生徒会長が先生を嫌う理由を求めよ③

「それは……」


 ステラレイン君は唇を結んで、気まずそうに視線を外した。


 まさかと思ってカマかけてみたが、当たりだったらしい。


「他の役員、何してるの。連合生徒会ならあと何人かいるはずでしょ」


「それは、その……えと、み、みんなで買い物に行っていて……」


「こっちの目見て言おうか。釣り上げたばっかの魚ばりに目が泳いでるぞ」


「ほ、ほんとうです……わ、私にお土産も買ってきてくれるそうです」


「……そっか」


「……」


「……」


 一秒。二秒。続いた静寂に耐えきれなくなったように、ぷるぷるとセレナが体を震わせる。


「あーもうやめてくださいその生暖かい目っ! いっそ突っ込んでくれた方がいいです!」


「めんどくせっ」


 自分で誤魔化した癖に。


 俺はとりあえず会長の席の近くのソファのひじ掛けに腰かけると、気まずそうに顔をそらしている彼女に質問する。


「このままで大丈夫なのか?」


「……だいじょうぶです。私だけでもなんとかなります」


「今のところは、だろ。何が起きたら会長だけの生徒会なんていう状態になるんだよ」


「……」


 目は合わない。ただ、黙して俺の質問を誤魔化したいのか、それとも別の理由があるのか。


 だが誤魔化そうとしても……いや、この生徒会室にいるからこそ誤魔化せないのだ。

 だってこの生徒会室には『会長 セレナ・ステラレイン』以外のネームプレートがない。

 副会長も、会計も、書記も、庶務も、全てが空席。


 セレナ・ステラレインという『連合生徒会長』しかいない空っぽの部屋なのだ、ここは。


 いつの間にかステラレイン君は俯いてスカートを握って黙りこくってしまった。

 そして、俺は彼女のそんな態度に見覚えがある。


 この前の雨の日、彼女を拾って風呂に入れて「貴方は私から何も聞き出そうとしないんですね」と言われたとき、彼女はちょうどこんな風だった。


 彼女は何かを隠している。そしてそれは彼女が今も解決できておらず、潰されそうな重みがある悩みだ。


 俺は眼鏡を押し上げつつ、ふう、と息を吐く。


「もしかしてこの生徒会の状況、この前君が雨の日に泣いてたことと関係してたり……するか?」


「……べつに、泣いてはいません」


「なら関係あるんだな」


「……」


 無言。話したくない、か。


「じゃ、質問を変える。ステラレイン君はなんでひとりで生徒会長なんてやってるんだ」


 生徒会長しかいない生徒会。普通に考えれば運営は不可能だ。

 補充するなり、教師に仕事を投げるなり、いっそのことやめてしまってもいいはずだ。


 でも、目の前の彼女はそれをしない。

 ただ一人で、じっと耐えるようにこの空っぽの部屋で、『連合生徒会長』という立場にしがみついている。


 しばらく、彼女は黙り込んでいた。


 だがやがて、俺からの視線に根負けしたように小さく息を吐く。

 そして僅かに垂れていたブロンドを指で掬って耳にかけながら口を開いた。


「答えてもいいですが、その前に一つお願いが」


 お願い? 


「呼び名。ステラレインではなく、セレナの方でお願いします。

 あまり、名字は好きではないので」


「あー……、ならセレナ……君?」


「お好きにどうぞ。そこの呼び方に関してこだわりはありません。名前であるなら、なんでも」


 わざわざ嫌がることをする意味もない。セレナ君……セレナ、まあそんなところで呼ばせてもらおう。


「私が生徒会長を続ける理由、でしたよね」


 セレナは一つ小さな息を吐くと、背筋を伸ばして凛とした態度で俺を見据える。


「それが私の責任だと思うからです。この、たった一人にしてしまった生徒会を守ることが」


 してしまった、ね。


 やっぱり何かしらセレナがやったのか。それとも彼女が原因での何かの出来事なのか。


 俺がひじ掛けの上で身じろぎして居住まいを正すと、ぎし、と椅子がきしんだ。


「ずっとこの先も一人でやっていくつもりなのか」


「……それが必要なのなら」


「どうしてそこまで入れ込める。高々生徒会の仕事だろ」


「高々って……連合生徒会は由緒ある……」


「由緒はあっても結局学生機関だ。学長にでも言えば交代の人員くらい探してくれるだろ」


「それは……」


 セレナが凛とした態度を僅かに崩して、膝の上の指を組んで視線を揺らがせた。

 躊躇い。思索し。悩み。そんな感情が混ざった表情のセレナは、やがて一つ一つ言葉を選ぶように口を開き始める。


「憧れている人が、いるんです」


 ……なるほど、そういう感じか。


「昔私の家に魔物が現れたことがあったんです。そのときはお父様もお母様も兄さまも誰もいなくて。

 でも、そんな中駆けつけてくれた魔法使いさんがいたんです。そして、私を助けてから『よく頑張った』って、頭を撫でてくれた」


 セレナは懐かしむように、まるで大切な思い出を取り出すように、自分の思い出を語る


「憧れたんです。夜を拓くようなあの人に。あんな風な誰かを助けられる人になりたいって思ったんです」


 自身の思い出に励まされるように、次第にセレナの深い青の瞳には光が戻っていく。

 それはあの日、泣いていた一人の女の子とは違う『連合生徒会長』としてのセレナ・ステラレインの顔だった。


「だからあの人に憧れた私は、自分ができることから逃げたくないんです。

 ……まだ、私がどうするべきかわからなくても、少なくとも逃げることだけはしたくない」


「あー……、憧れてる人に恥ずかしくない自分でいたいってことか?」


「人が迂遠に言ったことを直接的に言うのはやめてくださいっ!」


「あれ、違った?」


「ち、違いませんが……」


「ならいいんじゃない?」


「こう、あるじゃないですか! 言葉にするとちょっと恥ずかしいけど大切にしておきたい気持ち!」


「あー……、言われてみたらそういう頃もあったな。

 悪い……ちょっとそういうガキっぽいの前過ぎてさ……」


「~~~っ! おじさんにはわからない子どもっぽい感傷ですみませんでした!」


「おじっ―――」


 おじさん……いやまあセレナの年齢を考えれば俺なんておじさんなんだろうが……。

 まさか、いつの間にか女子学生におじさんと言われる側に回っているとは……こ、これが時の流れの残酷さか……。


 やばい、めっちゃダメージ入っちまった。

 こんなに傷ついたのは、去年同期がいつの間にか嫁さんと小学校に入る子どもがいたのを知ったとき以来だ……割と最近だな……。


 だがそんな俺のダメージなど露知らず、僅かに顔を赤くしたセレナは、こほんと咳払い。


「……でも、そうですね。私は顔も覚えてないあの人に誇れる自分でいたくて、『連合生徒会』を守ろうとしてるのかもしれません」


 自分が逃げたくないから。やるべきことをやれる人でいたいから。言うだけは簡単だ。

 でも実際にそれを実現しようとするのは大変だし、それを貫こうとするのはなおキツイ。


 だからこそ今の一人で立とうとしているセレナは立派だと思う。

 それがたとえ無茶なことでも、俺は頑張ってるやつには報われてほしいと思うし、その悩みが解決に向けばいいとも思う。


 もっとも、俺にはセレナは悩みを話してくれないし、嫌っているので話してくれる未来は遠そうだが……まあ、それはそれ。


 だからせめていまは先生らしく励ましたい。日が浅いとはいえ、彼女も俺の生徒だしな。


 眼鏡の位置を正して僅かにかがむと、彼女へと語りかける。


「やっぱセレナ君は真面目だな。それでいて立派だ」


「……べつに、ふつうです」


「そんなことない。偉いよ。俺にできることあったら何でもするし、言ってくれな」


「人が良いんですね」


「セレナが子どもで生徒で、俺が大人で先生であるうちはな。できることはするさ。

 ……まあ最も」


 ズレた眼鏡の向こうのブロンドの少女に向けて目を細め、僅かに微笑んで見せる。


「俺のこういうところが嫌いだったりするのかもしれないけどな」


「……少なくとも、そういう言い方をする先生は嫌いです」


 さよで。


 その後、セレナに「そろそろ無駄口はやめて作業を再開しないと終わりませんよ」と睨まれた俺は、自分の席に戻って慌てて作業を再開した。


 かりかり。ぺらり。


 二人っきりの生徒会室では相変わらずお互いの作業の音だけが響く。


 俺とセレナの目の前には膨大な量の書類があったものの、集中の甲斐あってか作業は中々の効率で進んだ。

 それはやがて、窓から差す夕日は傾き始め、遠い空の向こうに浮かぶ二つの薄月がぼんやりと影を見せ始めたころに、二つの嘆息が重なることで終わりを迎えた。


「先生も終わられたんですね」


「なんとかね。セレナも?」


「ええ。途中でおしゃべりがあったのでいつもより時間はかかりましたが」


「え、そこで俺見る? 時間的にはセレナ君が話してた時間の方が長かったと思うけど……」


「それは先生が私に色々聞いてくるからじゃないですかっ! 先生が私に色々話しかけなければ―――」


 セレナはぴっと指を立ててつらつらと俺への注意を始めようとして、その直前にちらっと俺の机の上にある書類を見た。

 そして、「仕方ない」とでもいうようにわざとらしくため息をこぼした。


「……と、注意したいのはやまやまですが、あの分量を終わらせたのはすごいと思います。

 前の顧問が残された仕事もあったのに、それもまとめて一日で処理するなんて」


「はっ!? 前の顧問の仕事も!? 聞いてないんだけど!?」


「べつに私も先生に聞かれませんでしたから」


「そこは俺に聞かれなくても言ってほしいなァ!」


「私、先生のことが嫌いなので」


「セレナ君、大人が苦しんでいるのを見て楽しい?」


「楽しくはないです。……ですが、悪い大人の先生に意趣返しができて私の気持ちは少し落ち着きました」


「ちょっと楽しんでんじゃねえか!」


 だからかあんなバカみたいな分量あったの!? 

 いやどう考えても俺が赴任する前の書類とかもあったから変だと思ってたんだよな。


 くそう、セレナめ……。


「……でも、少しだけ先生のことは見直しました。正直、お手伝いしなきゃいけないかと思っていたので」


「はは、舐めて貰っちゃ困るな。このくらいならどんと来いって感じだ」


 セレナは知らないだろうが、前いたところじゃ俺は――――あれ。


 終わった書類、これいま見たらなんか……。


「先生?」


 あー……、うん。その、なんというかね、大変いいにくいことなんですがね。


「ごめん、この書類全部裏やってないわ」


「……」


「……」


 しぃん、と痛いほどの静寂が生徒会室に広がった。


「……私も手伝います。貸してください」


「すんませんでしたァー!」


 とりあえずジャンピング三回転土下座しまァす! 


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