「僕」と「俺」のクリスマス
kayako
1.僕とお前のクリスマス
今日は12月24日。クリスマスイヴだ。
去年と違って今年は24日が土曜で休みだけど、僕はいつも通り仕事。
そして当然のごとく夜9時すぎまで働いて、買い物して、自宅に帰ってきたのは11時すぎ。
街はイヴでお祭り騒ぎだけど、僕には関係ない。
関係ない……はず、だったんだけど。
鍵を差し込む時点でもう分かった。誰かの気配がする。
大きくため息をついてアパートの扉を開くと、当たり前のように『ヤツ』が手招きしていた。
「よー、
こっちはもう出来上がってまーす♪」
当たり前のように僕の自宅に居座り、丁寧に手入れしたはずのソファにパーカー姿で寝そべり、堂々と僕を「佐藤」ではなく下の名で呼ぶ男。
恐らく真昼間からビールを飲んでいたであろうコイツは、なんと僕の同僚である。
名は伊藤
その名の通り、膨らんだ丸い頬が子供みたいに真っ赤な童顔。ついでに童貞。まぁ、それを言ったらこっちも丸顔の童顔の童貞なんだけどさ。
このアパートで、偶然隣同士になっただけなのに――
それだけのことで、コイツは年がら年中僕の部屋に入り込んでは、勝手に人の冷蔵庫を漁るわ、真夜中までゲームするわ、しまいには人のエロ本にケチつけるわ。
畜生。何で社宅でもないのに、会社の同僚と隣同士の部屋になっちまったんだ。
コイツは「運命だ!」とか言って喜んでたけど、僕にとっちゃ悪夢でしかないよ。
しかもコイツ、こう見えてやたら要領が良く、悔しいことに僕より仕事が出来る。
その上、ウインク一つでさっさと他人に仕事を押しつけ、自分はとっとと帰るのが最大の得意技。
僕が夜遅くまで残業しているのに、コイツが仕事片付けて(もしくは他人に押しつけて)先に帰っているなんて日常茶飯事だ。
だからこうやって、疲れて帰ってくる僕を、出来上がったコイツが出迎えるなんてしょっちゅう。
「ていうか毎度毎度、どこからどうやって入ってんだよ」
「だってココ俺ん家だもん」
「ふざけんな」
こいつはいつの頃からか、当たり前のように僕の部屋に忍び込んでいる。一度は幽霊説を疑ったけど、ぶん殴ったら手ごたえがあったし足も影もあるし、多分幽霊じゃない。
きっとこいつには鍵開けのスキルがある。そうやって僕は無理矢理、自分を納得させていた。
背広を脱いでパーカーに着替えると、すぐにエプロンをして台所に立つ。
買い物袋から牛もも肉の塊を取り出す。勿論、ローストビーフ用だ。この時間でも何とかお店に残ってて良かった。
リビングでお気に入りのVtober動画を見ながら、のんべんだらりとヤツが呼びかけてくる。
「ねぇ~
「あるわけないだろ。どこも売り切れだよ」
「えぇー!!?
俺、緑の買ってくるケーキ、メッチャ楽しみだったのにぃ~!!!」
「仕方ないよ。この通り今年も24日は出勤だし、ケーキ買う余裕がなかった。
生モノだから、買い置きするわけにもいかなかったしね」
「何やってんだ、土曜は休むのが当たり前だろー!? しかもイヴだぞ、イ・ヴ!!
有給取れって有給!!」
「年末だぞ。仕事山積みだぞ?
てめぇが休めてるのは、てめぇがいつも通り、人様に強引に仕事押し付けただけ!!」
嫌味たっぷりに僕が言うと、すぐにヤツは唇を尖らせた。
「違いますぅ~、俺は正当な権利を行使しただけですぅ~
土曜なのに! イヴなのに!
出勤して残業しまくる緑がブキッチョで真面目すぎるだけですぅ~♪
予約ぐらいしとけよ、気が利かねぇなぁ」
「そんな余裕あるなら、てめぇが自分でケーキ買ってくりゃ良かっただろうが」
「えー、駄目だよー。
俺、クリスマスツリーの準備してたんだもーん」
「は? ツリー?」
何本目になるか分からん缶ビールをプシュっと開けながら、紅玉はへらりと笑いつつリビングの隣、寝室を指さした。
嫌な予感がして、僕はばっと寝室のドアを開く。そこには――
大量の「翠のた〇き」が、文字通り山の形となって、ベッドの上に積み上げられていた。ご丁寧に、全て蓋をこちらに向けているせいで、濃ゆいグリーンが一段と眼に痛い。
ちょうどツリーの形になるよう、一つ一つがセロテープで無理矢理組み合わされている。
天辺には星を意味するつもりなのか、「朱いき×ね」がちょこんと乗っかっていた。
この光景を目にした僕は、ぶるぶる肩を震わせながらヤツに尋ねていた。
「……どっから出した、これ」
「えぇ? もっちろん、
あんなにたくさんしまってあるの、使わなきゃもったいないだろー?」
僕を「ちゃん」づけして呼ぶのなんて母さんとコイツくらいのもんだ。
ついでに言うと、僕を下の名前で呼ぶヤツも。
「……非常食なんだけど、コレ」
「だいじょーぶだって、半分ぐらいは中身残してあっからさ~♪」
「ってことは!
半分以上食ったってのかよテメェ!!」
「うん、だって上の方は中身カラにしないとうまくツリーが直立しなくって
……べふうっ!!?」
気が付くと僕は怒りのあまり、そこらへんに転がっていた空き缶を思いきり、ヤツの顔面にクリーンヒットさせていた。
******
牛肉に塩、こしょう少々を振り。
フライパンに牛肉の塊を入れ、それぞれの面を焼き色がつくまでじゅわーっと焼く。
この時点でもう、紅玉が匂いにつられて台所を覗きに来たが、無視して肉を引っ繰り返していく。
「うぅ、お腹空いたぁ~
なぁ緑、ローストビーフまだぁ?」
「子供か!
た〇きを散々食っただろ? 僕のた〇きを!!」
仕方なく、僕はコンロに置いてあったビーフシチューを温め、紅玉に出した。
昨夜じっくり牛肉を煮込んだ特製シチューだ。これならきっと、コイツも満足だろう。
「へへへ~。実はずーっと待ってたんだぁ♪」
紅玉はにっこり笑いながらシチュー皿を差し出してくる。
そこにシチューをよそいながら、僕は唇を尖らせた。
「た〇きわざわざ引っ張り出さなくてもさ。
シチューぐらい、自分で温めて食えばいいだろ」
「えぇー、だってぇ」
ほんのちょっとそっぽを向きながら、紅玉は呟いた。
酒で既に真っ赤になった頬が、さらに色づくのが僕にも分かる。
「緑のよそったシチューが食べたいんだよ、俺。
分かれよな、そんぐらい」
――せっかくのクリスマスイヴを。
真っ昼間からビール飲んで、朱いき×ねと翠のた〇きでアホみたいなツリー作って。
ずっと一人で動画見ながら、僕のシチューを待ってたってのか。
そんな紅玉の背中を想像すると――
「うぅ……なんか、涙出てきた……
なんつー寂しいイヴ過ごしてんだ、お前」
「えぇ? お前に言われたくねー、この社畜童貞!!」
「社畜童貞って何だ、何でもかんでも童貞ってつけんじゃねぇこの童貞が!!」
「そうやってすぐ同じ言葉で返してくるのが童貞なんですぅー」
******
「ねぇ
「何だよ」
「クリスマスって、11月とかになんねーのかな」
焼きあがったローストビーフをホイルで包み、冷えるまで待っている最中。
ぐでんぐでんになった紅玉が、ソファで腹を掻きながら唐突に言い出した。
さすがに飲みすぎだ。こいつ……こんなに飲むヤツだったっけ。
「……その心は?」
「クリスマスと年末と正月っていう超忙しい行事が重なるこの時期が俺、メッチャ嫌い」
「分かるけどさ。
忙しいのは僕だからね? 年末ぎりぎりまで仕事入ってる中、お前んトコの大掃除までやってるの僕だからね?
ついでにお前の分の年賀状まで印刷して、黒豆となますと田作りと栗きんとん作ってるのも僕だからね?」
「俺だって忙しいんだよー?
クリスマスはクリスマス配信のハシゴで忙しいじゃん。
クリスマス明けは有馬記念あるじゃん。
年末年始はテレビとyoutobeのハシゴじゃん」
もう突っ込む気にもならん。
呆れる僕を尻目に、くしゃくしゃと頭を掻きむしる紅玉。
「あー、なんでクリスマスが12月末なんだよー? 忙しすぎる!!
11月にしてくれよ。ろくな行事ないんだからいいだろ?」
「神をも恐れぬ歴史改ざんの可否を僕に聞くな」
「知ってる? クリスマスって実はキリストの誕生日じゃないんだってさ。
おかしくね? ちゃんとキリストの誕生日にクリスマスを設定し直すべきじゃね?」
「またウィキ×ディアからの知ったかかよ……
だからって11月にしていいわけじゃないだろ」
「じゃあ10月は?」
「メリーハロウィンになるだけだと思う」
「じゃあ9月」
「メリーお月見になるだけ」
「8月」
「夏真っ盛りにサンタ衣装は……いや南半球なら普通か」
「うんと飛ばして3月」
「年度末と重なるけどいいの?」
「とにかく俺はクリスマスを12月以外にしたいのー。
12月でもいいけど、せめて月始にならねぇのか」
そんなアホな会話をしている間に、ローストビーフがいい感じに冷めてきた。
買ってきたソースで煮詰めて、薄切りにして、出来上がり。
もう12時を過ぎてるけど……まぁいいか。明日(というか今日)はやっと休みだし。
「ほら、できたよ。
お待ちかねのローストビーフ」
「わーい! いっただっきまーす!!
これこれ、これこそ毎年のクリスマスの楽しみなんだよなー!」
ぱっと起き上がり、ローストビーフをつまみ上げて大口開けてぱくつく紅玉。
「おい、せめて箸使えよ馬鹿」
「いーじゃんいーじゃん、今日ぐらい無礼講で~♪」
「お前の無礼講は毎日もいいとこだろうが! 全く……」
……はぁ。
どうして僕は何だかんだで、コイツの暴虐を許してしまってるんだろう。
ローストビーフを口にしながら、僕は買ってきたワインを空ける。
本当なら彼女と一緒にこうやってイヴを過ごすはずなのに、今年も僕はよりにもよって、この呑んべぇと一緒のイヴ……
僕が可愛い彼女をゲットして、一緒にワインとベッドを共にするイヴを過ごせるのは、一体いつになるんだろう。
そう思って僕が肩を落としていると。
ふと、紅玉がじっと顔を覗き込んできた。
「……なぁ、緑」
不意に肩を掴まれ、ソファの上で見つめ合う体勢になってしまう。
紅玉の大きな瞳。その瞳孔さえもほのかに紅に見える。
うわ、酒くさい……
「……何だよ、急に」
心に踏み込まれる。不意にそんな気がして――
僕はその紅から、思わず目を逸らした。
しかし紅玉の唇から漏れた言葉は、僕を逃がさない。
「今度は、いつまで、いるの?」
『いる』?
いるって、当たり前だろ。ここは僕の家なんだから。
でも――何だろう。
紅玉の言葉に感じる、奇妙な違和感は。
紅玉は普段はあんなだけど、たまに、ふと怖い眼をすることがある。
こちらの心の隅から隅までを覗き込んでいるような、それでいて何も見えていないような、空虚な眼を。
それが何に起因するのか、僕には分からない。
何年か前から、彼はそんな目をし始めた。
あれは――何がきっかけだったんだっけ。
その眼を見るたびに、僕の心で何かが叫ぶ。
帰らなきゃ。ここに帰らなきゃ、って。
心の片隅で、何かが、微かに叫んでいる。
ここに帰らなきゃ? 僕はもう帰ってるのに。ここに。
戸惑う僕の額に。
紅玉の指が、そっと優しく触れた。
その指先はゆっくり額を下へなぞり、僕の瞼を静かに閉じさせる。
耳元で囁かれた、言葉は。
「なぁ、緑。
そろそろ――帰ってこいよ」
その言葉と共に感じたものは、意外と筋肉質な紅玉の腕の温もり。
同時に、一気に酔いが回ってきたのか。
僕の意識は、急激に薄れていった。
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