小説家は嘘を付く

YOSHITAKA SHUUKI(ぱーか

小説家は嘘を付く


序章

 二〇二一年四月十九日、アメリカ航空宇宙局の火星ヘリコプター「インジェニュイティ」が、火星での飛行試験に成功した。これは、人類がはじめて、地球外での動力飛行に成功した瞬間である。インジェニュイティは、火星探査車「パーシビアランス」に搭載されて火星に運ばれた、超小型で超軽量なヘリコプター。機体本体は13.6×19.5×16.3というペットボトル程度の大きさで、直径1.2メートルの回転翼を二つ持つ。インジェニュイティの回転翼が本体に対して長いのは、火星の重力が地球の約三分の1である反面、大気の密度は地球の約100分の1しかないからだ。ジェニュイティとは、創意あふれる工夫という意味。火星での飛行は容易な事では無い。開発者は、火星に飛ばす為のアイデアを脳内で何度も試行錯誤し、創意あふれる工夫を具現化させた。

「快適な空の旅をお楽しみください」

脳内の思考回路が、律儀なアナウンスによってシャットダウンされる。辺りを見渡せば、青色のクッションが取り付けられたイスに座る子供達と大人達の姿が見受けられる。その大多数の子供達は、食い入る様にイスに取り付けられたモニターを凝視していた。

そのモニターの中では、カブトムシのキャラクターとクワガタのキャラクターが交互に話を弾ませている。CGアニメーションで彩られたその映像は、去年公開されたアニメ映画【バグダッド】だ。去年の興行収入ランキングで第5位に浮上し、映画好きなら誰もが知る国民的な作品となった。と同時に、その時期に公開された他の映画は興行収入が50万人にも満たない程、収入が良くなかった。それは全て【バグダッド】に興味が湧いてしまったからだ。他の映画のファン達はすぐさま【バグダッド】のアンチをし始め、『あんな虫ケラ映画何が良いの?』『安泰の生存者のほうが何倍も面白い』『観に行ったけど、吐き気してすぐ帰った』などのアンチスレが多数出来ていた思い出がある。

子供が食い入るように見つめる【バグダッド】は無音で、イヤホンを耳につけて観ている。ふと、私は目線を反らし外の景色を見る。東京の町が真下に見える。あの灰色の景色に有象無象の人間が潮流跋扈していて、いろんな考えをした色んな人物が蔓延っている。同じ表現を使わなくてはいけない程、人間は増え過ぎている。ふと、隣を見た。空席だ。寂しさは無い、むしろ快適だ。

「お客様、ご注文の品はありませんか」

カーペットが敷かれた通路にキャビンアテンダントがやって来る。キャビンアテンダントは私を横切りながらワゴンを押す。ワゴンの中を見ると、ジュースや軽食等が揺らつかないように固定してあった。

ふと耳を澄ますと、フライト中の安定したエンジンの騒動音が聞こえる。最新飛行機【EARL3D】の特徴は、安定した飛行と、客室の揺れが異様に少ない事である。2019年、新型ジェット旅行機「A350XWB」シリーズが、日本国内で運行を開始した。そのジェット機には当時の様々な最先端の技術が搭載されており、「フラップ」と呼ばれる部分を最適に動かして、空気抵抗を小さくする仕組みが備わっていたり、機体の53%が、強度と軽さを併せ持つ「炭素繊維強化プラスチック」で作られていたりと、今までの飛行機には考えられなかった作りが行われていた。そして、2026年。遂に「A350XWB」の後釜となる新型飛行機「EARL3D」の運用が開始された。私達は今それに乗っている。つまり今日、私達は日本での始めての「EARL3D」乗客員となるのだ。

静かな客室に、眠気に襲われる旅行者達。そんな者たちを尻目に、僕は紙とペンを取り出した。書く内容はもちろん決まっている。次の小説の内容だ。僕はペン先を紙につけようとした、その時だった。静かな客室に轟音がなった。

その音は余りにこの世のものでは無く、地獄の噴火口が爆発したかのようだった。あまりの爆音に僕はペンを滑らせて、紙にミミズを描いた。

他の旅行者達も意識を覚醒させて飛び起きる。『何だ?』『え、え、何?』と口々に喚く旅行者。そんな人達をなだめるように客室乗務員が「大丈夫ですよ」と軽くなだめる。

すると、その客室乗務員の顔が笑顔から険しい顔に変わり、コックピットに飛び込む様に入って行った。

「これやばいんじゃないの?」「嘘でしょ」

そこかしこから聞こえるネガティブな発言、その発言が他の旅行者の耳に入り、より不安にさせる。直後、その不安は現実となった。

また猛烈な爆音が鳴り、飛行機が急加速し始める。ケータイを取り出して何かを打ち込む人、何かを懇願する人、大声で叫ぶ人、私はその地獄のの中、一人佇んでいた。ふと、前のモニターを見た。【バグダッド】も最終局面に向かっている。カブトムシのキャラクター、リアターとクワガタのキャラクター、マヤがカマキリの親玉とぶつかり合っている。その瞬間、モニターの映像が消えて震える老婆の顔が映し出された。私は、あの老婆よりも短い人生だった。それよりも子供の方が儚い人生だろう。私は目をつむり最期の時を待った。



それから幾時経っただろう。遂に最後がやって来た。プツリと音が消えたかと思うと、私の身体が上下にうなった。そして、機体が地面に叩きつけられ、飛行機の破片がバラバラに弾け飛んだ。


00.


最新飛行機墜落事件、熊本の山奥に墜落したEARL3Dは、大きな爆発と共に炎に包まれた。すぐさまにネットニュースやテレビで話題となり、救助隊が墜落事故に派遣された。乗客の親族は願った。自分の家族が生きていると。しかしその希望も虚しく生存者はたった一人しか確認できなかった。生存者の名前は田原明人、小説家だ。



『小説家は嘘をつく』



01.


 何故、僕は死ななかったのか。そう考える度あのときの光景が脳裏に蘇る。何度頭を横に振ろうとも零れ落ち、寄生虫の様にへばり付く。

田原明人、僕は病室の天井を見ながら考えていた。この虫は殺虫剤ぐらいでは死なない、人間を殺す程の毒でない限りこの寄生虫は離れてくれない。横に聴こえる人工呼吸器のわずかな呼吸音が白い室内空間に響く。あの人はどういった病気でここに運ばれて来たのだろうか。肝不全か、それとも心筋梗塞か。もしかして、僕と同じように事故にあったのだろうか。

そんな時、静寂の空間に無機質な金属音が響いた。ドアノブが動いた音だ。

「田原くん、体の具合は?」 

「体は何とか、でも頭が痛いんです」

看護師の中島由貴が僕に話し掛けてくる。

「頭....?」

「おそらく飛行機障害です。飛行機に乗ると気圧の上昇、下降によって機内の気圧が変化するんですよ」

彼女は微笑する。

「昔っからそうよね、田原くんは。この病院で働いてきたときから」

「何がです?」

「説明口調ってことよ」

僕は目を擦って曖昧な笑みを彼女に送る。僕は昔、この病院で働いていた。役職は診療情報管理士、主に患者のデータを収集する役割だ。あの頃、僕は二足のわらじを履いていた。一つは医療従事者。もう一つは、小説家としての活動だ。ある時、病院の仕事を辞めてからは小説家活動一筋でやっている。

「僕、生きてて良かったんでしょうか」

「生きててよかったに決まってるわよ、田原君はもっと自己肯定力をあげないとね」

彼女はそう言うが、僕はそうは思えない。あの飛行機の乗客には僕なんかよりも生きるべき人間がいた筈だ。なのに、こんな人間が生き残るなんて人生とはあまりにも不平等だと思う。『悪人は裁かれず、善人が裁かれている』僕の書いた小説のセリフが脳裏に染み付いてくる。僕の頭から絞り出したこの台詞は、間違いではなかった。間違いでは無いどころか、現実なのだ。

「また来るわ」

中島由貴は扉をゆっくりと閉めて僕の視界から姿を消した。中島由貴、彼女は一人の娘がいる。名を中島紗良、小学三年生の可愛らしい子供だ。僕も一度だけあった事がある。その時に絵を描いてもらった。あの絵は今でも捨てずに持っている。


02.



僕には、するべき事がある。飛行機事故のたった一人の生存者として、そして小説家として。僕は、パソコンの電源を起動して文書を書き始めた。内容は飛行機事故の詳細だ。あの時、飛行機の内部で何があったのか。それを事細かく文章にして読んでくれる人に伝える。もう決してこんな事故など起きないように、あの地獄の様子を伝えるのだ。僕は、文章を書きあげてサイトに乗せる。すると1分ぐらいたっただろうか。一つのコメントがついた。内容は、お悔やみ申し上げます、との一言だった。僕は満足してそのまま寝た。そして次の日、そのサイトを見ると溢れんばかりのコメントが付いていた。そこには無数の感謝のコメントが寄せられている中で、他とは違うコメントを発見した。そこには、こう書かれていた。

「その席に座ってるとすると、助かる確率はゼロだと思いますが。本当にその席に座っていたんですか」



03.



「このサイト見てくださいよ」

山杉秀太は、パソコンの液晶を隣に座る山田ヒロトに見せる。そのパソコンの画面には一つのサイトが映っていた。

「飛行機事故の全貌?何ですかこれ」

山田ヒロトは首を傾げる。そのサイトには、たった一人の生存者だと思われる小説家が文章を綴っていた。

【僕は田原正人、僕は小説家だ】

その文章から続く怒涛の文字、その文字数は何と3万字にも及ぶ。

「これってもしかして!?」

「その通り、これはあの飛行機事故の生存者だ」

山田ヒロトと山杉秀太は、顔を見合わせる。その二人の表情は恐ろしい程に合致していた。両者とも同じ気持ちを抱いているように思える。

「会いに行きませんか?田原正人さんに」

「会いに行きましょう、今すぐに」

そう言うと二人は、扉から出ていった。


04.


病室についた山田ヒロトと山杉秀太は、田原に質問をする。

「本当にその席に座っていたんですか」

「はい、その席に座っていました」

「ですが、その席に座っているとしたら・・・」

「助かる確率はゼロだって言いたいんですか?人間はいつもそうだ。数字ばかりをみる」

「あの、ちょっと確認したいのですが」

「何でしょうか?」

「本当に飛行機に乗ったのですか?」

「はい?」



「・・もしかして田原さん、貴方は飛行機にすら乗ってないんじゃないですか?」



05.


僕の本当の名前は、田原明人。僕の名乗っていた田原正人という名は僕の兄の名前だ。そして、僕は小説家でもない。そう、僕は小説家だと嘘をついていたのだ。


06.


「どうなんですか?田原さん」

「 ・・・」

田原は沈黙する。

「飛行機事故なんてここ十年一度もないんですよ、田原さん。あなたはいつの時代、飛行機事故に合ったんですか?」

「僕は嘘を付いていました」

「エ?!」

「僕の本名は、田原明人。田原正人の弟です。そして・・・」

「何ですか?」

「飛行機事故にあったのは僕では無く、兄の方だったのです。兄はその飛行機事故で命を落としました。そしてその兄は、小説家でした。その兄は偉大でした。なんと、その兄の小説が昨年映画になったのです。「安泰の生存者」という題名で」

山田ヒロトと山杉秀太は、顔を見合わせる。確か昨年話題になった【バグダッド】と同じ時期に公開された映画だ。

「えっと、何故こんな嘘をネットに?」

山田ヒロトは、田原明人に質問を投げかける。しかし、田原は苛立つように眉を顰めた。

「兄の映画は、バクダッドとか言う虫ケラ映画より余程面白かった。なのに何で・・・」 

田原のその言葉にフッと気がつく山杉秀太。

「もしかして田原さん。貴方はバグダッドのアンチスレで名を馳せていた・・・」

「はい、そのとおりです。僕はあのスレの人間です」

田原明人はきっぱりと言い切った。

「そんな....」

山杉秀太は悲しそうな声で応答する。

「じゃ、話を戻しましょうか」 

山田ヒロトは、話を戻す。

「何故、貴方は嘘を付いたのですか」

「ボクの兄は、殺されたのです。飛行機事故に見せかけたテロで」



07.


「えっ、本当ですか?」

「本当ですよ」

「いいえ、嘘ですよ。あの飛行機事故は機材トラブルによる事故でした」

「嘘です。それはマスコミのデタラメです」

「え!?」

「田原さん、貴方はネットの情報に騙されているんです」

田原明人が見たネットの記事には、こう書かれていた。【あの飛行機事故はテロの仕業だった!?】そんな見出しが付けられている記事を田原明人は読んだのだ。

「君は、その記事を鵜呑みにしてこんな嘘を作り上げた。いもしないテロの犯人をおびき寄せる為に」

「あの記事は...嘘?そんなの嘘だ」

「君は騙されていたんです、ネットの嘘に」

「そんな....」

田原明人は病室のベッドからどさっと崩れ落ちる。田原明人は騙されていたのだ、ネットという特大の嘘に。

「そんな、そんな、そんな、そんな....」

一人残された田原明人は、頭を抱えながら呪文を唱えていた。だったら、僕はなんの為に嘘を付いていたのか。田原明人は一生答えの出ることのない問答を頭に訴えかける。しかし、その問の答えは形成されずいつまで経っても思考が完結しない。

「僕は、僕は、僕は...」

小説家だと嘘を付いた田原明人、彼は嘘に騙されたのだ。



.end.




 

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