第2話 時の流れと人の世

 年末年始とPCを使わずに生活をしていたが、色々と考えさせらた。


 まずテレビジョンというメディアの衰退すいたいがはっきり見えてきた。数年目からそれは見えていたのだが、ここ1年特にその傾向が大きい。

 何で解るかというと、スポンサー(提供)というものに変化が出ている。スポンサーは出資する額によってナレーションが変わる。その会社のキャッチフレーズを乗せるもの、スポンサー名を言うもの、他の提供と言われるもの、何も言われないもので金額が変わる。

 次に同業他社のCMを同じ番組に流さない、同時間帯の番組に同時に出演しないなどの、慣例かんれいがあったものが揺らいでいた。何よりひどいものになると、番組の放送直後にCMが入らず次の番組の始まることも多々見られたことにある。

 つまりテレビCMが付かないと思われても仕方がない番組が多く放送されていた。


 次に内容だが、20年ほど前で時代劇の1時間番組を作るのに1億円、2時間ドラマを作るのに2~3000万円していたと聞いている。そう考えると、再放送や歌番組が多かった気がする。歌番組も懐かしの歌手であり、大物と呼ばれていた人たちが必死になっている様子が見えて切なかった。湖面に浮かぶ水鳥のように、必死さを見せないことが美徳とされた時代の人達の姿に時の流れを感じた。


 また『世界情勢』や『資本主義社会』に言及げんきゅうし、その歴史、現状の問題点、未来への考察を行っていたものがあったが、その結論が『相手を理解する』


『近隣諸国で仲良くする』という結論であった時点であきれた。


 それができれば苦労しないし、相手のことを理解したところで、誰もが納得のいける結論が出るとは思わない。理解すると同調するのは違うからである。

 長い時間をかっけて、その番組の過程は間違っていなかっただけに、結論や提言が出来もしない『机上の空論』になっている時点でテレビジョンというメディアの限界がはっきり見えてしまった。ただ、それが良かったのか悪かったのかは解らない。

 


 

 

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