第50話 殺し間へようこそ
研ぎ澄まされた感覚は、しばしば五感を上回って主に危機を告げる。
「――ん」
目的の場所に辿り着き、真っ先に声を上げたのは将斗だった。
特にこれといった何かがあったわけではない。ただ強いて言うなら“肌に感じるもの”があった。
「来たか」
次いでロバートが声を上げた。
彼だけでなく誰も将斗の勘を疑わない。他のメンバーも近付いてくる気配を感じ緊張を高めていた。
「く、来るって……」
マリナとサシェも彼らほどではないが、周囲からの空気を受けて同様の状態になっていた。
こちらは少し肩に力が入り過ぎている。
特にサシェには大事な役割があるため緊張から失敗されては困るのだ。
『赤外線センサーにも反応がありました。これはおそらく斥候兼見張り役ですね』
時を同じくしてミリアからも通信が入る。
彼女がモニタリングをしているヘッドセットについている高精度カメラにはナイトビジョンとサーモセンサーまでついているらしい。
あまりに便利なので「どんなマジカルアイテムだ、そいつを寄越せ」とメンバーが要求したが、どうやらこれはオペレーター専用の装備で制限中らしい。
「――見えた。撃ちますか!」
「構わん、撃て」
射撃命令を受け、エルンストのM38 SDMRが火を噴いた。
サプレッサー越しの抑圧された音をわずかに響かせ、高速で飛翔した亜音速弾が天井を這ってきていた一体のクモへと突き刺さり中枢神経を破壊。
撃ち抜かれたクモは自分の身に何が起こったかを理解する間もなく力を失って地面に落下する。
しかし、将斗たちは昆虫型魔物の強靭極まる生命力を舐めていた。
なまじ初遭遇時にスコットが1マガジン分を連射して倒していたせいで正確な判断が阻害されていた。
断末魔代わりの甲高い鳴き声を発して力尽きる巨大グモ。
「……ちっ、マズいな」
「ええ」
「ありゃ仲間を呼んだぞ。一匹ずつ狩るのは無理になったな」
小さく舌打ちをするロバート。
彼の言葉に転移メンバーの緊張が強まる。
「え、なんでわかるのさ?」
剣を携えたマリナが不思議そうに問いかけてくる。
たしかに彼女の言う通りで、習性を熟知しているわけでもない魔物に対してそのように断言はできないはずだ。
だが、迷宮の奥を見据えるロバートの表情には確信の色があった。
「俺が蜘蛛ならそうするからだ。それに……」
「それに?」
「この気配はヤバい!!」
緊張に強張ったロバートの頬を一筋の汗が流れ落ちる。
同時に、薄暗い通路の向こうから――音がした。
それが何か。もはや確認するまでもない。
暗がりの中に光る無数の赤。縄張りに侵入しようとする獲物を捕食すべく、大量のクモが一斉に姿を現した。誇張なくして本気で怖気の走る光景だ。
「なにがファンタジー世界だ! 普通にパニックムービーじゃねぇかよ、くそったれ!」
エルンストが立ち上がりながら射撃を続けて叫ぶ。
この状況下で冷静に狙撃などしていればあっという間に群がられて喰われてしまう。
悪態を吐きながらもいくつか仕留めていくのだから大したものだ。
「数が多すぎる! プランBだ!」
「普通は死亡フラグですよそれ!」
「安心しろ! ちゃんと備えてあるから!」
叫びながらもきっちりと手順通りに動き、誰も動作を誤らない。
「気持ち悪いくらいいるぞ!」
彼らからすればクモだろうがネズミだろうが大群系のB級映画の光景にしか見えなかった。
だからこそ自分たちで何とかするしかない。
ダンジョン内に作り上げた巣の中で繁殖したと思われる小さな個体まで含めれば数十体にも及ぶだろう。明らかに異常な事態だ。
こんなところに普通の冒険者が放り込まれたらエサになりに行くようなものだ。
――いったいなにが
疑念が転移メンバーの脳裏をよぎるも、そんなことを気にしている暇はない。
群がられた日には人間の身体など一瞬で喰らい尽くされる。
「スコット! このままじゃ凌ぎ切れん! 先に一発カマすぞ、いいな!?」
これだけの数はショットガンでも到底カバーしきれない。
「構わんやれ!」
「点火するぞ! マリナ! サシェ! 口を開いて耳を塞げ!!」
叫びと共にスイッチが握り込まれ、奥に向かって仕掛けてあったクレイモア群に点火。
炸薬のエネルギーを受けたベアリングの嵐が、上下左右から押し寄せる蜘蛛たちを断末魔の鳴き声ごと飲み込んだ。
壁に叩きつけられるのは肉体というよりも破片だった。
マナに戻る前の限りなく生物に近い状態のため緑色の液体が粉塵の向こうでは壁一面にぶちまけられていることだろう。
「み、耳がキンキンするよう……」
「くらくらしてきました……」
ふたりから弱々しい声が上がった。
混乱しているだけで、どうやら咄嗟ながら最低限の対策はできたらしい。
それでも慣れない爆発音に聴力をはじめとした感覚がやられかけているようだった。
残念ながら今はふたりに配慮している暇はない。
「将斗、気配はどうだ!?」
「殺気は鈍くなりましたが依然として健在です! またすぐに突っ込んで来るかと!」
「だよなぁ! 仕上げを頼むぞ、スコット!」
壁などが削られて粉塵が視界を奪うがそれでも迫り来る気配を感じ取っていた。
「オーライ! サシェ、補助を忘れるなよ!」
ロバートの叫びにスコットが立ち上がり携行放射器を構える。
「モタモタすると骨まで食われる! いくぞ!」
「は、はい!」
スコットが炎を放つと同時に、サシェも詠唱を終えていた魔法を唱える。
「《
サシェが発動したこの魔法、生活魔法として普及しているものであって、本来は戦闘に使えるようなものとして認識はされていない。
具体的な用途としては、暑い日に風を起こして涼むことのできる「あればいいけどそんなことに魔法は使わないだろ」の筆頭格である。
しかし、空気の中に含まれる“重要な物質”の存在を知る将斗たちの知識を用いれば、この魔法はたちまち今までにない凶悪な効果を発揮する。
ところで、詳細なメカニズムはさておき、ダンジョンでは階層を跨いで向こう側に状況は伝わらないらしい。
では、これを踏まえた上で、注ぎ込む魔力を増やして空気の流れそのものをコントロール――将斗たちが築き上げた防衛ライン、厳密には放射器の銃口から向こう側に流れ込まないようにすればどうなるだろうか。
この魔法のチョイスこそ、スコットが火炎放射器を選んだ理由と密接にリンクするのだ。
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