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 聖ツムシュテク教皇国、メルダース帝国、ヴァリ王国、ケイマン。四か国が入り乱れる戦況はいまだ決着がつかず、膠着状態が続いたまま長い時間が経った。

 しかし、戦況が動くときはいつも一瞬。


 アーデルハイトの最後の仕掛けがついに動いた。生前から個人的に付き合いのあった、ホロホロ諸島。

 メルダース北部の沿岸地帯を、ホロホロの海賊が占拠した。ツムシュテクとメルダース、互いの海軍がぶつかり合った際に、ホロホロ諸島の海賊がメルダース海軍の背後をついた。

 メルダース海軍は潰走し、ホロホロ族による本土占拠をツムシュテク海軍が手助けする形となった。


 それらはすべて、アーデルハイトの掌の上。


 アーデルハイトの名でしたためられた親書をホロホロ諸島まで届けたのは、族長メータールックが率いる魚人と『影』である。私掠御免状が取り消されたことによる詫びと、ハッセルバムとの国交打診。さらにはメルダース北部沿岸を占拠するタイミング、その後の対応までを一方的に送り付けた。

 生前、アーデルハイトが私掠御免状を渡したときも、同じように一方的なものだった。アーデルハイトはホロホロ族を野蛮なものとして扱わぬ。他の国と同じように対等でいてくれる。と、彼らは言っていたが、アーデルハイトにとってはホロホロ族が人肉を喰らおうが、海を縦横無尽に荒らそうが、マーティアスの害にならなければどうでも良かっただけのこと。

 聖ツムシュテク教皇国への嫌がらせとして、いいように使わせてもらっただけだ。

 それでもホロホロの彼らがアーデルハイトを気に入り、アーデルハイトの提案ならば断わらないことは事実。完全に制御しきれる駒でないことは問題だが、狙ったところに誘導してやるくらいのことはできる。


 ホロホロ諸島に上陸したメータールックが言っていた。アーデルハイトが生きていることを知って、ホロホロ族のものたちが歓喜の声をあげた、と。

 ホロホロの名産品はどれも美しく、口にするものも繊細で美味である。ハッセルバムとして良好な関係が築けるのならば僥倖といえよう。


 そしてハッセルバム王クリセルダの名で送り付けた、ツムシュテク教皇宛ての親書。

 ハッセルバムによるゴルダイム辺境領占拠を示唆し、ホロホロ族が動くであろうことを記した。アーデルハイト・ヘルミーナ・ラ・メルダースの名を出せば、ホロホロの彼らが敵にまわることはない、という一言も付け足して。

 戦争の真っ只中にあるツムシュテク中枢に、裏道からの親書が無事に届けられるかは不安があった。とはいえ、神の名を唱えながらもけして清廉とはいえないツムシュテク中枢だ。教皇まで届かなくとも、必ずこの親書どおりに動いてくれるだろう確信も、アーデルハイトは持っていた。なにより、あのマテオ・フェンナロがいるのだ。彼の情報網であれば、親書の内容など容易く手にできる。マテオなら動く。確実に。


 これらの仕掛けはヴァリ王国やケイマンらが躍ってくれたように、すぐに発動する仕掛けではない。

 ホロホロ族の動きはアーデルハイトにも読み切れず、聖ツムシュテク教皇国もまた信憑性のない親書を簡単に信じることはできない。であるがゆえに、戦況が膠着状態に陥り、各国が疲弊してきた段階で動くだろうことは簡単に予測できた。


 メルダース帝国は内陸で睨みあっていたツムシュテクとの戦線から一部の軍を北上させ、ホロホロ族への牽制に向かわざるを得なかった。その際、新たな農民が徴兵されたことは言わずもがな。

 そして行軍のさなか、アーデルハイトの予想通りメルダース国内で新たな問題が勃発した。


 農民兵の反乱である。


 長引く戦争。度重なる徴兵と、働き手が足りていない中での増税。ツムシュテクとヴァリとの交易が途絶えたことで物資が不足。民たちは限界を迎えていた。

 農民兵の反乱を煽ったのは、アーデルハイトの予想が正しければクリストフ・バルデル伯爵その人だろう。マーティアスとともにソアラに懸想していたコルネルス・バルデルの父。アーデルハイトが生前から警戒していたように、彼は反皇帝派の代表である。現状、戦争による国の弱体化は避けられないものとし、現皇家の横腹を蹴り飛ばすくらいはしてくれるだろうと思っていた。


 反皇帝派はもとより、帝国の領土をこれ以上広げることを良しとしていなかった。マーティアスのために領地拡大を目論んでいたアーデルハイトとは幾度もぶつかったのだ。帝国に身を置かずとも、彼らの動きなど予想するに容易い。


 メルダース帝国が敗戦すれば、その機に乗じてマーティアスら皇帝とその一派を引きずり落とすために画策するはず。クリストフ・バルデルには、現皇帝と血の繋がらないベルツ第一皇子という強い切り札がある。彼の手に握られた情報と証拠をもってすればソアラを追い落とすことなど容易く、敗戦の皇帝となったマーティアスなど敵ではない。


 しかし、思った以上に最後の駒が動かない。

 当初の予定ではメルダース国内で反乱が勃発してから、最後の駒が動き出すはずだった。あのせせこましい国のことだから、容易く動いてくれるものと油断していた。時間と手が足りず、流れに任せたのがいけなかったか。

 ハッセルバムから物資の供給はあるものの、長引く戦争に小国であるケイマンが陥落しかかっていた。こちらとてつい最近までは飢えに苦しんでいた国である。満足に出せる物資などありはしない。ハッセルバムが国家樹立宣言の機会を待っている現状、援軍を出してやるわけにもいかなかった。独立軍と行った物資強奪の工作がなければ、ケイマンは今ごろ瓦解していたかもしれない。

 ディブスにはどうにか持ちこたえてもらうほかない。


 新たな手を打つべきかと思った矢先、ついに最後の駒が動き出した。

 センドアラ公国によるメルダース帝国への進軍。名目は、ヴァリ王国と同じく領地奪還であったが、漁夫の利を狙ったであろうことは言うまでもない。

 それによりメルダース帝国は四方をすべて囲まれる形に追い込まれた。背後に構えているのは魔物がはびこる迷いの森。つい最近までスタンピードが散発的に発生し、おいそれと軍を動かすことができずにいる。


 だが背に腹は代えられない。ホロホロ族に北部を占拠されて以降スタンピードが落ち着いていることもあり、四万の軍から三万を動かした。

 お遊戯の戦争しか経験してこなかったマーティアスらしく、もっとも戦線が近いヴァリ王国へ向けて進軍。ヴァリとの戦況をひとまず落ち着かせようと思ったことは明白である。そもそもが、スタンピードのために四万もの軍を待機させるほうがおかしいのだ。たしかに魔獣の一匹でも防衛線を突破されれば、農村に甚大な被害を及ぼすことは明白。しかし、だからといって四万はやりすぎである。マーティアスひとりの判断か、それとも反皇帝派に踊らされたか。周辺国で戦争への意識が高まっている中で動かす軍の数としては、あまりにも愚かとしか言いようがない。

 判断も、そこから行動に移すまでも、なにもかもが遅い。マーティアス自身は、反皇帝派の妨害さえなければ、などと考えているだろうが、たとえ反皇帝派の助力があったとしても、此度の大戦による国力の低下は免れなかったはず。


 マーティアスを皇帝へとのし上げたアーデルハイトだからわかる。彼はけして皇帝の器ではない。


 まるで食ってくれと言わんばかりに背を向けたそれらは、飢えたハッセルバムにとって家畜同然であろう。



「さあ、いこうか、青薔薇」

「はい、陛下」


 ハッセルバム城のバルコニーから、樹海の前に整列するハッセルバム軍を睥睨する。アラクネたちの織った揃いの軍服と、岩窟人たちが打った剣や槍。群れて戦うことを知らなかった彼らは、いまやどこに出しても恥ずかしくないほど、勇壮でたくましい軍人となっていた。


「ゴルダイムは私の故郷。龍の土地、龍の国だ。ようやく、ようやく取り返す時がきた」

「貴女の兵も、貴女の国も、負けません」

「ああ……」


 クリセルダがアーデルハイトの髪をひと房手に取り、ひとつ、口づけを落とした。

 金の魔力が、どろりと重たい熱をまとってアーデルハイトに絡みつく。まるで、けして逃さないと言わんばかりに。逃げたりはいたしません、と言外に伝えるように、少し高い位置にある頬を撫でた。


 太陽の龍は、人間の友のために、国の礎となって死んだ。争いを厭い、友を愛したが故の愚かな死。その愛の証明が、のちに家族を殺すことになるのだと、彼は気づくことができなかった。

 漆黒の龍は、この世に残る最後の龍。怒ることを覚え、力を振るうことを覚え、憎しみと寂しさに沈んだ優しい龍。最後の龍が、最初の龍すらも殺そうとしている。その憎しみのために、その誇りのために、その優しさのために、紅の龍が愛した人間を殺すのだ。


「家族を失い、故郷を奪われた私に残るものなど何もなかった。憎しみに囚われた私が幸福を得るなど、あってはならないことだと」

「陛下」


「お前を、愛しているよ。アーデルハイト」


 優しい光を放つ銀の瞳に、怒りと希望を湛えた金の光が収束していく。それは、なによりも美しい変化。

 魔力によって拡声されたクリセルダの声が、勇壮な魔王軍たちの頭上に降り注ぐ。


「ハッセルバム全軍に告ぐ! 只今より我がハッセルバム軍は樹海を超え北上する! これは小さな一歩だが、アーデルハイトが切り開いた大きな道だ! 者ども、臆すな! 矮小な人間を蹴散らし、殺し、蹂躙せよ! お前らの後ろには偉大なる龍がいることを忘れるな。取り返すぞ、我らの土地を!」


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