22
「アーデルハイト様、こっち!」
「魔王陛下、こっち!」
「急かすな、急かすな。お前らは私よりも足が多いんだ」
サウン・ピクシーやアラクネたちに手を引かれて、一際大きな白い建物に案内された。
皇宮の謁見の間ほどもある空間に、おそらくここらに棲む者が全て集まっている。人数はさほど多くはないが、それでもそれなりの数になる。
虫たちが地べたに座るなか、ひとりのアラクネが大きめの白い球を持ってきた。この建造物と同じように糸を纏めて作ったものらしく、どこからどう見ても繭玉である。
繭玉を持ってきたのは、アーデルハイトの胸で号泣していた彼女だった。
「座れ、ということでしょうか」
「ああ。サウン・ピクシーはまだしも、アラクネは椅子に座る必要がない。いつぞや、地べたには座れんと言ったら、これを持ってきた」
他種族の文化に合わせたもてなしというのなら、有難く受け取るべきであろう。他国へ訪問する際や、こちらが迎え入れる際にも、文化の違いというのは互いに尊重されてきた。それが円満な外交へと繋がる。
繭玉に腰掛けてみると、思っていたより座り心地は悪くない。丸いぶんだけバランスが取りづらく、長時間座っていると疲れそうではあるが。
「どうもありがとう。あなた、お名前は?」
「ファーシュネットハバララウ! ファラウだよ、アーデルハイト様」
「そう。ファラウ、ね。覚えておくわ」
蜘蛛の上に乗っかったファラウの人型部は妙齢の女性にしか見えない。外見年齢で言えば、アーデルハイトとあまり変わりないように見えた。
けれど言葉遣いや表情は、まるで純粋無垢な少女である。
「半虫種族は大半が独自の言葉を操る。なかには我らには聞こえない音でやりとりをする種族も珍しくはない」
言葉が拙いのはその為か。ここに来る直前、クリセルダも彼らのことを『無垢で繊細』と言っていた。
クリセルダがアーデルハイトの耳に口元を寄せて囁く。
「あと、言ってはなんだが、脳みそが小さい。みな稚児だと思って接してやれ」
クリセルダに耳打ちをされているアーデルハイトを、ファラウが濁りのない目でじっと見つめている。目が合うだけで嬉しそうに頬を緩めた。
アーデルハイトにまっすぐな好意と忠誠を向けるラニーユとはまた違う目だ。
稚児だと思って接すると言っても、アーデルハイトに子はなかった。マーティアスは初夜をすっぽかして以来、共通の寝室には寄り付かなかったし、ベルツに触れたこともない。皇妃宮から皇后宮まで響き渡るような泣き声を、ただただ煩わしいと思った記憶しかない。
「アーデルハイト様が座る椅子がいるって言われて、わたしが作ったの」
「そんなに短時間でできるものなのね。すごいわ、ファラウ」
「うふ、えへへ、へへへ」
これで良いのだろうか。確認のためにチラリとクリセルダを見ると、大丈夫と言うように頷いてくれた。
妙齢の女を子ども扱いするとは、どうにも不思議な気分だ。そもそもアーデルハイト自身、このような扱いを受けたことがない。
「さて、本題に入ろうか。ロージンミリゴドリネスタ、いるか」
「ここに、魔王陛下! ようこそおいでくださいました。我らサウン・ピクシー、そしてアラクネ一同、魔王陛下のご訪問を心待ちにしておりました」
「体はもう良いのか」
丸い繭玉に腰掛けたふたりの前に、サウン・ピクシーの男性が立った。音もなく移動する彼らは暗殺に向いているのではないだろうか……
彼がここの族長なのだろう。身に纏う民族衣装のようなそれは一際豪華で、クリセルダの服を思わせる。
他の者と比べると言葉も流暢であり、立ち姿もしっかりしている。が、クリセルダの気遣う言葉に頬を緩めるあたり、本質は変わりないようだ。
光沢を感じさせないサウン・ピクシーのたたまれた翅。服は翅に干渉しない作りになっているはずなのだが、見ているだけでは構造がわからなかった。
「青薔薇の衣装を都合して貰おうと訪ねてきたのだが、構わんか?」
「もちろんですとも! 魔王陛下のためならどんなものでもお作りします!」
「だそうだ。良かったな、青薔薇」
頷くと同時、袖が遠慮がちにくいくいと引かれた。なぜかアーデルハイトの足元に座り込んだファラウである。八本の脚を器用に折り畳んだまま、アーデルハイトを見上げた。
「アーデルハイト様、お洋服欲しいの? それ、ファラウが作ったらダメ?」
「あら、あなたも作れるの?」
「だ、駄目です、駄目です! ファーシュネットハバララウはまだ見習いでして、魔王陛下の伴侶様にお渡しできるようなものは作れないんです!」
慌てて止めに入ったロージンミリゴドリネスタの服と、ファラウの服を見比べる。ついでにクリセルダのものも。
どれも良質な作りだが、たしかに細部の縫製に技術の違いが見て取れた。
ファラウのものを基準にするなれば、ロージンミリゴドリネスタの服が高級品、クリセルダの服が最高級品と言ったところか。
「ファラウ。あなた、陛下のような服は作れるかしら」
ファラウは軽く俯いて、小さく頭を左右に振った。わかりきっていたことである。
「青薔薇、これはロージンミリゴドリネスタにしか作れん」
「なるほど、そうでしたか……では、ファラウ。族長様の着ていらっしゃるものは?」
「つ、作れない……けど……一生懸命やるから、ダメ?」
アーデルハイトはアラクネやサウン・ピクシーたちの『一般的な技術力』というものを知らない。
もし、ファラウの身につけた民族衣装がファラウ自身の手によって作られたものであるならば、実のところ何の問題もない。
今のアーデルハイトは皇后ではない。飾りレースだらけの重たいドレスは、もう必要ないのだから。
「最後に。ファラウが着ているものは、ファラウが作ったのかしら」
「っ、うん! でもね、これは練習で作ったやつなの。もっと綺麗に作れるよ。アーデルハイト様のお洋服、わたしが作りたい!」
クリセルダを見ると、視線だけで好きにしろと言っているのがわかる。
クリセルダはロージンミリゴドリネスタに、自身のものと大差ない最高級品を作らせるつもりだったのだろう。もちろんサウン・ピクシーの族長もそのつもりだったはず。アーデルハイトも当初は、クリセルダの衣服に近い質を、と考えていた。
クリセルダの衣装を最高品質たらしめているのは、強靭な生地と素晴らしい縫製というだけではない。なにやら特殊な加工が施されているのだ。アーデルハイトにはそれがどういった効力を齎すのかはわからないが。
生地に織り込まれているのか、それとも刺繍によって施されているのか。
クリセルダ自身の魔力によって誤魔化されているが、服そのものからも強い神聖力と魔力を感じるのである。
正直、そこまで特殊なものはいらない。否、たしかに魅力的ではある。他国と外交することがあるならば、何着かは欲しいところだ。
けれど、アーデルハイトがいま求めるのは質より量だ。一定の品質があれば尚良い。
これから先、何十着、何千着、何万着と作ってもらわねば困る。
オロオロと困っているサウン・ピクシーの族長に微笑んでみせる。ついでに、ファラウの頭もぎこちない手つきではあるが、なるべく優しく撫でてやる。爪を立てぬよう、長い髪を指先に絡めた。
「では、わたくしの専属テーラーはファラウに致します」
「専属てー……?」
「テーラー。わたくしのお洋服を作るお仕事です」
ぱっと花が咲くようにファラウが笑った。
「アーデルハイト様のお洋服作ってもいいの?」
「ええ。あなたにお願いするわ」
「嬉しい! こんなに嬉しいの初めて! ありがとう、アーデルハイト様! わたし頑張るね!」
勢いよく腰のあたりに飛び込んできたファラウを受け止める。丸い繭玉がその勢いに負けて、ぐらりと傾いた。
「おっと。首が落ちるぞ、青薔薇」
「ぁ、申し訳ありません、陛下」
アーデルハイトの背を支えたまま、クリセルダが構わん、と微笑む。白い空間に金色がとろりと一筋流れた。
ぐりぐりと押しつけられるファラウの髪を撫でて、アーデルハイトは再びロージンミリゴドリネスタに微笑んでみせた。
「族長様。わたくしの服に関しては、わたくしのわがままでございます。たとえ一族のなかでは未熟とされている者であっても、わたくしのために喜んで動いてくださる方がいるのなら、是非その方にお願いしたいのです」
そう。クリセルダの命だからと喜んで働く者よりも、アーデルハイト自身のために動いてくれる方が良いに決まっている。
ファラウはおそらくアラクネのなかでも若いのだろう。それなら、技術力もこれから伸びていくはずだ。
それに服作りに失敗したところで、クリセルダの命が脅かされるわけでも、ハッセルバムの不利益になるわけでもない。
アラクネとサウン・ピクシーの紡績には多額を投資するだけの価値がある。
「魔王陛下の伴侶様がそうおっしゃるなら、是非ともファーシュネットハバララウを使ってくださいませ!」
伴侶ではない、の言葉をひとまず飲み込んで、アーデルハイトは指を立ててみせた。
「今回の訪問ですが、わたくしの衣装のほかにもうひとつ、お願い事がございます」
「なあ、青薔薇。私は聞いていないんだが」
「お伝えしていませんもの」
別に伝えても良かったのだが、言う暇がなかったのだ。アーデルハイトもクリセルダも、中枢政治改革でほとんど身動きがとれない。ようは忙しいのである。
「いずれ通達があると思いますが、今後、ハッセルバム全域に存在する全ての町村、集落には地方税を納めていただくことになります。国民ひとりひとりにも国税が課される。例外はございません」
「は、はぁ……」
「故に、この集落でも収益を上げ、税を納めて頂かねばならない」
首都ではすでに通達がなされ、正式な公布を待っている状態だ。他の法律との兼ね合いもあるため、施行はまだ先ではあるが、そう遠い未来ではない。
彼らが魔族に忌み嫌われる魔族だとしても。迫害を避けるために集落に篭っているのだとしても。ハッセルバムの国民を名乗り、国の庇護を受けるならば、納税の義務は果たさねばならないのだ。
「いずれは首都にも服や布を卸して頂きたいのですが……」
「そ、それは……でも、半虫は嫌われていますし……」
「承知しておりますよ。わたくしも鬼ではございませんから」
悪女ではあったが。
国の利益となるならば鬼にもなろうが、その逆もまた然り。アーデルハイトはけして快楽殺人鬼でも、己の欲求に素直なだけの愚者でもない。
必要ならば赤子すら手にかける。それだけのことだ。
「まずはわたくしども、国と商売をなさいませ。大量に作り、大量に売ることを覚えなさい。あなた方の技術はどの魔族にも劣りません。一国を相手にできる生業であることを自覚なさい」
「半虫の作った服なんぞ、魔王陛下や伴侶様のような奇特な方しか好まれませんよ……」
物分かりの悪い。これが帝国の商人であれば鞭のひとつでも打ちたいところだ。
けれど、ここは帝国ではない。人間とは違う。彼らは数の限られた種族であり、代わりはいないのだ。
「わたくしが土台を作りましょう。元よりそのつもりでした。わたくしは着衣を知らぬ蛮族どもに服を着せるのです」
「くく、蛮族か」
笑い声を漏らしたクリセルダを無視して言葉を重ねる。
言葉はアーデルハイトの武器。言葉ひとつで相手の戦意を削ぎ、言葉ひとつで相手の喉元を突き、言葉ひとつで望む結果を得る。
人は言葉を操る種族だ。言葉と感情は密接し、重なった言葉たちはやがて国をも変える。
「わたくしがあなた方にハッセルバムでの居場所を与えます。あなた方の織る布は、その服は、いずれは誰もが憧れる逸品となるでしょう」
ハッセルバムに限った話ではない。刃を通さぬ生地など、どれほどの国が欲するだろう。この布ひとつで、アーデルハイトは他国を動かせる。
アラクネもサウン・ピクシーも、迫害を恐れて閉じ籠って良い種族ではない。その技術こそ、クリセルダのために、ハッセルバムのために活かすべきであろう。
「長い時、迫害され、ハッセルバムへ移ってからも息を潜めてきたのでしょう? いつまでそうしているおつもりですか?」
「伴侶様……」
「クリセルダ陛下に恩があるというのなら、今こそその恩をお返ししませんか。わたくしの手を取ってくださるのなら、わたくしがあなた方の誇りを取り戻してみせましょう」
蜘蛛も蚕も、誰もが静かにアーデルハイトの言葉を聞いていた。
これでもまだ躊躇うならば、あとは強硬するほかない。説得のために二度も三度も訪問を重ねるほど暇ではないし、アーデルハイトは気が長くない。
反発されたとしても、彼らの技術をそのまま放置するより搾取した方が利になるというもの。
さて。あなたたちはどうする。
サウン・ピクシーの族長が、幼子のように服の裾を掴みながら顔をあげた。虫を思わせる大きな目が、迷子のようにふらふらと彷徨う。
「半虫は見つかれば殺されます。何人も殺されました。でも……でも、それを変えたくないわけじゃないんです……魔族相手に商売など、考えただけでも怖いけど……伴侶様」
伴侶様。彼はもう一度、アーデルハイトを呼んだ。
話を理解しているのかすら怪しいファラウの髪を撫で、族長に頷いて見せる。
もしも失敗すれば、半虫たちはまた迫害のさなかに放り出されることだろう。ここに潜んでいれば、たしかに安全かもしれない。
けれど、この集落もまたハッセルバムの一部。哀れに思ったところで、納税の義務は発生するのだ。
どのように転んだとしても、彼らに選択肢は残されていない。
アーデルハイトの計画に乗って服を作るか、迫害の中で出来もしない商売に赴くか。
「伴侶様、ぼくらは何をすればいいですか」
そう、それでいい。搾取するより、喜んで働く者のほうが使い勝手が良いもの。
「ぼくらも税金を払います。助けてくださった魔王陛下に恩を返します。だから、どうか助けてください」
それでいい。
義務を果たす国民は国の庇護を受ける権利があるのだから。
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