20


「ハーイージィィイイイ!」

「シナリー、首が落ちそうだから離してもらっても良いかしら……」

「嫌だ絶対離さない無理!」


 沿岸の町から魔王城へ戻ってきてすぐ。グリフォンから降りた瞬間に目で追えないほどの速度で白い影が飛び込んできた。

 神羽族のシナリーがアーデルハイトの腰にしがみつきながら額を肩にぐりぐりと押し当ててくる。頭の羽が頬に突き刺さるのでやめてほしい。


 勢いに負けてぐらりといきかけた頭を、大きな手がすっと支えた。クリセルダの手か。


「ノアくんがぁ! ノアくんが虐めるのぉお!」

「ノアなんてあなたが殴れば死ぬと思いますけど」


「な、なにを言いますか、やめてください! あと、お帰りなさいませアーデルハイト様!」


 出迎えの言葉より文句が先に出る。ノアも相変わらずである。これはアーデルハイトを出迎えに来たというより、シナリーを追いかけてきた、の方が正しいようだけれど。


「なんでぇ!? ねぇ、なんであたしが街道工事の担当なのぉ! 治安隊の見直しとぉ、税金とぉ、住民管理とぉ……医療院なんてエルフしかいないんだからユアンの管轄でしょ……街道工事の管理なんてこれ以上無理だよぅ!」

「あら、あなたは誇り高き神羽族の娘でしょう? 山の神に創られし一族ともあろうシナリーがこんな些事で泣き言を言うなどと……霊峰に座す御方がお耳になさったらどれほどなげくことかしら……」


 ひんひんと泣くシナリーにそう言えば、情けなく眉を下げて口を尖らせた。

 神羽族とは山を信奉する種族である。飛ぶことができないかわりに、強靭な脚をもってして山を駆け回る。他の有翼種族に『地を這う小鳥』などと揶揄された時代もあったようだが、実に誇り高い者たちでもある。


 若い世代であるシナリーはハッセルバムの首都で生まれ育った、いわゆる都会の神羽族だ。他の者たちと比べると、矜恃の高さ故に見られる面倒な面は少ない。

 しかし、それでも神羽族。山の神が見ていると言えば簡単にその気になるのだ。


「シナリーならできるわ。優秀な神羽族ですもの」

「うぅ……じゃあさ、ハイジ。ノアくんからの仕事終わったら、あたしともデートしようよ。魔王さまとだけじゃなくてさ、あたしとも遊ぼう? 大通りにもね、屋台が増えたんだよ!」

「……楽しみにしているわ」


 ノアに連行されてとぼとぼと去って行くシナリーを見送って、ちらりとクリセルダを見上げた。なにが楽しいやら、口元が緩んでいる。

 ユアンとイリシャは戻っているだろうか。小さな木箱の中では上手くいった野菜作りも、実際の土地ともなると問題点がいくらでも出てくることだろう。同じ国の中でも東西南北がズレたら環境も変わる。それを踏まえ、改革の予定や予算案も見直さねばならない。


「楽しそうだな、青薔薇」

「そう、見えますか?」

「ああ。シナリーとはなにをするんだ?」


 なにをするかと問われても。はて、なにをするのだろう。

 ハッセルバムに来た当初、誰よりもアーデルハイトに構ったのはシナリーである。この国についての勉強会を進める中、彼女はことあるごとにアーデルハイトを連れ出した。

 揚げ芋を食べ、王城内を案内され、入り組んだ首都を歩き回った。幼馴染のイリシャと如何様にして仲を深めたか、ウルとマルバドの喧嘩がいかに騒がしいか、怒ったユアンがどれだけ面倒臭いか。そうやって喋っていたのもシナリーだ。


「私には友と呼べる存在がいなかったからな。お前らを見ていると時々羨ましくなる」

「友、ですか……」

「一族と共にいた頃ですら、私には同世代の友はいなかった。もっとも歳の近い兄ですら、二百ほど離れていたからな。ハッセルバムを起こしてからも、あれらはみな配下でしかなかった」


 クリセルダが労るようにグリフォンの首元を撫でる。自分がいるとでも主張しているのか、グリフォンが甘えた声を出してクリセルダに擦り寄った。


 シナリーとアーデルハイトは友であるのか。友とはいったい何なのか。

 生きてきた環境に似通ったところなどないけれど、アーデルハイトもまた友を知らぬ身である。十四の聖帝学院入学を迎えるまで、同世代の者などほとんど話したことはない。

 身分という枠。皇子妃という立場。同世代の令嬢や令息といえば、マーティアスの前に立ちはだかる他派閥の子どもか、駒にできそうな便利な存在としか思っていなかった。


「わたくしにも友という存在は縁遠いものですよ」

「そうか……なら、私とお前は友になれるか?」


 アーデルハイトはクリセルダの配下だ。そして、クリセルダが恨むべき国の元皇后だ。この人に傅く存在であり、けして友などと甘い響きで呼ばれる立場にない。

 見上げたクリセルダは少しおかしそうに微笑んだ。


「友が駄目なら、恋人はどうだ」

「どう違うのでしょう?」

「天と地ほどの差があるだろうが。友とは肩を組み、互いに夢を語り、時として助け合いながら絆を深めていくものだ。そして恋は……そうだな、その者の傍にいたいと願うものだ」


 なるほど、と頷いた。ならば、アーデルハイトの人生に友は存在しなかった。利用し、利用され、利益と落とし所を見極めながら付き合う人間関係は『友』とは呼べぬ。

 もう一度、頷いた。ならば、アーデルハイトの人生に恋は存在しなかった。傍におらずとも彼の利益になるならばと生きることは、やはり愛であって、恋ではなかった。


「陛下はわたくしの傍にいたいと願ってくださるのですか」

「でなきゃ求婚などするか」

「傍におけば利益になるからでしょうか」


 アーデルハイトはすでにハッセルバムの利になる結果を残していると言える。

 現在の中枢政治改革は側近たちに不満を生んでいるが、それでも否とは言えないほどに良い影響を残している。腐敗しても、土台が強固であったメルダース帝国ではこうもいかなかった筈だ。


 初見で求婚してきたと言えど、クリセルダのそれはずっと冗談じみていた。側近たちと肩を並べられるほどの魔力量に、ハッセルバムでも珍しい理性ある死霊という存在。

 クリセルダはおそらく、戦力としてのアーデルハイトを欲しがっていた。殺してくれとのたまうアーデルハイトに『嫁になれ』と突拍子もない言葉で傍に置こうとするくらいには。


 いつからだろう。クリセルダの瞳にとろりとした魔力が滲むようになったのは。


「たしかに私の望みを叶えるために、お前の強さが欲しいと思った。けれど、それとは別だ」


 にっと口角をあげて、クリセルダが笑う。慣れ親しんだように、アーデルハイトのプラチナブロンドを手に取る。


「笑っただろう、お前。一度だけ、ひどく寂しそうに笑った」

「記憶にございませんが」


「謁見の間だ。目覚めたばかりのお前は私の圧を受けても表情を変えなかったばかりか、マルバドに刃を向けられて笑ったんだ」


 もう一度見たいと思った。そう呟いたクリセルダの言葉に記憶の扉を開けるが、はて、そんなことはあっただろうか。

 生きろと一言投げられただけでハッセルバムのために生きることを決めた。そのことを滑稽に思った記憶はあったが、そのときのことかもしれない。


「だのにお前ときたら、それ以降は笑わんどころか驚きもしない。氷の彫刻かと思うほど表情が死んでいる。口元だけ笑っても目が笑わん。眺めれば眺めるほど、それを見たくて堪らなくなった」

「感情を表に出す貴族など、愚か者の象徴と言えましょう」

「お前はもう貴族ではない」


 二十年以上もこうして生きてきたのだ。感情のままに泣きじゃくっていたのはほんの幼な子であった頃までで、物心ついたときから、痛みも悲しみも喜びも、表に出さぬように教えられてきた。

 父の鞭は愛であった。その鞭が痛いのだと、嫌なのだと泣けば、鞭はさらに鋭さを増した。


 あれは愛だった。


 その鞭によって、やがてアーデルハイトは感情を表に出さぬことよりも、感情を殺すほうが容易いことに気づく。

 故に。故にだ。それ故に、父の鞭があったために、アーデルハイトは生きてこられたと言える。感情を晒していたら、きっとどこかで足元を掬われ、マーティアスの戴冠を見届ける前に死んでいたことだろう。


 いまさら感情赴くままに笑うことなどできやしない。

 だのに、クリセルダはどうしてアーデルハイトの心を狂わせる。


「空から見る大地は美しかったか?」

「はい」

「空から見る黄昏は胸を焼いたか?」


 はい、と頷く。

 クリセルダにもらったあの眺望は、これまで目にしたどんなものより美しかった。


「なら、もっと見せてやる。私が笑わせてやる」


「あー、オホン。魔王サマ、いい雰囲気のとこ悪ぃんだが、そいつ借りてもいいか?」

「ウル……貴様……」


 振り返った先にいたのは狼族のウルだった。気まずそうに頬を掻きながら目を逸らす。

 いい雰囲気とは何か。さすがのアーデルハイトも、ウルがなにを言いたいのかはわかる。けれど、いまのそれが側から見て『良い雰囲気』に見えるとは。


 なんとなしにクリセルダから半歩離れると、すかさずその手がアーデルハイトの肩を抱いた。


「あー、そのだな? 今までの軍維持費? とやらの算出と部隊の再編纂、あとは年間通しての予算も出した」

「軍務中の死傷に関する手当も?」

「軍規やら年俸やらの見直しをしたときに終わってる」


 軍維持費の予算割り当ては急務として各軍に任せていたが、予想外にウルがもっとも早く終わらせたようだ。

 ユアンやイリシャは首都外任務が多く、シナリーは側近の中でも仕事量が抜きん出て多い。アーデルハイトの予想ではマルバドあたりが早めに終わらせてくるだろうと思ったが、まさかウルとは。


 たしかにマルバドかウルのどちらかだろうとは考えていた。

 そもそも、マルバドとウルが上に立つ二つの軍は、どちらも霊峰での魔物駆除と樹海での魔物駆除に限定されている。五軍では花形とされているが、シナリーらと比べたら事務仕事はそこまで多くない筈だ。

 樹海の広さ故に、ウルの第四軍はもっとも人数が多い。それを踏まえてもマルバドより早いとは驚きである。


「マルバドの進捗も気になりますが……」

「アイツも山から戻ってきてんぞ。もう会議室にいるんじゃねぇの」

「丁度良いですね。そちらで今後の……陛下?」


 肩を抱いた手に力が入り、そちらを見上げる。


「私は今とてつもない疎外感を噛み締めている!」


 そう言いつつ、先ほどと変わりなく楽しそうなクリセルダがわざとらしく首を左右に振った。

 おふざけになっているところ申し訳ないが、グリフォンを厩舎に戻したらクリセルダも会議室行きである。この人は誰よりも仕事を抱えているのだ。遊んでいる暇などありはしない。


 それを告げると苦虫を噛み潰したような顔をしてグリフォンを連れて行った。


「……魔王サマ……」


 クリセルダの後ろ姿を見るウルは一体なにを思うのか。アーデルハイトに聞かせるつもりのなかったであろうその呟きには、一体なにが込められていたのか。

 アーデルハイトの視線に気づいて、チッと舌を鳴らすと、随分な目つきでこちらを睨んでくれる。


 見せたくないなら隠せば良いものを。


「……行くぞ」

「あなたのそれは忠誠でしょうか、それとも」

「言うな! ……クソが……やっぱお前ぇのこと嫌いだわ……」


 嫌われている自覚はある。ウルに厭われたからどうと言うこともない。

 ただ見覚えがあっただけだ。慣れ親しんだものとは言えないものの、けして馴染みのない視線でもない。


 アーデルハイトが間接的に殺したコルネルスも、そういえばこんな目でソアラを見つめていた。それを思い出したに過ぎない。

 連れ立って歩きながら、少しだけ、ウルとの決闘について考えていた。その決闘を何かで利用できないだろうか、と。


 他人の『感情』などやはり、アーデルハイトには至極どうでも良いことだった。



 大変嬉しいことに、ウルに続きマルバドが、出張から戻ったユアンとイリシャが、そして最後にシナリーが、軍についての案件をまとめ上げた。

 それらを元に五軍共通の軍規や、各軍の予算が算出されることになる。

 新たに設立された防衛省にはマルバドが任命され、不透明だった各項目の透明化と、軍の一本化がなされていく。


 これによって、かねてより水面下で準備を進めいたアーデルハイトのとある計画が動き出した。


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