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 これは後から聞いた話なのだが、アーデルハイトが目覚めたあの日、魔王を含むハッセルバムの幹部たちは最大限の警戒をアーデルハイトに向けていたらしい。だからこそ、アーデルハイトの目覚めを取り囲んで待っていた。


 アーデルハイトはデュラハンと呼ばれる死霊魔族の一種であるが、この死霊というのは非常に厄介なものである。死体や霊魂に魔力や神聖力が影響を及ぼし、新たな生命体として形作る。

 死霊になる者のほとんどは、この世に強い執着を残し、それ故に自らの感情にのまれてしまう。そうなったが最後、その身に宿す力が尽きるまで意思なき魔物として暴れ回る。


 アーデルハイトは生まれたときから膨大な神聖力を有していた。それがそのまま魔力へと変換されているのだから、ハッセルバムの面々が警戒するのも仕方ない話なのだろう。

 アーデルハイトが悍ましい魔物として暴れまわっていたら、このハッセルバムの首都にまで影響を及ぼしかねなかったのだという。


 なんと、なんと。そんな潜在能力を有していたなんて。


「ということで、魔族は魔物を操ったりなんかできないのです!」

「なるほど……」


 アーデルハイトは現在、ハッセルバムについての授業を受けている。教鞭をとるのは魔王の側近、頭に白い羽を生やした少女だ。

 彼女の種族は神羽族。少女に見えるが、この体格でアーデルハイトより年上である。


 神羽族の特徴は頭にある一対の羽だけではない。小さな躯体と、首や胸元を覆う柔らかな羽毛、そして鋭い鉤爪をもつ鳥の脚。

 飛ぶことはできないのかと問うたら、小さい羽でそんなことしたら首がもげると怒られた。そのかわりと言ってはなんだが、彼らは馬よりも早く地を駆けるのだそう。

 山を信奉し、山の神に仕える種族だと自称する。頭の羽は神から授けられた証であるという。


 人間の常識のなかで生きてきたアーデルハイトにとって、異種族が集うハッセルバムの知識を得ることは急務だった。なにをするにも、知らねばどうしようもない。



 人間が魔族と呼ぶものには二種類ある。ひとつは魔力を持って生まれてきた人間。群青色の力を神聖なものとするツムシュテク教にとって、金色の魔力は異端である。魔力も神聖力も、力の根本としては大差ないらしいが。

 魔力を持って生まれてしまった赤子は、たいてい樹海に置き去りにされる。成人ですら危険な樹海に命を奪われるのだ。生きられるはずもない。


 そしてもうひとつが"人間にとっての異形"。


 たとえば、獣の特徴を有した獣人。大陸西部では伝説と言われてしまうほど珍しい存在だが、東部には今でも小さな集落があるという。狼族のウルや、牛人のマルバドなどがそう。

 たとえば、シナリーのような神羽族。異形種のなかでも数が少なかった彼らは、大陸ではすでに滅びたものとされていた。

 たとえば、イリシャのような夢魔族。蝙蝠のような羽を有し、生物の精気を糧とする種族。人間たちのあいだでは淫魔と呼ばれ、男性の精を狙う悪魔と呼ばれる。とは言っても、彼らの吸精に性行為は必要なく、悪意を持って囁かれた噂に過ぎないことであった。


 ほかにも魚人だとか、岩窟人だとか、ケルピーだとか、人間たちはいろいろな種族を魔族と一括りにして迫害した。

 彼らのほとんどが魔力を有する種族だったことも、迫害を助長した所以だろう。否、どちらが先かはわからないが。異形たちの多くが魔力を持っていたから、魔力そのものを忌避した可能性も大いにある。



 魔族は魔物を操るもの。



 それは人間であれば誰しもが知る話である。しかし、そもそも魔族自体が各種族寄り集まっただけの存在で、そんな大層なことをできる者などいないのだそうだ。

 そしてまた、魔族と魔物はまったくの別物である。魔物は魔力や神聖力の蔓延する力場で生まれる。森の捕食者であり、魔力などの力を持つだけで動物とほとんど代わりない。


 魔族が魔物を操る、という話は、動物たちの上位種である獣人たちの特性から来ているらしい。

 狼族は狼の上位種として群を統率することができるし、それは狐族や牛人なども同じこと。


「人間は弱いからさ、自分たちと違う存在ってのが怖いんだろうね。自分たちが神聖視してる群青色の力ですら、見た目が違えば迫害対象だもの」

「ユアンとか?」

「そうそう。森人なんて、むしろ人間の隣人だと思うんだけどねぇ」


 そう言ってシナリーは木の板にゴリゴリと絵を描いた。側近のひとり、森人のユアンだ。

 エルフというだけあって、彼らはもともと森を住処として生きてきた種族である。長く尖った耳は獣人にも劣らない聴力を誇り、髪の色は保護色となる金や茶、新緑色が多い。


 エルフは群青色の力、いわゆる神聖力を持つ種族なのだ。


 エルフたちはただ害されてきただけではない。誰も彼もその見目は麗しく、多くの森人が人間に捕らえられ、観賞用の奴隷に落とされてきた。

 もちろんユアンもまた、たいそう美麗な男である。


「ユアンに耳長って言うのは禁止ね。怒ると面倒だから」

「心にとめておくわ」

「そうして。ウルがいっつもユアンのこと耳長、耳長って揶揄うからうるさいのなんの。べつに喧嘩するのは良いんだけどさぁ、人の部屋の壁に穴開けといて謝りもしないの! 最悪でしょ!」


 シナリーは小さな体躯でぐいと伸びをすると、手に持っていたペンを投げ捨てた。


「ハイジ、遊びに行かない?」

「また?」

「揚げ芋食べにいこうよ、ね?」


 いいでしょ、とアーデルハイトの袖を引っ張るシナリーに頷いて見せて、黒いワンピースの上から黒い外套を羽織った。

 神羽族のシナリーや夢魔のイリシャは、アーデルハイトのことをハイジと呼ぶ。最初は拒否しようとも思ったのだが、面倒になったのでそのまま呼ばせている。


 メルダースではアーデルハイトという名はそこまで珍しくない。とくに、アーデルハイトが皇后となった年に生まれた女児は、多くがそれにあやかってアーデルハイトと名付けられた。まさかその皇后が国家反逆罪で首を落とされるなど、哀れなこと。愛称はだいたいがハイジがハイディだ。

 かくいうアーデルハイトも、幼少期は母にハイジと呼ばれていたらしい。ずいぶんと前のことなのでほとんど覚えていないけれど。


 シナリーと並んで魔王城を抜けると、そこはすでにハッセルバムの首都である。石造と木造が入り混じり、大小様々な建物が所狭しと建ち並ぶ。数多くの少数種族がより集まり、好き勝手に家を建てた結果、こうなったらしい。

 最初に街の基盤を作ったのは岩窟人であり、その名残の目抜き通りが魔王城からまっすぐ伸びている。この大通りからひとつでも逸れると、そこはもう巨大な迷宮だ。袋小路だらけで、まともに歩けやしない。


「ウルがさぁ、もう芋は食いたくねぇ! とか文句言うわけ。だったら土でも食ってろって話じゃん? あの犬文句ばっかりで嫌になっちゃう。あ、ウルに犬って言うと顔真っ赤にして怒るの、超面白いからオススメ」


 慣れたように大通りをすたすたと歩きながらシナリーが狼族、ウルの悪口を垂れ流す。

 メルダース帝国の皇宮と違い、ハッセルバムの中枢を担う彼らは喧嘩ばかりしているが仲も良い。訓練の休憩中に話し込む兵士や、聖帝学院の学生のような空気がある。

 言葉に何重もの布を被せ、真意を綺麗な言葉に隠す貴族どもに比べると、シナリーたちの言葉はわかりやすく、そして真っ直ぐだ。アーデルハイトにとってそれは不快であり、そしてどこか心地よい。矛盾した感覚。


 大通りに人は多いが、活気があるとはけして言えない。帝都はもっと、人混みでがやがやと騒がしかった。

 人口が違うから、では説明できないのだ。ハッセルバムの首都はそこまで大きくない。人口密度で言えば、こちらのほうが圧倒的だ。


「オージさん! 揚げ芋ちょうだい!」

「おう、シナリーか。ちょっと待ってな、いま揚げたて出してやる」

「やったー! 揚げ芋はやっぱり揚げたてが一番だよねぇ。ハイジもそう思うでしょ? あたしは蒸し芋よりだんぜん揚げ芋派! イリシャはそこんとこわかっていないというか」


 相変わらずよく喋るシナリーの声を聞きつつ、大通りの屋台を観察する。ぽつん、ぽつん、と並ぶ屋台。客の数もそこまで多くはない。

 帝都を知るアーデルハイトには、この街はどこか閑散として見える。雑然とした街の風景には違和感のある光景だった。


 ぱちぱちと気味良い音を立てて芋をあげるのは、壮年の銀狼族、オージ。

 一般の兵や民は側近に敬称をつけて呼ぶが、このオージだけは誰にでも気安い。その昔、魔王城に勤めていたことでもあったのだろうか。


 引きずられた左足はその名残かもしれない。


「ほらよ。えっと、なんだっけ、嬢ちゃんの名前」

「ハイジ! このあいだ教えたばっかでしょ!」

「そうだそうだ、ハイジな。ほら、熱いから気ぃつけろよ。下手にかぶりつくと舌が燃えるぞ」


 礼を言って大きな葉に包まれたそれを受け取った。包み越しでもその温かさが手に伝わる。

 アーデルハイトにとってハッセルバムは異国だ。人種も文化も違う。作法など知る由もない。

 さらに、貴族令嬢として生まれ、帝国でもっとも高貴な女にあったアーデルハイトは、こうして街で買い食いをした経験などなかった。

 幼少期に一度だけ屋敷を抜け出して冒険しようとしたのだが、結局それも失敗に終わっている。たしか屋敷の敷地を抜けることすらなかったはずだ。


 初めてシナリーに連れ出されたときなど、あまりにも驚き過ぎて思わず首が落ちた。


「いただきまーす」


 さっそく齧り付いたシナリーを横目に、アーデルハイトも包みを開く。葉のなかにおさまる黄金色がまるまるひとつ。ふたつに割ると、白い湯気がもわとあがり、揚げたての香ばしい香りが鼻を撫でた。半分になったそれを、もう半分に割る。


「んー、うま! ハイジはお上品だねぇ」

「お姫様って感じで良いよな!」


 帝国のお姫様は芋を手で食べたりはしない。が、そんなことは口にしない。

 四等分した芋を食べると、まだ熱いそれが口の中でほろほろと崩れた。塩気のなさに物足りなさはあるが、揚げただけでも美味しい。


 実際のところ、アーデルハイトに食事は必要ない。必要なのは体を維持するための魔力であり、それは首都の目の前に鎮座する樹海と霊峰から流れてくるもので充分だった。

 しかも、ぱっと見は目立たないが、アーデルハイトの首と胴体はすっぱりと分かれている。固形物はまだマシだが、液体に関しては気をつけないと首の分かれ目から滲み出したりするのだ。


「どうだ、うまいか?」

「……ええ、とても」

「ハイジは揚げ芋と蒸し芋どっちが好き? 揚げ芋だよね?」


 どちらも、と答えてもう一欠片、口に放り込んだ。


 本当に、どちらも美味しいのだ。どちらも揚げただけ、蒸しただけだが、それでも今まで食べてきた食事のなかでもっとも美味しい。

 ティーカップに塗り込まれていた毒で、口から泡を吹きながら痙攣と痺れに襲われたことがある。宴の毒見担当が、アーデルハイトの目の前で死んだことがある。食事は命をつなぐための行いで、そして同時に命を脅かされるものでもあった。


「つーかよ、シナリーはこんなとこで遊んでて良いのかよ。ウルもマルバドも朝っぱらから仕事だって文句垂れてたぞ」

「仕事の種類が違うんですぅ! あたしはハイジのお世話役っていう重要な仕事中なの。蹴ったりぶったりしか脳のない犬とか牛と一緒にしないでくださいー!」

「どこから見てもシナリーがハイジに世話されてるようにしか見えないぞ」


 魔王城で働く者は少ない。文官などはほとんど存在しないのだ。


 正直、アーデルハイトはハッセルバムが国の体をなしているとは思っていない。ここは巨大な集落であり、ただ国と名乗っているだけ。

 魔王の側近は、その全てが軍を持っている。牛人マルバドの第一軍、森人ユアンの第二軍、夢魔族イリシャの第三軍、銀狼族ウルの第四軍、そして神羽族シナリーの第五軍。


 マルバドは霊峰の魔物討伐を。ユアンは首都近郊の農村地巡回を。イリシャはユアンより外の地域巡回を。ウルは樹海から流れ込む魔物討伐を。シナリーは首都内の警護を。


 樹海や霊峰ほどではないが、ハッセルバムは国全体が大きな力場となっている。金と群青色の力が入り混じるこの地は魔物が発生しやすく、軍は常に戦いの最中にある。

 開拓して切り開いてしまえば力場の力も弱まるのだが、なぜそうしようと思わないのだろうか。


 ハッセルバムは税制度も適当だし、イリシャが巡回する田舎の村々にあたっては物々交換で成り立っているところがほとんどだ。

 ハッセルバムは人間に迫害されてきた少数種族が隠れ忍び、ほそぼそと生きている巨大な集落でしかないのだ。


 魔族同士の争いがないだけマシだろう。


 魔族の敵は樹海に入り込んでくる傭兵や冒険者であり、この地に溢れ出した魔物である。共通の敵というのは得てして、内部の結束を固めるもの。


 どことなく寂しさすら感じる大通りを散策しながら、シナリーに問う。


「首都の空気は昔から変わりないの?」

「どういう意味?」

「人口の割に外に出ている人が少ないでしょう? なにか理由があるのかと思って」


 軽く唸ったのち、シナリーは少し困ったように口を開いた。


「あたしも今年で三十になるけど、たぶん昔からこんなだよ。あたしはハッセルバムで生まれてハッセルバムで育ったから、人間の国のことはよく知らないけど……まあ、なにかおかしいっていうなら、みんな飢えてるんだと思う」

「飢え……」


「そうそう。お腹空いてんの。あたしも、側近たちも、国民も、みーんな。魔王さまがハッセルバムを作る前を知ってる爺さん婆さんはね、この地は痩せてて食物が育たないんだって、そう言ってる」


 肉食の魔物は食べれたもんじゃないしねぇ、と締め括ったシナリーの言葉を反芻する。たしかに魔王本人も『痩せ細り、なにもない国』だと言っていた。

 それでも、なけなしの農耕地はあるのだ。先ほど食べた芋はハッセルバム国民の主食であり、この国の農耕地で収穫したものだと聞いている。


「美味しいものが食べたいわね」

「お? ハイジからそういう言葉が出てくるの珍しいね! あたしも思うよ。美味しいものでみんながお腹いっぱいになれば良いって!」


 ハッセルバムを愛するために、やるべきことをやらねば。



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