怪盗百面相

夏木

怪盗に盗まれた


 平凡に見える住宅街。だけど、ここ最近になってから、この付近に怪盗がいると話題になっている。


 現れたという話は聞くのだが、何が盗まれたのかまでは知らない。だから警察が調べることもない。



 どうも、大切なものを盗まれるらしいのだが、一体何なのだろうか。




 ☆




「やあ」



 仕事を終え、夜道を歩いていたとき、軽い挨拶で目の前に現れたのは、見知らぬ若い男が現れた。

 街灯に照らされたその姿は、俺と変わり映えしないスーツ姿。ただ、皺のない真新しいスーツ。細身で肌色もいいし、社会人になりたてだろうか。ずいぶん若そうだ。


 仕事以外で、こんな若い人と知り合いになってはいない。

 だが、周りに人は誰もいない。

 明らかに俺へ向けた声かけである。


 人違いだと思って通り過ぎようとしたが、俺の後ろをつくように歩いてくる。

 怪しいセールスかなにかだろうか。



「なあなあ、無視しないでよ」


「人違いです」


「いいや。人違いじゃないね。君は僕のターゲットだ」


「は?」



 足を止めて振り返ったとき、男は不気味なほどニコニコと笑みを浮かべていた。

 コツコツと革靴を踏み込んで俺との距離を詰めていく男は、表情を全く変えない。



 残り一メートル。

 目の前に男が来て足を止める。



琴鷲ことわし康弘やすひろ。19××年3月12日生まれのAB型。独身で、この先のマンション最上階で暮らしている警察官。てっきりお金をたくさん持っているから、黒塗りの車で通勤していると思ったけど、電車なんだね」



 俺の個人情報をベラベラと話し、細めていた目が怪しく光らせた。

 金色の瞳ににらまれて、思わず身を固くする。

 住所まで筒抜けになっているなんて、気味が悪い。



「べらべらと……一体、お前は誰だ? 俺になんの用だ?」


「えっと、僕、有名なんだけど知らない?」


「知らないって……お前みたいなやつは見覚えがない」


「ふぅーん。残念だな。それなら教えてあげるね。僕、こう見えて怪盗やってるんだ」



 怪盗?

 この男が?

 というか何で俺の前に来て、わざわざそれを言う?


 俺はこう見えても、警察官。

 自らを怪盗と名乗る怪しい人物。捕まえてくださいと言っているようなものだ。間抜けにもほどがある。


 怪盗なんて信じていない。今の社会にそんなもの存在するはずがない。

 この男、ふざけているのか。



「ふざけているのか。そんな奴存在しない。警察のリストにも上がっていない」


「えー? 僕はちゃんと存在しているのに、信じてないの?」


「当たり前だ。被害が報告されていない以上、警察は動かない。警察には仕事が山ほどあるんだ。いちいち噂に振り回されてたまるか」



 怪盗の存在が話題になっていたのは、近所の井戸端会議ではなく、SNSだ。特に若い世代での盛り上がりが著しいと、部下から聞いている。そこで調べてみたが、一切被害や事件について報告は上がっていなかった。ともなれば、俺にできることは他にない。対岸の火事のように、盛り上がりを人づてに聞くだけ。ひと昔前の人間でもある俺は、インターネットやらSNSやらに疎くて、それしかできていない。


 それよりも今はもっと大変なことが起きている。

 俺たちのトップが行方不明っていう事件が。

 事件が事故か。それとも単なるボイコットか。情報がほとんどない状況で、俺は今日も足で情報収集と探索を行ってきたところだ。


 もう疲れている。こんな馬鹿を相手にしているほど暇はない。



「それで? 空想上の怪盗がなんで俺の前に? 金なら今はないが。それとも自首希望か? だったらあっちに交番が……」


「違う違う。盗みに来たんだよ」


「は――え?」



 理解できずに首をかしげたとき、男の手が伸びてきた。

 とっさに躱すことすらできず、一瞬で視界が覆われた時、男が囁く。



「君の顔、いただきます」




 ☆




 人気の無い森の奥に、男の住処がある。かつて別荘として使われていたようで、人が住むには問題ない家だった。この家の持ち主は、もうこの世にいない。それゆえ、男は自由気ままにこの場所を拠点にしている。


 この家が建つ場所はうっそうとしており、野生動物が多く暮らす。崖など危険な場所も多く、誰も寄りつかないほど不気味な場所のため、見つかることがなかった。


 そんな住処で、男は盗んできた物を手に、鏡の前に立つ。

 血まみれの服を気にとめることなく、男は自分の顔へ、盗んだ物を持った手を重ねる。


 すると。



「ふふっ。まーたいい顔見つけちゃったナァ」



 男の顔は一転、あの路上で出会った琴鷲の顔へと変わった。



「顔の上書き、そろそろ手慣れてきたなー」



 にやりと笑う不気味な男。

 足下にはいくつもの新聞が落ちていた。そのうちのひとつを手に取って目を落とす。



『奇怪な怪盗現る』

『盗まれた物は顔であると警察発表』



 その見出しから始まった記事には、詳細な内容が書かれているものの、男が全てを読むことはない。


 見出しだけを読んでから、つまらなさそうに新聞を投げ捨てる。

 床に無残に落ちた新聞を踏みつけ、ソファーに座った。



「全く警察も発表遅いよね。そんなんだから、僕に顔を盗られちゃうんだよ。あ、警察のトップの顔も僕が盗ったんだっけ」



 再び手を顔にかざすと、顔が幾分か歳のいった男へと変化する。



「これが警察庁長官の顔だったかな? 久しぶりに出勤してみよっかなー。みんなびっくりするだろうなぁ。ふふふ」



 慌てる姿を想像しては、まるで子供のようにはしゃぎ始めた。



「さあ、明日も楽しい日になりそうだ」



 数多の顔を盗った男は、楽しそうに笑った。





 終わり


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