シトロンタルト



門から少し離れた場所で馬車を降り、二人で歩いて教会の入り口に向かう。

路上には、誰かが撒いたであろう紙ふぶきとコデマリの花が散っていた。


春らしく少し風の強い日。

こんな日に、もし火事なんてことが起こったら危なすぎる。

弾むように先を歩いていたロッティの足が、ぴたりと止まった。


「どうしたの?」

がいるわ」


ロッティがとんでもなく苦々しい顔をした視線の先には、教会の門があった。

中へ入る人たちが、門の内側に向かって深々と頭を下げているのが見える。

じっと目を凝らすと、誰かの後ろ姿と同時に、ひらりと靡くマントが目に入った。


……あれは間違いなくジークフリード王子だ。


着いた途端に会うなんて最悪の展開。

でも、あそこから行かなければ中に入ることができない。

ロッティと顔を見合わせて肩を上げ、足に鉛でもつけているのかというくらい重い足取りで門へと向かった。


「やあこれはこれは、フリューリング侯爵令嬢。そして、ランハート伯爵令嬢。ようこそペルペトゥア生誕祭へ」


学園の制服に真っ白なマント。いつもの出で立ちのジークフリート王子が、ゾッとするくらいさわやかな笑顔をこちらに見せた。

うわあ、なにそのキャラ鬱陶しい!

目を細めてわざとらしい表情を作っているが、これは来場者へのアピールだ。


ジークフリート王子の横には小さな女の子。その横には、女の子を支えるようにシャルが立っていた。

シャルはわたしたちと目が合うと、膝を曲げて深々と頭を下げた。

小さな女の子も、シャルの真似をしてお辞儀をしている。

ぐぅ可愛い……それでも、嫌な状況であることは何ら変わりがない。


春の風が吹き、小さなコデマリの花がちらちらと雪のように舞っている。


「風が強いわね」


ロッティはジークフリード王子に挨拶をしながら呟いた。

その言葉に頷きながら、わたしも王子に頭を下げた。


「君たち、今日は生誕祭だ。それに同じ学院の同級生ではないか、そんな堅苦しい挨拶はしなくていいよ」


歯がキラりと光るのではというくらいの眩しい笑顔、なんだか上機嫌すぎて気持ち悪い。

今更婚約者との仲をよく見せようとする意図は何なのだろう……。

二人が不仲なのは有名なことだ。


ロッティは、ジークフリート王子の対応に、あからさまに大きなため息をついた。


「では失礼いたします」


まったく表情を変えず、わざとらしいくらい丁寧で美しいカーテシーをすると、ロッティは私の手を掴んだ。

ロッティに引っ張られるがまま、挨拶もそこそこにジークフリード王子から遠ざかる。

当の王子は特に気にした様子もなく、既に他の来客と楽しそうに話し始めていた。


「ったくなんで入り口にいるのよ、あの馬か……コホン」


ロッティは言いかけた言葉をぐっと飲み込み、小さく咳払いをした。

周りの視線が、自分に集中していることに気づいたからだ。


ジークフリード王子と、その婚約者であるシャルロッテ・フリューリング侯爵令嬢。

二人のことは、社交界でも注目の的……というより、美しい二人が不仲であることは、貴婦人たちの間で格好のお喋りの種なのだ。

フリューリング家は財力があるので第二王子はどうやっても手放さないだろうとか、すでに寵姫がいるとか、世継ぎ問題とか……。

16歳の令嬢に対してとは思えないような、嫌な話ばかりで頭が痛くなる。


大人達だけではなく、学院内はもちろん、同世代の間でも同じようなものだ。

ロッティの口が悪いせいで『侯爵令嬢の気が強すぎる』『わがまま令嬢だ』と言われ、顔だけしか取り柄がないジークフリード王子がなぜか同情されている。本当に腹が立つ。


教会内を進んでいると、子供たちの「聖女を称える歌」が聞こえてきた。

楽団の演奏もとても素晴らしく、つい聞きほれてしまう。

参道横では、天使の羽根をつけた小さな子供達が真っ白な風船を配っていた。

あたりには焼菓子の焼ける良い匂いが漂っている。

穏やかな光景を見ながら甘い香りを吸い込んでいると、ロッティがぽそりと口を開いた。


「あいつの浮かれた様子……きっと、この前開いた慈善パーティが一番寄付を集めたんでしょうね。今まで参加した中で一番最低なパーティだってっていうのに……」


遠くを見つめながら独り言のように話すロッティに、一人の小さな天使が駆け寄ってきた。

ロッティは少年に合わせて立ち止まり、姿勢を低くした。


「どうしたの可愛い天使さん」


声をかけられた少年は、一瞬にして頬を真っ赤に染めると、手に持っていた真っ白な風船を全て差し出した。

そうでしょうそうでしょう、ロッティのこの美しさは子供でも分かるよね。


「これ、どうぞ聖女様っ!!」

「あら聖女だなんて」


ロッティは風船を一つだけ受け取り、少年の頭を撫でている。

天使の扮装をした少年は、耳まで真っ赤にして走り去ってしまった。


あんな小さい子には刺激が強すぎる美しさだったのねーってわたしも風船ほしかったな……。

うん、いいのよ、モブだもの仕方ない……。


すぐ近くにいた違う天使に風船をもらい、ふたりで教会内を進んでいく。

聖堂の横には、鮮やかな薄黄色の幕を張った小さな店が出来ていた。

甘いバターの香りに誘われ、たくさんの人が並んでいる。


「わぁいい香りねえ」


思わず立ち止まるわたしに、ロッティが頷きながら顔をほころばせた。


「生誕祭の時だけに作られるシトロンタルトは絶品だもの! ねえエミリー、午後からあいつの寄付金発表会なんて見たくないでしょ。お父様とお母様が教会に来たらここにいる必要はなくなるわ。一緒に屋敷に戻ってタルト食べましょ?」


フリューリング家は、家柄と財力ではこの国のトップだ。教会だけではなく、色々な施設に莫大な寄付をしている。

ロッティの父親であるフリューリング侯爵は、普段はこういう場所には顔を出さない。でも、生誕祭は国を挙げての大きな祭りなので、必ず毎年参加することになっている。


そうだわ、侯爵夫妻が到着する前に、ロッティの買い物をすべて終わらせてしまえばいい。

夫妻到着と同時に挨拶をして、すぐにこの場を去れば、これ以上ジークフリート王子と絡むことなくイベントから逃れられるかもしれない……。


「いいわねロッティ! それがいいわ、早く並びましょ」


行列を眺めているロッティの手を取り、いそいでシトロンタルトの列に並んだ。

もしかしたら、思ってたより簡単にこのイベントから抜けられるかもしれない。

でも、まだ油断しちゃ駄目。

ジークフリード王子はこの庭園内をうろついているかもしれないし、シャルはこの教会にいるのでいつでも会う可能性がある。

それに、今日を回避できたからってハッピーエンドなわけじゃない……。

無意識に手にぎゅっと力が入る。

その時、ロッティと繋いだ手を放していないことに気付いた。 


「あっごめんなさい」

「ぜーんぜん大丈夫よエミリー」


慌てて手を放そうとするわたしに、ロッティはさっきの少年が言ったように、まるで聖女のような微笑みを見せた。


「ねえエミリー。こうやってお菓子の行列に並んでると、ふたりが初めて会った6歳の頃を思い出すわね。あの頃はこんなに悩んでばかりの毎日になるなんて考えてもなかった……」

「うん、そうね……」


そう、ロッティと初めて会ったのは6歳。初等科に入学した時だった。

あの頃は毎日が楽しくて、自分たちに婚約者ができるなんてことさえ考えてもいなかった。中等科に入る前にジークフリード王子がロッティに婚約を申し込み、学校が始まった時には、もう第二王子の婚約者だと全校生に知れ渡っていたんだっけ……。

少しでもロッティに近づこうと『お友達』になりたがる生徒は沢山いたけど、美しさに反比例した喋り方、なんでもハッキリと言う気の強さにどんどん女子達が脱落していったんだわ……。

それでも、わたし……エミリーは、そんなロッティがずっとずっと大好きで……。


突然、胸いっぱいに気持ちが溢れそうになった。

ロッティと繋いだ手を、さっきよりさらに強く握る。


「ねえロッティ、こんな場所で言うのも変だけど、わたしあなたと仲良くなれて本当に良かった、これからもずっと、何があっても一番大好きなお友達よ」


わたしを見つめているロッティの水色の瞳が、僅かに潤んだように見えた。と、思った瞬間、顔が一気にピンク色に染まった。


「ちょ、もう、やだ、エミリーったら、急にやめてよ。愛の告白みたいじゃん!」

「だって言いたくなっちゃったんだもん、告白よ!」

「えーもう、じゃあしょうがないなーありがたく受け取っておくわ」


真っ白な歯を見せて楽しそうに笑うロッティ。

彼女はこの表情でいるのが一番良い、もう悲しい顔は絶対にさせないから。

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