第116話 Cross the Rubicon
エルンストからの通信を受けたトビアスが立ち上がる。
『大隊戦闘部隊、総員突撃ィッ!! 我らが敵を蹴散らせぇッ!!』
ついに準備は整った。
ハイパワーメガホンを使って隅々まで届いたトビアスの声を受け、DHU大隊は怨敵に向けて突撃を開始する。
「バルバリアの豚どもをブチ殺せぇぇぇッ!!」
「これまでの恨み! 晴らさでおくべきか!!」「手柄首はどこだぁッ!!」
なんだかんだと他の亜人種族に隔意を持っていようが、目の前に仇敵とも呼べて“殴っても問題ない”ヒト族がいれば、誰でも俄然殺る気は出てくるものだ。
エルフ以外の種族はどれも、戦闘に参加する者は例外なく目を血走らせて修羅の形相となっていた。
武器を掲げ、雄叫びを上げて混乱状態に陥った敵軍へ向かって駆け出している。
止めようとしたところで、今更止まりはしないだろう。
とはいえ、対する
「敵が来るぞ!!」「槍部隊、防御態勢! バカどもを串刺しにしろ!」
「狼狽えるな! 所詮家畜は家畜! 獣にはなれん!!」
「ちょっとばかり数を揃えただけの
「クソが! ブチ殺してやる!」
生き残ったバルバリア兵たちが懸命に声を張り上げ、自らを鼓舞する。
意識が負けては押し潰されてしまう。
また、彼らの言葉に虚勢はあっても、それはまったくの誤りでもなかった。
〈パラベラム〉の擁する現代兵器がなければ、現時点では亜人連合がバルバリア軍にも勝てないのは揺らぎようのない事実である。
相手が態勢を崩していなければ、突破力の高い騎兵部隊に陣を分断され、そこを後続の歩兵などから各個撃破されてしまう。
地球の大航海時代、先住民が侵略者の技術になす術がなかったように、たとえ同じ人間であっても“持てる者”と“持たざる者”の差は隔絶しているのだ。
重迫撃砲による支援や指揮官の狙撃で混乱状態まで叩き込む――下駄を履かせてもここからは未知数、いや、それでもDHU側が不利に傾いていると言わざるをえない。
「――ストライカー部隊、
状況を見守っていたエリックが不意に〈パラベラム〉用回線に向けて告げた。
「マクレイヴン大佐?」
隣に控えていたミリアが表情にわずかながら驚きを浮かべて問いかけた。
声にこそ出さないが、同じく事態を見守っていたリューディアにクリスティーナ、マリナにサシェも似たような表情となっている。
「保護者気取りのところ悪いが、戦況を見守るなんてレベルじゃない。とっくの昔に頃合いだ」
視線を集めるエリックは冷静な態度のまま断言した。
「このままやっても兵がすり潰される。すぐに支えきれなくなって壊走――いや負ける」
「たしかにな……。ちょっと判断が遅いくらいだった」
次に彼の意見に賛同したのは腕を組んで眉根を寄せるハーバートだった。
ふたりともまだ無意識のうちに先発組と異世界という未知の環境に対して遠慮をしているらしい。
明確な言葉にはしないが「よくない癖だ」とそれぞれに思っていた。
「初戦で敗北なんて結果になればどうだ?」
ロバートとスコットに大佐ふたりからの視線が向く。
「“負け癖”のついている他の種族はそそくさと離れていくでしょうな。作戦どころか戦略が破綻する」
「そうだ」
ロバートの苦い言葉にハーバートは頷く。
「おちおちしていられんな。前列が激突したらストライカーで“支援”するぞ」
エリックが続けた。
言外に「俺たちは完全蹂躙でも構わないが、お前たちのプランはそうじゃないんだろう?」と問いかけているようだった。
「……そうするしかないですかね」
一方、付き合いの長いスコットは煙草に火を点けて答えた。
上官の意向を理解したのか、反対する気はなさそうだ。あるいはそういった感情も煙と一緒に虚空へ吐き出しているか。
対するロバートは迷う。
たしかに、勝つだけなら亜人たちが必ずしも必要なわけではない。
ただ、エルフを真っ先に蜂起させたからには最低限彼らだけでもどうにかしてやりたかった。
もう後には退けないのだ。
「彼らが奮闘しようとするのをどうこう言うつもりもない。だが、あいにくと
エリックはそっと目を細める。
視線の先で、ついに前衛同士が衝突した。
幸いにしてトビアスの指揮は間違っていない。
そのため、亜人部隊も的確に混乱する騎馬部隊を優先して狙いに行っている。
それと同時に訓練を積んだ騎士や兵士を相手にする中で、反撃で負傷したり運悪く刈り取られたりする者も現れている。
これは仕方ない。戦いとはそういうものだ。
しかし――
「大佐、それは……」
あまりにもエリックの言葉は冷徹に過ぎた。
知らぬ間にロバートの表情は苦渋の形に歪んでいた。
「まぁ待て、マッキンガー少佐。安心していいぞ、アレを見ろ」
「あれは……」
「そうだ。少し不適切な言い方かもしれんが、おまえたちの施した訓練の成果はきちんと出ているらしい」
他の種族は我が身を顧みず敵を殺しに行っているが、エルフたちは事前に〈パラベラム〉による訓練を受けているため負傷を狙うだけでそれ以上の無理はしない。
敵を殺すことが勝敗を決定付ける要因とはならないと理解している。
積もりに積もった怨念があっても、訓練は感情をねじ伏せられるのだ。
ないものだらけの中にあって、これだけは光明に映った。
それを見た瞬間、ロバートの腹に何かが“ストン”と落ちた。
「じゃあ……やっちまいますか」
言葉は自然と出てきた。
不思議と頭の
何を悩んでいたのか。――いや、違う。
ただただ上手くいくか心配していただけだったのだ。亜人を蜂起させてまで行う“パフォーマンス”が。
「それでいい。〈
「だな。大佐がふたりばかり来たからって遠慮するんじゃねぇ。無論、将官が来てもだぞ」
エリックとハーバードがそれぞれに応えた。
「あとな? そうこうしているうちに――」
何か気付いたらしいふたりの視線が同時に南西を向く。その他の面々もそれに釣られる。
「あれは……!」
真っ先に声を上げたのはクリスティーナだった。
「そう、ほぼほぼ時間ぴったり。騎兵隊のお出ましなんだわ」
ハーバートが見せたのは獰猛な笑みだった。
砂埃を上げてやって来る大量の――ヴェストファーレン王国の旗を掲げた騎兵部隊の姿が見えた。
今ここに、新人類連合はルビコン川を渡ろうとしていた。
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