7.おなじ気もち


 乃愛が休暇によく来るこのカフェは、旧島では老舗であるアメリカ惣菜屋『Be My Light』の『新島店』になる。

 アメリカンダイナー風のレストランになっていて、小笠原旧島と同様に海辺の近くにある。


 小笠原で子供時代を過ごした者なら、父親や母親に連れてきてもらった思い出は必ず持っているといってもいいほど、親しみのあるカフェだ。

 それでも、新島のリゾート感にあわせたいまふうの佇まいはお洒落。木の階段を御園先輩と一緒に登って、レストランのガラスドアへと向かう。


 階段を新しいサンダルの足でカツンと踏みだした時、御園先輩の視線が乃愛の足下にとまった気がした。でも、すぐにいつも見せている微笑み顔で乃愛の目を見ると、さあ行こうかとばかりに先に歩き出す。

 それはまるで、女の子を先に歩かせないエスコートをするといわんばかりの姿にもみえて、乃愛はそんな先輩の背中に不思議な気持ちでついていく。


 いつも幼馴染みと一緒に、子供のときからかわらぬ日々を過ごしてきた。そんな乃愛にとっては、こんな女性として扱われるのはなんとなくくすぐったくて居心地がよくない……。大人の世界と空気感を、御園先輩はまとっている。


 レストランの中にはいっても先輩がスタッフと対応してくれ、席も確保。そこまで乃愛を連れて行ってくれる。テーブルに座るときも『どっちがいい』と聞いてくれ、乃愛から座るようにエスコートしてくれる。

 どちらに座っても窓から海が見える席を確保してくれたところも流石だし、女の子を先に座らせてくれるのも流石――。

 ドリンクのメニューを先に差し出してくれるのも流石。

 なんだこの至れり尽くせり感。かえって緊張しちゃうなと、乃愛はつくり笑いを浮かべながら受け取るだけ。

 なかなかに『女性優位になるよう教育されている?』と感じるのだけれど、自然な行動で嫌味もない。彼のそばにいる女性たちは、いつもこんなふうに大事にされているのかなと思うほどだった。


 窓辺にはマジックアワーを迎えたビーチが見える。この店も駐車場のむこうはビーチがあり、サーファーたちが帰り支度を始めている姿がちらほら見える。旧島より発展しているとはいえ、やはり、小笠原の雰囲気はそっくりなまま。ここに進出したこの店もだった。

 旧島では昔ながらのスタイルで、ガラスケースに並んだ惣菜をチョイスしてワンディッシュに盛ってもらうスタイルだった。

 新島に進出したこの店もワンディッシュスタイルはおなじだが、すでに決められた惣菜が盛られているものがテーブルまで運ばれてくるセットオーダースタイル。それにお好みの惣菜を単品でプラスすることができる。


 テーブルに置かれたドリンクメニューを、御園先輩と一緒に眺める。


「俺、ここの店。子供のときからライムソーダなんだよね」

「私も決まっています。旧島の『Be My Light』の時から、クランベリー・レモンソーダです」

「また同じだ! あの島で子供時代を過ごしたら、お気に入りドリンク決まってくるよな。何歳から旧島に? お父さんの転属で来たんだよね」

「その前は岩国基地にいたんですけれど、日本でいうところの中学生二年生ぐらいでこちらに来ました。そこからキャンプのインターナショナルスクール通いです」

「それで、剣崎少尉もお父さんの後を追ってDC隊員に?」


 父の話があまりにも自然に出てきたので、乃愛は戸惑う。

 どこまで知っている? いや、高官に囲まれて暮らしている先輩だからもう知っている? 乃愛がそこを探っている様子も読み取られたようだった。


「お父さんのこと……。昨日、スナイダーさんから聞いたよ」

「そうですか。……いまは、母も私も好きにさせています」


 こちらから多く語らなくても良くて、乃愛は少しホッとしている。

 気が利く先輩がこちらの事情を知っていることもさりげなく教えてくれ、それ以上聞いてこなくて――。気兼ねしなくていいことは、乃愛には助かることだった。


「勝手に知っていて申し訳ない。戸塚中佐とも親しくしているから、昨日、救助を成功させた君のこと、たくさん知ることができてしまったんだ。特に戸塚中佐が『飛び込んでくれた女性隊員は誰なのか』と、ウィラード艦長に必死に問う隣に俺もいたもんだから……」

「それはわかっています。小隊長の宇品大尉からも『そのうちにサラマンダー飛行隊の戸塚中佐と、部隊長の柳田大佐から呼ばれると思うから、そのつもりで』とのことでした。ですので、私の経歴が伝わったことも承知しています」

「でも……。お父さんのことを聞いて、俺も子供のころを思い出しちゃったな。任務から帰還した親が思わぬ状態で帰ってきたという経験、俺もあったんだよね」


 ご自分の事情すらもさらっと口にした御園先輩に、乃愛のほうが硬直する。

 先輩が言うところの『親』は、あの女性将官で名を馳せている御園葉月中将か、東南司令部の情報管理を統べている彼の父親、御園隼人准将のことを指している。となると、聞いてよい話なのかどうかという気構えが生じるのも軍人の性だ。

 思わぬ状態で帰還した親。乃愛の父親もそうだったし、幼馴染みの陽葵は変わり果てた父親が遺体で帰ってきたのだ。そんな『思わぬ状態』とは、御園家であったとしてどんなこと?


 今日が初対面に近い乃愛に、唐突なプレッシャーがかかった。

 それでも御園先輩が続ける。


「俺も母親のことでやきもきした時期があったんだよね。母が帰還したら艦長職と大隊長を辞して、妙な新部署に異動になったことがあったんだ。あきらかにその直前の任務でなにかあったとわかるような異動で。『任務中になにがあったか』なんて家族にも言えない仕事だろう。子供だったから、見えるそのままに受け取ってしまったんだ。母には母の事情が職務としてあったのに、『なんでもっと皆が認めてくれるようなかっこよさを続けてくれないんだよ』と、必要以上に突っぱねた時期があったんだよな」


 どのような状態で帰ってきた。ではなくて、『子供としてその時どう感じたか』という内容だったので、乃愛は目を瞠る。

 これも『同じ』だと乃愛には感じてしまったからだ。


 なんだろう。今日は駐車場で赤いトヨタ車に乗った先輩と出会ってからずっとだ。きっと先輩も同じように感じているのだろう。

 だから同じテーブルで食事をするなんてありえないことが起きている。


「お父さんにもなにかあって、いまは静かに噛み砕いている時期かもしれないね。軍を退いたみたいだけど、また君が知っているお父さんに戻ってくれる時が来るといいね。俺はいつか戻ってくると思うよ。他人事みたいに聞こえるかもしれなけれど、そうあってほしいと願うな」


『なんでもっと、皆が認めてくれるようなを続けてくれないんだよ』

 まさにこれだった。なんだか泣きそうになってきた。


 幼馴染みの陽葵は父親を亡くしてしまったから、乃愛はまだ父が帰還した分、泣けなかったところもある。もちろん、大好きだった相馬パパが死んだなんて認められなくて、そこは陽葵と抱きあって泣いた。葬儀の時も、ふたりでずっと一緒にいて抱きあって、忙しそうにしている親たちを傍目に、二人でずっと一緒にいた。その後ろに、兄貴分の大河がいた。女の子ふたりを支えてくれる兄貴も一緒に泣いてくれた。


 その後から始まった乃愛の娘としての晴れない気持ちは、幼馴染みは見抜いてはいるだろうが、乃愛は吐露できずにいる。父親が生還しただけマシだからだ。それだって口にはできない。『マシ』なんて決して言えない。陽葵だって絶対に言わない。

 そんな『お父さんがダメになって情けない』なんて気もち……。おなじ気もちを持っている人がいて乃愛は驚いているし、心がふと軽くなった気がしたのだ。


 乃愛の目の前がぼんやりと滲んできた。熱いなにかが込み上げてきたから。

 ふっと下を向いたのだが、目の前の御園先輩がはっとした顔をして気がついてしまった。


「旧島のオーナーとも知り合いなんだけど、ここのマスターとも顔見知りなんだ。ちょっと挨拶してくるね」


 また気が利く先輩がテーブル席から立ち上がり、スタッフが待機しているレジカウンターまで向かっていく。


 乃愛はバッグからハンカチを取り出して、目元を拭った。


 やばい。なんか先輩といると心を見透かされているようで、なんか怖い。

 初めての感覚に乃愛は戸惑うしかなかった。


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