サラダを振る舞う

倉埜羊

サラダを振る舞う

〈材料〉

 ハム(いちょう切り)

 アスパラガス(3センチくらい)

 レタス(手でちぎる)

 玉ねぎ(スライス)

 セロリ(斜め切り。少しにする)

 りんご(薄切り)

 パイナップル(一口大)

 塩・胡椒(少々)

 オリーブオイル(大2)

 酢(大2)


 パイナップルサラダは、ばあやの味だった。ところがばあやに聞いた作り方を書き留めておかなかったので、現存するのは憶測とクックパッドのレシピを合成したレプリカだけだ。当時はまだ文字を習っていなかった。ばあやも書き方を知らなかった。

 大体、料理が得意ではない。人に振る舞う前提がないと気持ちが負けてきて、毎日そうめんを食べてしまう。だから、時々は人を呼ぶ。何人も呼ぶわけではない。いつも一人しか呼ばない。そのたった一人が食に対して全くと言っていいほど無関心なのは考えものだが、誘って断られたことはない。

 今日はパイナップルサラダを作る。明日はそうめんの日にする。


 海沿いの道をゆるやかに上っていくと積乱雲を吸い寄せるR島の活気や島と本州とをつなぐ大橋の往来や、あちらこちらから集められて耳の中で完成した蝉たちの合唱がさながら滝に接近していくときのような錯覚を起こす。やはりこの季節のこのごう音は「涼」なのだと思う。普段はイヤホンで遮断している音という音が身にまとわりついてきても不快感がないのは、それらが木陰のようにして辺り一帯をおおう役割を担っているからなのだ。もしくは、隣に暑い暑いと叫んでいる人があると、逆にそれほどでもないような気がしてくるのにも似ているかもしれない。R島で手土産を買っていた時には抱かなかった感懐かんかいだった。何にせよ風物詩だ。

 グーグルカレンダーは、ひとつも予定がない日には〈良いですね〉と表示してくれる。最近はそれがなんとも言えず気に入っている。

〈良いですね。今日は予定が入っていません。楽しくお過ごしください。〉

 こんなことを言われたら誰だって、「じゃあ楽しく過ごそっかな」と素直になれそうなものだ。というのを同僚との会話の中でぽろっと漏らしたら、

「へえ、気にしたことなかったな。でも予定空っぽだとちょっと、そわそわしません?」

と珍獣を見るような目をされた。

 二〇二号室の玄関チャイムを押すと、開いてますよ、とドア越しに返事があった。

「入るよ」

 一応声を掛け、ドアを開ける。彼女はちゃぶ台の上に青絵の大皿を置いているところだった。

「おひさ〜」

 彼女は特に表情を変えるでもないのに、とても軽やかに聞こえる挨拶をする。

「急に来てもらってすみませんねえ」

「全然全然。むしろありがたいよ。これ、ちょっとしたものだけど」

「あらお気遣いどうも」

 挨拶の後は毎回こんな感じだ。なれなれしいんだかよそよそしいんだか分からない。

「今年は暑くなるとは聞いてたけどさ」

 腰を下ろしながら、台所に立ってやかんを傾ける背中に話しかける。話しかけながら、あれ今、座る時によいしょと言わなかったかと気になりだす。

「こんなに暑くなるなんてね。信じらんないよ」

「ね。殺人的だ」

 やかんと一緒に小首を傾げながら彼女も言う。殺人的。彼女がちょっと刺激的な言葉を使うと、わたしは未だにぎょっとしてしまう。形容なんかじゃなく本当に夏がわたしを殺すのよ、と言っているように聞こえる。

「あの雲から熱光線でも出てるのかねえ」

 この部屋にはテレビがない。パソコンもないし、携帯も怪しい。新聞はたまに買うと言っていた。お気に入りの文字や写真を切り抜いて、コラージュするためだそうだ。円形のスピーカーを両脇に備えたグレーのラジオが、唯一の情報源である。今ラジオからは『浪漫飛行』が高らかに流れだした。

「さ、いただきましょう」

 二人分の麦茶と小皿が運ばれてきて、食卓は整った。

「あの雲、多分雨雲だよ」

 多分というか、九〇パーセント確実だ。気象予報士が今朝言っていた。

「えー。それはそれでさげぽよ……」

 窓の外に気を取られて箸を取らずにいたら、どうぞ召し上がれ、と促された。彼女はセロリを早足に口に運んでいる。

「でも雨だけで落雷はないって」

 最初に目についた大きめのレタスを取り上げたら、その影から混ざりきっていないパイナップルの塊がゴロゴロと出てきてりんごの上へ落ちかかった。どう食べたらよいか困って、結局、初めにレタス、それからパイナップルと順々に口に運ぶことにした。

「それならいいけど」

 彼女は軽くうなずいて、今度はアスパラガスを噛み締めるようにしていた。

「あ、これおいしいねえ」

「そう?」

「うん。サラダっておいしいんだねえ」

「あらほんと。光栄だわ」

 彼女は口元に手をやって、機嫌きげんのいい声を出す。こころなしか口角も上がった気がする。

 み゛っ、み゛っ。

 咳払いの音である。

 咳払いにしては変な音だけれど、彼女は年中こういう咳払いをする。

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