悪役転じて愚者となる
長月瓦礫
第1話 喪服の心
マリアのいじめが不当なものであることは承知していた。
マリアが誰よりも努力していたことも、あの子が誰よりも優しいことも、全部知っている。
だから、学園の首席となり、聖女に選ばれた。
私が表だっていじめることで他の人が彼女に危害を加えないようにしていたのも、全て計画のうちだ。
けれど、私の世界はいつから色を失ってしまったのだろう。
マリアをいじめるようになってから?
ロベルトの言葉に従うようになってから?
いや、学園に入るずっと前から、私の世界に色なんてものはなかったのかもしれない。私は社会の望むままに生きてきた。私の意思なんて関係なかった。
所詮、私はあの子の付属品に過ぎない。
私は何者にもなれない。
ロベルトは言っていた。
ガルシア財閥の御曹司で、幼馴染だったあの男だ。
『彼女は聖女の名を授かることになった』
『彼女と結婚するためにも、学園では愚かに過ごせ』
思わず笑ってしまった。
なんて都合のいいシナリオなんだろう。
いじめっ子の私を退けるヒーローになるだなんて、なんて都合のいいお話なんだろう。
私の心なんて、とうの昔に消し去られた。
私は何者にもなれない。
だから、私は悪役になるしかないのだろう。
それがきっと、お似合いだから。
「こうするしかないんだ……こうするしか……」
何度も呟きながら、ノートを破く。
紙片が舞う。窓から差し込む夕焼けが眩しい。
あの子を守るために、こうするしかない。
「正直、誰かが書いた筋書き通りに生きることなんてないと思うんだけどねえ」
あの子のノートをバラバラにした瞬間、そいつは現れた。
腰まで伸びた金髪、金色の目、喪服、手足がやたら長い男だった。
「どういうこと?」
ノートの紙片が男の手元に集まり、元に戻った。
陰湿ないじめをなかったことにした。
「少しは自分に正直になってもいいんじゃない?
あんな奴の指示に従うことないよ」
「……誰なの、アンタ」
「私は君だよ、ダイアナ・ボイス。
死んだと思った心そのもの」
「私の心?」
机の落書きが浮かび上がり、バラバラに砕けて消えた。私の悪事が消えていく。
「言葉にしていないだけで、分かっているんだろ?
ただ、あの子に幸せなってほしいだけ。
けど、あの男と結ばれて聖女になって、それで本当に幸せになれるのかな?」
答えられなかった。
それが1番の幸せだと思っていた。
そのために私は存在していると思っていた。
それでいいと思っていた。
「あの子のこと、ちゃんと考えてあげたほうがいいよ。
私も少しは手伝うし、どうかな」
私は教室を飛び出していた。私の心を名乗る変な男が現れた。
警備員は何をしているのだろう。
あんな男の侵入を許すなんて、信じられない。
私はめちゃくちゃに走り回った。
彼の言葉から逃げるように、息が切れるまで走り抜けて、住宅街に迷い込んだ。日が傾き、もうすぐ夜になろうとしている。
あの子は幸せなのか。それは、封印していた疑問だった。
叩くたびにあの子は泣いていた。
こんなことに何の意味があるのか。考える暇すら与えられなかった。
荒い呼吸を何度も繰り返していると、男は曲がり角からゆっくりと歩いてきた。
「言っただろ、私は君なんだ。
逃げる場所くらい、知ってるんだよ」
私の心そのものだとこの男は言った。こんなものだとは思わなかった。
死んだと常々思っていたが、その姿を見ると悲しくなってくる。
「……アンタが私なら、考えてることくらい分かるんじゃないの」
「そんな都合のいい話、あるわけないでしょう。
心は液体だ。言葉という型に流し固めて、ようやく誰かに伝わる。
このぐちゃぐちゃした混沌を言葉にしてくれないと、何も分からないよ」
「私をひっかきまわしているアンタがそれを言うの?」
「それが心だからね」
見透かしたような態度が鼻につく。
彼の言っていることは何一つまちがっていない。
私の心だから、分かっているようなことを言うのだ。
「……私はあの子を守りたいだけ。
聖女でも何でもいいから、幸せになってほしい。
こんなことをしたところで、あの子は悲しむだけなのも分かってる」
許してもらうつもりはない。それだけひどいことをやってきた。
私はあの子を裏切った。罰を受けなければならない。
「どうすればいいのか分からないの。
今更、引き返せない。私は何もできない」
私は無力だ。人を遠ざける方法がいじめしか思いつかなかった。
もう少し力があれば、あの子を傷つけることはなかったのだろうか。
「そんなことはないよ」
彼は指を鳴らすと、私へ姿を変えた。
「言っただろ、私は君なんだ。
自分の望みくらい、誰よりも分かっている」
「言葉にしろって言ったばかりじゃない」
「今、ようやく言葉にできたじゃないか」
呼吸が楽になっている。
胸につっかえていたものが外れたからだ。
「これで私も君もようやく自由になれる」
私はとびきりの笑顔を見せた。
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