第66話 カミングアウト


 果実に含まれる種子だけを取り出して、深く焙煎したものの香りが辺りに漂う。

 厳密にはそれを細かく挽いた粉に熱湯をかけて抽出した液体からのものだ。


 こうやって書くと、コーヒーとは知らない人間に説明するのが難しい飲み物だと地球組は気付かされる。


「とはいえ、どこから話したもんかねぇ……」


 鼻腔をくすぐる豊かな香りに現実逃避したいと思いつつ、ロバートは口を開いた。


 ブリーフィングルームから食堂へと移動した一行は、適当な場所を見つけて腰を下ろした。

 当然ながら将斗たちの他に利用者はいない。

 どう見てもこの食堂は少人数用ではないが、今は誰もそれに触れなかった。


 最初に食堂へと入った時、ロバートは一瞬だけミリアに説明を求める視線を向けたが、彼女は微笑むだけだった。


 ――オペレートこそしないが、わかっていてやってるなこれは。


「ねぇ、そんなに大きな話になりそうなの?」


 ミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーのマグカップを持ったまま、マリナが訊ねてくる。


 コーヒーが初体験の彼女にブラックは苦すぎたらしい。最初は顔をひどく顰めていたが、高価な砂糖を遠慮なく使えたことで今は美味しそうに飲んでいる。

 よく見れば、サシェもこっそりと砂糖を自分のカップに追加している。年齢相応とでも言うべきか、いずれにせよ微笑ましい光景だった。


 ちなみにクリスティーナも同じような具合だった。

 こちらはお姫様だ、見ないふりをしておくのが大人の対応だろう。


「どうかな。結局はおまえたちが信じられるかどうかだ」


 ロバートは控えめに笑って前置きした。


 信じろなどと言うつもりは毛頭ない。どれだけ言葉を尽くしても駄目な時は駄目なのだ。

 そんな想いが伝わったのか、ふたりは「ますますただごとではない」と居住まいを正した。


「とりあえず言うが――


 できるだけ真剣さが伝わるようロバートは低い声で告げた。いざ言葉にすると自分でもあらためて困惑しそうになる。


「「…………」」


 言葉を受けたマリナとサシェはカップを持ったまま押し黙る。


 あらかじめこのような場を設けていなければ、彼女たちは話を笑い飛ばしていたかもしれない。ロバートは思ったが、それは彼の思い違いだった。


 これまでの戦い――魔法では到底説明のつかない諸々を散々に見せつけられた後なのだ。

 これでは、信じられないような内容であってもまずはそうと仮定して話を聞くしかない。論より証拠を味わっているのだ。


 しばらくの間、沈黙が場を支配した。


「ちょっと待ってよ、この世界じゃないって……。それじゃあまるで――」


「先に申し上げておきますと、ロバートさんたちは“勇者”ではありませんよ」


 マリナとサシェが勘違いをしないようミリアが言葉を挟んだ。

 一瞬だけロバートの視線が彼女へと向けられるが、彼は口を開かなかった。


 行動の決定権は将斗たち転移組へ全面的に委ねられているが、彼らをこの世界に転移させたのはミリア――厳密にはその上位存在となるが――である。

 将斗たちが強引に納得している転移現象については、ミリアが話してくれるのならそちらで説明してもらうべきと判断したのだ。


「では、なぜあのような強力な武器を持っているのですか? あれこそ対魔族戦線に相応しいものではないかと……」


 サシェから異論が出た。

 彼女たちが目撃したものが銃だけなら、“異国の特殊な武器を持っている”くらいの話で済ませられたかもしれない。


 しかし、それが車両や対空ミサイルとなれば話は大きく変わってくるし、とうとう基地まで召喚してしまった。

 この世界のどこを探しても、このようにめちゃくちゃな魔法は存在していないだろう。


 そう考えると、これはいい機会だった。

 このまま軍事力を強化していくなら、日増しに強力になっていく地球製の兵器群を目撃する。

 いつかは説明しなければならないことだった。


「目的まで違うかと問われると難しい部分はありますが、そもそも“勇者”は神の意志で召喚されているわけではありません。むしろ、今回の方がに近いでしょう」


「おい、待ってくれミリア。その言い方はよくない。俺たちは神の意志を受けてこの世界に来たわけじゃない。あくまでも変化をもたらすためだろ」


 慌ててロバートがフォローに回った。


 クリスティーナの時もそうだったが、この世界での勇者の扱いは、宗教勢力や国家などによって神格化されている。


 そこへ言及するなら、あらかじめ誤解を招く部分を説明しておかねばならない。

 さもなければ今度は将斗たちが妙な扱いを受けてしまうし、無用なトラブルに巻き込まれる原因になる。

 何より“仲間”に変な色眼鏡で見られたくはない。


「正直な、ややこしいから説明は程々でいいと思ってる。結局『そこそこ面倒な事情を抱えた俺たちについてくるか?』って話にしか行き着かないんだ」


 将斗たちとしては、彼女たちが離れると言わない限りは特にどうこうするつもりもなかった。


 やはりミリアのような知識のみを有した人間(?)ではなく、経験としてこの世界の情報を知っている現地人の協力者は必要だし、それでいて野郎どもファッキンガイズの強力極まりない武器群を見て“野心”を抱かない存在はもっと貴重だ。


 そのためには一度、彼女たちの意思を確認しておく必要がある。

 無理矢理付き合わせて後々トラブルになるのは避けたかった。


「――というわけで、こちらのみなさんは勇者ではありませんが、世界をひっくり返せるかもしれない愉快な人たちです」


「まとめがえらい雑だな。……まぁ、やたら規模の大きな依頼を受けた冒険者だと思ってくれ。あくまでも仕事ビジネスの範囲だよ」


 説明を終えたミリアの言葉をまとめるように、すこし冷めたコーヒーを一気に飲み干したロバートが笑う。


「いや、そんなさらりと言われましても……」


 当初予想していたよりもずっと大きな話だ。これを理解しろという方が無理だろう。

 サシェは先ほどからひっきりなしに困惑しているし、マリナは……早々に考えるのを止めていた。


「このまま無理に俺たちと付き合えなんて言うつもりはない。強い力を持っていると、厄介事に巻き込まれる可能性も高いからな」


 ある意味では彼女たちともっとも距離の近いスコットが助け舟を出す。


 すでに巻き込まれている感があるどころか、少し先には戦争まで控えている。いずれにせよ今が最後のチャンスだ。

 このまま流されるようについて来るよりも、一度考えた上で身の振り方を考えるべきと暗に告げていた。


「せっかく生まれ故郷近くまで戻って来られたんだ。あえて危険な道を選ぶこともない。今なら家に帰って細かいことを忘れたらそれで済む段階だ」


 リーダーとしてロバートが明確な言葉にする。

 ここで離脱してもなにかしらの対価を求めないという意思表示だ。


「……あたしはついていくよ」


 そこでマリナが口を開く。

 なにも考えていないようでもあったし、あるいは考えた末の言葉にも聞こえた。


「ちょっとマリナ!? あなた、またろくに考えないで――」


「サシェ、それじゃ訊くけどさ。このまま考えて結論は出るの?」


「うっ」


 痛い所を的確に突いてきた。

 相変わらずこういった時に働く相棒マリナの直感は侮れない。


 たしかに、いくらなんでも話が大きくなり過ぎている。

 こんなの国のトップだって容易に結論を出せるものではないだろう。

 いや、違う。

 そう考えれば素性のわからない貴族らしき人間クリスティーナが同道している意味も多少は理解できる。


 ならば、これ以上は考えるだけ無駄だ。サシェとマリナは貴族ですらない。ただの平民なのだ。


 相棒が言ったように、いくら考えたところでちょっと魔法が使えるだけの小娘に結論なんて出せるわけがない。


「だったらさ、この流れに乗っちゃうべきだと思うんだよ。すくなくとも、このまま地元に戻ってそこで冒険者をしてたって死ぬ時は死ぬよね?」


「……身も蓋もないことを言うならそうでしょうね」


 自分はそこまでサクッと割り切れない。

 これは生まれ持った性格なのだろうか。


「じゃあ、危険って意味ではあまり変わらないと思うし、おっさんたちと一緒のほうがそれ以上の得があるんじゃない?」


 マリナの言葉は依然直感からくるものだった。

 しかし、それゆえ余計な打算はなく、自分たちの状況を正しく理解していていた。


「あたしはね、サシェ。田舎の冒険者なんかで終わりたくない。英雄になりたいとかじゃないけど、自分がどこまで行けるか限界を知りたい。たとえ最期は戦って死ぬことになっても――」


 なにより、マリナは出会ってしまった。

 彼らの圧倒的な力と、自身も強くなれる“機会”に。


 もしもここで逃げ出したら、きっと後悔してもしきれないだろう。

 それだけは確信があった。



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