第64話 メンテナンス
「フフン、フンフンフーフー、フフンフフンフフンフフフフン~♪」
野太いが、それでいて軽快な旋律の鼻唄が響く。
遠くまで晴れ渡った青空の下、昨日まで何もなかった平原に突如として現れた基地。その車両庫の外でスコットが巨体を屈めるようにL-ATVの洗車に勤しんでいた。
歌のチョイスがカントリーミュージックというのがなんとも風景に合ってるようでアンマッチである。
「なぁ、おっさん」
ふとマリナがタオルで汗をぬぐいながら巨漢へ問いかけた。
手持無沙汰を紛らわせるために行っていた剣の素振りと型稽古がひと区切りついたらしい。
健康的に日焼けした肌に浮かび上がった汗がにわかに陽光を反射している。瑞々しい若さがあった。
「なんだ?」
マリナに言葉を返しつつ、スコットは丁寧に、それでいてどこか楽しそうに車体の汚れを落とす作業を続けていく。
――む。少しくらいはこっち見てくれてもいいんじゃない?
なんとなくマリナはそう思った。
今までこんな風に感じたことはない。さらに言えば本人にも自覚はなかった。
「イマイチよくわかってないんだけどさ、みんなの固有魔法で同じやつとか新しいやつとか出せるんだろ?」
「ああ、替えはきくぞ。コイツ以外にも出しているくらいだしな」
スポンジを片手にスコットが指した先にはストライカー装甲車の真新しい姿があった。
この車両はアメリカ陸軍の装輪装甲車ファミリーである。
経緯としては地域紛争やテロに対して迅速な戦力の展開を可能とする中規模の旅団戦闘団――後のストライカー旅団戦闘団(SBCT : Stryker Brigade Combat Team )構想が発表され、各種試験車両の部隊運用実験を経て同旅団の中核として選定されている。
当初はストライカー旅団構想の要求からC-130輸送機に搭載可能な重量が求められていたが、計画の進行に従い空輸での戦力投射については次第に重要視されなくなっていった。
まぁ、大まかには従来のハンヴィー中心だったアメリカ陸軍軽歩兵に装甲、火力、戦術機動力を与えた存在と言っていい。
この機動力こそがロバートの求めたものだった。
これまでは召喚できる制限の関係で無理矢理L-ATVに乗って動いていたが、さすがに今後もこれでは火力は限られるし装備もろくに運べず手狭に過ぎる。
ようやく基地が整備された今、制限も解除されたため新たな車両を召喚したのだ。
「じゃあ、なんでそんな大事そうに洗ってるのさ?」
続けて疑問を挟むマリナにはL-ATVとの違いなどほとんど形くらいしかわからない。
どちらもこの世界では一大革命を起こせるレベルの移動力と走破力、さらには防御力まで持っている。
スコットたちに言わせると一定の制限はあっても比較的自由に呼び出せるはずだ。どう考えても反則級である。
ならば、べつに使い捨てでもいいのでは?
マリナは明確な言葉にはしなかったが、言外にそう匂わせていた。
彼女の近くで魔法の修練――魔力の巡りを高めて発動を高速化するトレーニングを行っていたサシェも表情を見れば似たようなものだ。
「そりゃあ“仕事”の相棒だからなぁ。大事にもするさ」
一瞬迷ったが、洗車の手は止めずにスコットは答えていく。
「こいつは生きてこそいないが馬みたいなもんだ。きちんとメンテナンスしてやれば、それに応えてくれる。そしたら自然と愛着も湧いてくるってもんだ」
強力な性能を持つ分、現代兵器群は点検や整備が重要となる。
適当な扱い方をしていては必要な時にへそを曲げられてしまう。
だが、マリナやサシェのように機械という存在を知らない人間からすれば、イニシャルコストもランニングコストと言われてもピンとこない。
喩えるなら、剣を毎日新品にしてもいいくらいの環境に見えてしまうのだろう。
「細かく説明をしても仕方ないからざっくり言うが、要はちっちゃい嬢ちゃんの持ってる杖みたいなもんだよ。見た目だけは同じものがいつでも手に入るようになったからってそれをポンポン捨てたりするかい?」
サシェに向かってスコットは問いかけた。
彼は少女たちを滅多なことでは名前で呼ぼうとしない。
もちろん、それは彼女たちを現地人だからと拒絶しているからではない。
未だにふたりが地球組の素性を知らないことから、最悪いつ別れてもいいよう適度な距離感に留めているのだ。
とはいえ、ここまで常識外のモノを立て続けに見せているのだ。
そろそろクリスティーナ同様に自分たちの素性について明かす必要もあるだろう。
ここから先は大きな戦いも待ち受けている。下りるなら今のうちだ。
そんな思いがふと洗車の手を一瞬だけ止めさせた。
「……いえ、これは魔法を習っていた頃の思い出があるものですので」
サシェもマリナも、スコットの言葉の意味を考えることに気を取られ、彼が見せた一瞬の逡巡には気付かなかった。
「なら、似たようなもんだよ。はじめてこっちで乗った
「「こっち?」」
「……いや、なんでもない」
余計なことを考えていたせいで、まさしく不必要な言葉を口走ってしまった。
「心構えみたいなもんだ。武器も含めて装備はいつでも出せるなんて慢心をしてると、いつか危ない目に遭うからな」
戦況を楽観視して補給不足から危機的状況に陥った軍など歴史上にいくらでもある。
スコットはもっともらしいことを言って強引に誤魔化した。
「なんとなくわかったような、わからないような……」
「それでいいさ。まずは自分の役目さえ果たしてくれれば。お前たちはもう“仲間”なんだからな」
車庫から引っ張ってきたホースで車体に水をかけながら、スコットは困惑したままのふたりにウインクを放つ。
それはお世辞にも似合ってるとは言えないものだったが、マリナとサシェの表情には笑みが戻っていた。
機械だけではない。人間にもちゃんと言葉をかけてやらねば想いも伝わらないのだ。
そうこうしていると、ロバートから呼び出しがかかった。
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