それは暗に食べ物が入っていないことを示している。僕は頭を抱えつつ、どうしたものかと思案し、飛び級を果たした頭脳をフル回転。そして、そこから導き出された最適化された結論により、
「マク○……ナルド……?」
近所のファーストフード店に、僕たちは到着した。いつも行くスーパーは開店が一〇時だし、朝市もやっていない。コンビニは運悪く店内改装中につき使用不可能。ここが残された最後の砦だった。それにしてもマッ〇って昔からあるらしいし、かなり続いている企業の一つだな。工業関係は二一世紀開始時からかなり顔ぶれが変わっているというのに。有名な自動車メーカーも五〇年くらい前に合併されたし、有名繊維メーカーもどこかの重工の傘下に入ったし。まぁ、当時の皆さんが一番ビックリするのは未だに北朝鮮が存続していることだと、僕は思うんだけど。
「ファーストフードか?」
フィオナが首を向けてきたので、僕は頷く。
「イグドラシルにもあるの?」
「ああ。昨日リョウトと話した限り、文化はかなり近いものだ。似たようなものがあっても不思議ではあるまい」
どうやら魔法の国にもハンバーガーっぽいものがあるらしい。なんか小さい女の子の夢を壊しかねない世界だなとも思ったが、あっちの世界もそんな押しつけがましいイメージは御免被ることだろう。よく外国人に「忍者がいる」とか「責任取る時には腹を切る」とかいうイメージを持たれる日本人の気分そのまんまのはずだ。忍者いなくて悪かったな、そんなの江戸村行け、とか思いたくなる心理そのものだ。
フィオナ曰く「似たようなものがあるが食べたことのない」ハンバーガーを食し、それなりに美味しかったようで、どこか角が取れたようにも見えた。
その帰り道、フィオナが言った。服が欲しい、と。
「いつまでもリョウトの服を着ているわけにもいかないだろう」
それもごもっとも。一応僕の家に匿うという方向で昨日の夜も話していたが、衣服は買い足さねばなるまい。
と、僕が思って隣の少女の服、つまり僕が貸したTシャツ&ジーパンを見て、心臓が跳ね上がった。思わず足が止まってしまう。
「あの、フィオナさん…?」
「ん?」
僕を追い越した少女が振り返ると、それに追従するように白いシャツの胸がオーバーに揺れ、バネのように徐々に動きを止めた。
間違いない。今まで特に意識してなかったけど、間違いなく、今彼女は、
「……下着は、いかがいたしたのでございませうか」
あまりの動揺に変な日本語を話してしまった。
「乾かなかった」
返答はあまりに簡潔だった。ただ、あまりに簡潔、というか端折り過ぎなので、いろいろと脳内で単語を補い、そこから結論を導き出すと…………、
「安心しろ。バンドエイドは張ってある」
彼女からの追加情報により、状況判明。いや、わかったはいいんだが、もうフィオナのこと直視できません。あー、だからこっち来ないでフィオナさん!なんか揺れてる!揺れてるから!意識したらもう気になって気になってしょうがないから!
「それに、トイレに入ってからは履いてないから心配するな」
しかもさらに僕をドキドキさせる事をさらっと言ったよこの
「ほら行くぞ。とりあえず適当に服を買える場所に連れていけ」
フィオナがなかなか動かない僕の腕を引っ張った。手を引かれながらフィオナの後ろ姿を見ていると、なんだかそのシャツやらジーパンの下を自然と想像してしまい、
「ほら、早くしろ。わたしの裸を想像する暇などないぞ」
ピンポイントに思考を突かれ、僕は顔を赤くして俯いてしまう。図星なので何も言い返せないし、そんなことを想像していた自分が恨めしい。
そんな気まずさをどうすべきかを悩んでいると、急に腕を引く手が止まった。
その様子を不審に思ってどうしたの?と聞こうと思ったら、
「見たいか?」
彼女は振り返り、僕を見つめて言った。突然のことに、僕は意味をわかりかね、「え?」と間抜けな声を出すことしかできなかった。
「そんなにわたしの体が気になるなら、見せてやろうか?」
ようやく言いたいことを理解したが、それによって余計に驚いた。
「ちょ、何言い出すのさっ」
確かに周りには人はいないし、ちょっと路地に入ればまず誰かに見つかりはしないだろう。午前九時三〇分、通勤・通学はもう終わっている。
「見るだけで不満なら、触っても構わないぞ?」
そんなフィオナの提案に、僕は息を呑んだ。飲み込んだ唾の音がやけに大きく聞こえ、それが彼女にも聞こえたんじゃないかと不安になる。
「これから世話になる身だからな」
フィオナが胸の前で腕を交差させ、シャツの上から二つの膨らみを強調した。また、僕の喉が鳴った。
「これくらいの特典は欲しいだろう?」
フィオナの表情が読めない。笑っているようにも見えるし、嘲っているようにも見える。ただ確実なのは、その表情は僕から平常心を奪っていることだ。その顔を見れば見るほど、その度にフィオナの抱く感情がわからなくなる。妖艶にも、嘲笑にも、愉悦にも、悲哀にも、はたまた自嘲にも見える。
彼女の、フィオナの心が読めなかった。
棒立ちする僕を、フィオナの細い腕が引く。さっと体を横に移動させれば、そこはビルとビルの間、ビールケースやエアコンの室外機のせいで、パッと見て外からはわからない、そんな空間が、そこにはあった。
「どうした?」
さらに、僕の背に彼女の腕が回された。拘束を受けていない胸の感触が、僕の胴体に押しつけられることで伝えられ、その形を変えた。
「自由にしろ、わたしはもうお前の所有物みたいなものだ」
それにしてはずっと態度がでかいよな、なんてツッコミすら出てこない。それほど今の状態に緊張し、困惑し、僕の男としての部分が高揚する。
見下ろせば、胸の谷間がシャツとの隙間から見える。脂肪の塊と言ってしまえばそれで終わりだが、そう言って割り切れない感情を持つのが男という生き物だ。
僕の手は震えていた。ずっと、細かく、汗を握り締めて、今のこの状況を、自分はどう対処し、行動すればいいのかをずっと理性は考え、しかし感情は「抱け」と命令する。
「遠慮するな。わたしに決定権などない。抗う権利もな」
フィオナの両脇から迫ろうとしていた僕の両手が止まった。彼女の言葉がそうさせた。そうでなければ、きっとそのまま両手が行動を起こしていただろう。『抱擁』ではなく、『交悦』を目的として。
「所詮女は男の欲望を満たす
「やめろよ!」
僕は彼女の声を遮って、絡む細い腕を振り払い、突き放した。
「やり方がわからないなら伽の先導を――」
「やめろって言ったんだ!」
未だに態度を変えないフィオナに、僕は再び怒鳴った。フィオナも、僕の反応に面食らった様子で、目を丸くしている。しかし、僕は怒鳴って、それから何を言うのかを全く考えておらず、段々勢いが終息していく。
「そういうこと、簡単にしちゃいけないよ」
かなりトーンが下がり、情けない様子に見えるだろうが、僕は構わず、とにかく思ったことを次々に吐露してく。
「君だって、本気で言ってるわけじゃないだろう?しょうがないから、その…、抱かれる、…とか、そういう自分を捨てるみたいなことするなよ」
自分でも何を言ってるんだろうとは思う。恋愛経験なんてないし、女の子を抱いたこともない。だから、これは専ら映画や小説の『作り物』から出された、『作られた価値観』だ。でも、僕はそうとわかっていても、フィオナの言葉が許せなかった。
「フィオナだって人間だろ?そんな風に自分のこと捨てるなよ。昨日言ってただろ、自分のことをあんまり卑下するなって。それに、さ…。女の子の、そういうのって、……大切っていうか、こうなんていうか、その…………」
段々、声の調子が下がり、ボリュームも小さくなっていった。
「あ、でも、別にフィオナが嫌いとか、そういうのじゃないよ、うん。凄くかわいいとは思うし、あ、でも、別にそんな深い意味は…、あー、もう!何言ってるんだ僕は!」
思い出したようにフォローやら訂正を入れるが、その姿もまた滑稽なはずだ。
その姿に、フィオナが笑った。
最初は小さく、クスクスと。最後は腹を抱えて破顔していた。
その様子に、今度は僕が呆然としてしまう。情けなく口も開けている。
「リョウトのくせに生意気だな」
まず何かを呟き、
「わたしが悪かった。忘れてくれ」
何事もなかったかのように、フィオナは再び僕の腕を引いて歩き出した。路地を出て、それから「ところで洋服を売ってるところはどこだ案内しろ」と、僕に先を歩かせた。
その時、僕は見た。
この時のフィオナの顔は、笑っていた。
なんでかよくわからないけど、笑っていたんだ。
昨日から見てきた挑発的なものや嘲弄の類じゃなくて、
なんだか、嬉しそうだった。
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