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 お嬢様ー! と手を振りながら駆けてきたのは、サウン・ピクシーの族長ロージンミリゴドリネスタ。

 彼の手には濃緑と濃紺がまだら模様を描く布が抱えられている。


 サウン・ピクシーらに仕事を与えてから、アーデルハイトは何度か集落に足を運んだ。面倒ではあるが、部下の人数がまだ揃っていないことと、魔族着衣計画を大々的に発表していないため、仕方のないことであった。


「ローリスタ、ご苦労さま」

「はい! お嬢様もご足労いただきありがとうございます。ようやく完成しまして、是非ともご確認頂きたく!」


 ロージンミリゴドリネスタ、あらためローリスタ。集落の者にそう呼ばれていたため、アーデルハイトも倣うことにした。

 名前が長すぎるのだ。例外なく、誰の名前も異様に長い。名付けにはなにやら法則があるそうだが、半虫の言語は複雑すぎて習得する気にもなれなかった。

 文字も見せてもらったが、ミミズがのたうち回ったような不規則な線と点は、どの角度から見ても、アーデルハイトには文字として認識できないものだった。もしかすると、半虫種族の特殊な視界でないと、認識できないなにかなのかもしれない。


 習得するのは諦めたが、話者が少ないからと言って淘汰してしまうには惜しい文化でもあろう。習得者が少なく、それでいて体系化された言葉であれば、機密文書や軍事行動の暗号としても使える。安定的に紙が手に入るようになれば、是非とも書として残したい所存である。


「これは第四軍のものかしら。不思議な模様ね」

「バジリスクの模様を参考にしました。樹海や森の中ならぜんぜん目立ちませんよ! そりゃもうビックリするくらい!」


 ローリスタはアーデルハイトをお嬢様と呼ぶようになった。初めは伴侶様と呼ばれていたのだが、婚姻を結んでいないどころか婚約すらしていないというのに、伴侶と呼ばれる謂れはない。

 伴侶様でなければなんでも良いと申したところ、なぜかお嬢様と呼ばれている。


 皇子妃になる前。まだノイラート侯爵分邸にいた頃は、アーデルハイトもお嬢様と呼ばれていた。そう呼ぶ者たちの顔は、誰ひとり思い出せないけれど。


「あ、こんなところで申し訳ありません。ご案内いたします」


 半虫の村はワタワタと忙しなく、暇そうにしている者などひとりとしていない。飛んで移動するサウン・ピクシーがいれば、立体的に動き回るアラクネもいる。まさに虫どもの巣だ。

 案内されたのは大きな作業場で、多くの虫たちがパタン、カタンと布を織ってた。


 どこからともなく用意された繭玉に腰掛ける。


「さっそく拝見しても?」

「どうぞ!」


「本当に……素晴らしい技術だわ」


 しみじみそう思う。生地は軽く、それでいて強靭。刃を通さぬだけでなく、伸縮性も兼ね備えている。

 アーデルハイトの指定通り、樹海での活動に支障きたさないように染色されていた。


「そちらが第四軍、で、こちらが第一軍のものです」


 第四軍の軍服は濃緑と濃紺のまだら。第一軍は白色と灰色のまだらであった。たしかに、この色であれば雪山では目立たないだろう。

 第四軍は樹海の色、第一軍は霊峰の色と言ったところか。


 ユアンたち第二軍は濃緑単色、イリシャたち第三軍は薄青と灰色のまだら、シナリーたち第五軍は鮮やかな赤。それぞれの担当業務に合わせた色になっている。


「良いわね。これで進めましょう」

「今ならまだ色を変えられますが……」

「想像以上の素晴らしい出来よ。大丈夫、進めて」


 軽く動きやすい分だけ、武力に長けた魔族が纏えば騎士たちの鎧にも匹敵する。獣人たちのしなやかな動きを邪魔することもなければ、有翼種族の自由な飛行も邪魔しない。

 もしカイ少年がアーデルハイトの暗殺時にこの布を纏っていたら、重たい後遺症を背負うこともなかったかもしれない。その後のウルだって、太腿に傷を入れられることはなかった。

 彼らの織る布は水差しの破片なんぞ脅威にはならない。


 布を織る作業は、人間たちの機織とさほど違いはない。特殊なのは布にする前の糸。

 想像に容易いことではあるが、これらは全てこの半虫たちによって紡がれている。蜘蛛の糸と、蚕の糸。それらは、けして人族領では入手できない品だ。


 素晴らしいことに魔力の通りや神聖力の通りも良い。糸の種類によっては、そういった力を遮断するようにも織れるという。

 神聖力の込められた布、か。聖ツムシュテク教国の者たちからすれば、喉から手が出るほど魅力的な品になるはず。

 ただ、いずれは国内すべてに服を供給するにしても、数の限られた半虫種族だけではどうしても手が足りない。半虫への忌避さえ解消できれば、職にあぶれた者たちへの良い雇用となるだろう。


「あの、お嬢様。実はもうひとつあるのですが……」

「これは?」


「か、勝手に申し訳ありません。えっと……お嬢様にも部下がいらっしゃると魔王陛下から聞いたもので……」


 広げたそれは先ほどと型の変わらない軍服だった。


 鮮やかな群青に、金の差し色。


「お嬢様の色、です」

「わたくし、こんなに華やかな印象かしら」

「それはもちろん! 魔王陛下が深く沈むような、静かな美しさだとすれば、お嬢様は艶やかに咲く大輪の美しさです! おふたりが並んだお姿の、なんと美しいことか!」


 それはアーデルハイトの瞳の色とも言える。青い瞳に渦巻く金の魔力。群青色を失った、アーデルハイトの色。


「あー! ローリスタ兄、先に渡しちゃったの!?」


 カサカサと近づいてきたのは、同じような色の服を手にしたファラウであった。

 嬉しそうにアーデルハイトに近寄ると、肩に頬を擦り付けてくる。随分と懐かれてしまった。


 ラニーユの態度もそうだが、あまり向けられたことのない感情に戸惑ってしまう。


「ファラウ、作業の方は順調?」

「うん! アーデルハイト様が来てるって聞いて、急いで持ってきたよ!」


 ファラウの手でパッと広げられたのは、これまた鮮やかな群青に染まった裾の長いワンピースだった。

 軍服を模しているためか、ワンピースでありながらかっちりとした硬めの印象がある。ボタン、襟、袖と金の差し色も華やかだ。


 重たいドレスから一転、死刑囚の黒い貫頭衣に。そのあとも質素な古着ばかり身につけていたアーデルハイトには、どこか眩しく見えた。

 軍人ではないことを踏まえてか、戦うことには向いていなさそうではある。


 ひとつ頷く。悪くない。


「これはお仕事用でね、他にもあるよ。魔王様とお揃いの黒いドレスも、お出かけ用のワンピースも! 魔王様がアーデルハイト様とシナリー様が仲良しだって言ってたから、それは赤にしたの。アーデルハイト様、綺麗だから絶対似合う!」


 ファラウのお陰で、ようやく古着から脱することができる。そしてまた、ようやく半裸地獄からも脱せそうだった。


 必ず。必ずや成し遂げてみせる。アーデルハイトは魔族に服を着せるのだ。

 これが、水面下で動いていたアーデルハイトの魔族着衣計画だった。



 濃緑、灰色、赤……

 いまや城内で服を纏わない者はいない。ハッセルバムに身を寄せてから、気づけば一年以上も過ぎていた。


 アーデルハイトはようやく成し遂げたのだ。


 魔王軍というのはハッセルバムの花形である。首都や周辺地域に住む魔族たちの憧れ。その軍人たちが服を纏って歩くだけで、自然と浸透していくことだろう。

 各軍に軍服が行き渡った時点で、城下に店舗を設けた。手の込んだ高品質なものでなく、どれも安価な量産品である。

 メルダース帝国では服を買うといえばオーダーメイドが一般的であり、平民たちは布から自作をするか、古着を繕いながら着まわしていた。しかし、そもそも服を着ることに対して頓着のない魔族に、「はい、どうぞ」と布を渡したところで宝の持ち腐れだ。それ故に、城下に設けた店に置く品は、どれも簡素ではあるが、完成した衣服のみである。

 さらにアーデルハイトの部下によって、その店の宣伝もなされている。


『兵士様が着ているようなものを、あの店で買えるらしい』

『魔王様が直々に服を作ってくれと頼んだらしいぞ』

『服飾職人は魔王様や側近様に随分と信頼されてるって話だ』


『服を作ってるのはあの半虫種族だってさ』


 店舗の運営はいまだ代行を立てているが、いずれはサウン・ピクシーやアラクネたちの手に移行させる。

 差別はけしてなくなりはしないだろう。根付いた悪感情は、そう簡単に払拭できるものではない。さらに言えば、弱いものを虐げる行為には快楽が伴ってしまう。だから差別はなくならない。


 けれど、薄めることはできる。被差別層の居場所を作ることもできる。

 半虫種族に対する同情や憐れみ故の行動ではない。それがハッセルバムの利になるから動くだけ。これは慈善活動でも、優しさでもないのだ。


 メルダース帝国におけるアーデルハイトの立ち位置が悪一辺倒であったのは、善のバランスを取ってくれる皇妃ソアラがいたからに過ぎない。彼女を排したのちには、マーティアスの名で慈善活動を引き継ぐつもりであった。


 利はすべて国主に。悪はすべてアーデルハイトに。


 悪いことはすべてアーデルハイトのもの。だってそうすれば、死したときにすべて持っていけるでしょう?


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