閑話 落ちこぼれと聖女


 ノアの目の前に、ずらりと魔族たちが並ぶ。獣人、森人に岩窟人。ふたりだけだが、人間もいる。

 人間のふたごは不気味なほどに気配がなく、黙って後ろに立たれると悲鳴を上げそうになる。いったいどこから見つけてきたのか、アーデルハイトが拾ってきた。

 大型の魔族はおらず、人間からかけ離れた見た目の者もいない。どれもこれも、少し隠してしまえば、人間たちに紛れ込める程度のもの。


 誰ひとりとしてサボることなく、机に噛り付いている。仕事といえば仕事だが、実際に事務仕事をさせているわけではない。適正によっては、いずれそちらが専門になるかもしれない。ただ、今の段階では全員教育途中である。


 ノアの上司。アーデルハイトの指示により、ノアは新たに配属されてきた彼らに文字を教えていた。


「ノアさん、できました」

「んー……えっと、過去形は変形しないんだよね。共通語だと口語のまま書くから分かりやすいけど、旧字だとこう。『嬉しい、だった』って書いて嬉しかった、になる。こっちも同じ。『喜ぶ、させた』で、喜ばせた」

「なるほど……こっちの、『もし』を使う文章なんですけど」


 鹿獣人の女性、リィンが書いた練習用の文を添削して、そこに書き足していく。ノアが学んできたのは旧字体であり、大陸共通語はアーデルハイトの指示で最近学び始めた。旧字の知識があるためそこまで難しくはない。

 どうせこのあと共通語も教えることになるのだから、共通語から共に勉強を進めては駄目か、とアーデルハイトに聞いたらバッサリと却下された。


「ノア、これなんだがよ」

「『これなのですが』だ。多少言葉が崩れるのは許してもらえるけど、それだとアーデルハイト様に名前も覚えてもらえないよ」

「『これなのですが』、ここが意味わかんね……意味わかんな……あー……」


 『ここが理解できないので教えてください』、と正しながら、ぐちゃぐちゃと難解な文字を読み解く。練習させても練習させても、相変わらず字が下手で、間違いもひどい。

 けれど、ヒューイというイタチの獣人は誰よりも一生懸命だった。


「まずは、こっちの簡単な例文からやってみよう」

「おう」

「『はい』ね」



 ノアには憧れの人がいる。同じ森人にして魔王の側近、ユアン。ではない。たしかにすごい人だとは思うが、威圧せずに接してくれることもあって、どこか親戚の兄のように思っている。本人に言うと『威厳がない』と凹んでしまうため黙っているが、ノアら下っ端からしてみれば、それは素晴らしい長所に思える。ノアの上司にあたるアーデルハイトなんて、アレだ。威厳しかなさ過ぎて困る。

 閑話休題。ノアの憧れの人は魔族ではない。さらに言えば、本当に存在したのかもわからない。


 ノアの祖父は博識なひとである。ハッセルバムが建国する前からこの地に住み、人間の地に赴いては書を集めてきた。その中のひとつに、『聖女』の話があった。

 人間が熱心に信仰するツムシュテク教の始まりにもなった人だが、ノアの祖父が持っていた本では少し違う。しかし、偉大な人物であったことは違いない。


 それを読んで以来、ノアは『聖女』に夢中になった。


 『聖女』。名は言い伝えられておらず、ただ聖女や大聖女と呼ばれるだけ。その人はとある民族の姫であったという。

 見たこと、聞いたことをすべて記憶する聡明な姫は、庇護すべき民を守れと教えられ、育てられてきた。彼女は『知らない』ことを恥じることはせず、自分より年が上の者たちに知恵を与えてくれるように頼みこんだ。民を守るためには、知恵と知識が必要だから、と。

 災害があるたびに、戦があるたびに、彼女はその知恵と知識を存分にふるい、やがて様々な民族が、彼女を慕い、頼るようになった。


 しかし、大きな災厄が降りかかる。


 疫病だった。多くの民が死に、彼女の姉弟や子も、皆死んだ。彼女は救えなかった。

 彼女の知識には、その疫病の知識はおろか、人間の身体の知識もなかったから。多くを救うために、多くを守るために。彼女は民を愛していたから。


 愛していたから、彼女は民を燃やした。疫病がさらに多くを殺す前に。それを知ったから。

 愛していたから、彼女は民の身体を切り開いた。身体の中身を知り、さらに多くを救うために。

 愛していたから。愛していたから、愛していたから。


 やがて彼女は身に秘めた神聖力と、その知識を用いて、奇跡を起こすようになる。

 不治の病を治し、千切れた手足を繋ぎ、止まった心臓を動かした。彼女は多くを殺したが、また多くを救ったのだ。ただひたすらに、民への愛、それだけで。

 彼女は最期、民を救うのは希望だと気が付いた。故に、彼女は自身を『聖女』とし、民の希望となるために死んだという。


 救われた者たちは、彼女の生き様を博愛と呼び、彼女の起こす奇跡を神聖なものとした。それが、ツムシュテク教における隠された『聖女』の物語。

 大陸共通語の前身となる旧字より、さらに古い文字。ツムシュテク教では神代文字などと呼ばれる字で書かれたその書は、祖父曰く人間の地にももう残っていないのだそう。戦争が起きた際に燃やされてしまったから、と。


 ノアは『聖女』の生き様を博愛なんて呼びたくはなかった。彼女はただ狂わされただけ。期待と、重圧と、彼女を彼女たらしめる誇りによって、少しずつ狂っていっただけ。それを作り上げたのは、周囲の人間たちだ。

 それでもノアは、この『聖女』に強い憧れを抱いた。期待にも、重圧にも、誇りにも押しつぶされず、逃げることもせず、彼女は彼女であり続けたのだから。


 森人でありながら神聖力が少なく、それの使い方も上手くはない。街育ちのノアは、森人と名乗るのもおこがましいほど、森歩きも下手くそだった。博識な祖父、強い父、賢い妹。ノアは、そんなすべてから逃げ出した。

 逃げて、逃げて、行きついた先は『落ちこぼれ』。自分にはお似合いの地位だったと思う。


 アーデルハイトは、この『聖女』によく似ている。『聖女』としてではなく『悪女』として振り切れているが、それでもアーデルハイトの在り方は、生き様は、ノアが憧れた『聖女』と同じものだ。

 アーデルハイトは、口癖のように「国のため」という。国のため、陛下のため、わたくしは国を愛しているから。その愛のために。


 アーデルハイトと共にゴルダイム辺境伯領レッドラインに赴いたノアは、アーデルハイトの死にざまを知った。国を愛したから、皇帝を愛したから、悪名も悪行も悪業もすべて引き連れて首を落とされた。


 ノアが憧れた『聖女』がそこにいる。

 なのに、どうしてあんなにも悲しく思ったのか。


 アーデルハイトが国のためと口にするたびに、どうしてやりきれない気持ちになるのか。


 どうして有象無象のために『聖女』は死なねばならなかったのか。どうして、アーデルハイトを愛さなかった皇帝のために、アーデルハイトは死なねばならなかったのか。

 

 ノアはアーデルハイトを敬愛している。無茶を言うことも、無言で圧をかけてくることもあるが、ノアはアーデルハイトを敬愛し、尊敬している。

 自身を悪と呼び、他者の命を軽く扱うけれど、あの人はけして自身の道具を粗雑には扱わない。その命たちを軽く扱い、重く受け止める。弱いからといって、放り出したりしない。出来ないことを嘲笑したりしない。必ず、出来ることを見つけてくださる。それはきっとノアのためでも、誰のためでもなく、ただ国のためなのだろうけど。

 ノアはアーデルハイトを敬愛し、尊敬している。いま、必死に文字を覚えようとしている彼らも、必ずそうなるだろう。


 ノアはこれ以上、アーデルハイトを『聖女』にはしたくないのだと思う。愛に狂う人間は物語の中だけで充分なのだ。

 ノアは敬愛するひとのために死ねるほどの献身はできないけれど、それでも、やれる分だけは献身していく。できることが増えるようになることも、アーデルハイトの役にたつことも、アーデルハイトに頼られることも、ノアにとっては真新しくて、楽しくて、そして嬉しい。

 ノアはこのハッセルバムで唯一だ。否、新たな部下が増えたのだから、もう唯一とは言えないかもしれない。けれど、一番ではありたいと思う。


 ノアはきっと、聖女のようにも、アーデルハイトのようにもなれない。国のために命をかけることはおろか、使える主のために自ら命をなげだすことだって、きっとできない。

 だから、どうか。と願う。どうか、魔王様、アーデルハイト様を救ってください、と。


 だってノアには、出来ることしか出来ないのだから。その数少ない出来ることをアーデルハイトに見出してもらって、初めてノアはノアとしての誇りを見つけられたのだから。


 もういらない、と言われるまで、ノアはアーデルハイトに仕えていく。アーデルハイトをこれ以上、『聖女』にも『悪女』にもしたくないから。

 アーデルハイトからかけられる期待からも、重圧からも、けして逃げたりはしない。


 それはきっと、アーデルハイトのためではなく、ノア自身のために。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る