影なる人

松川スズム

影なる人

 梅雨が明け、猛烈な暑さが厳しい七月の半ば。

 仕事をクビになり、彼女にも振られた俺は、傷心旅行も兼ねて、久しぶりに実家へ帰省することにした。

 俺の実家は、今住んでいる都会とは違い、山々に囲まれた人口約三百人ほどの小さな村にある。

 村の名前は、影守村かげもりむらだ。


「……やっと着いたな」


 二両編成のワンマン列車から、さびれた駅のホームに下りた。

 俺は辺りの風景を眺める。

 駅には、駅舎もない。

 周りには小高い山々や田んぼばかりが広がっている。

 非常に殺風景で不安になりそうな場所だ。

 電車が通っていること自体が奇跡だな。

 

 駅のホームから出るとき、黒いスーツを着た背の高い男性が前から歩いてきた。 

 俺はその男性とすれ違う。


「村の住民に気をつけろ」


 驚いて、すぐに後ろを振り返る。

 しかし、男性の姿はすでにそこにはなかった。


「今のは、いったい……?」

「おーい、大晴たいせいー!」


 突然、大きな声が聞こえてきた。

 振り返ると、Tシャツにショートパンツスタイルという、いかにも夏らしい格好をした女性がこちらに向かってくる。


「おかえり、大晴!」

「ああ、ただいま、美羽みわ。久しぶりだな」

「ほんと久しぶりだよー。というか、こうやって会うのは、三年ぶりだよね? なんで帰ってこなかったの?」

「仕事が忙しかったんだよ」

「そっか。でもさ、連絡ぐらいくれてもよかったと思うけどなー」

「それは――」


 不意に三年前の美羽との出来事を思い出す。


『ねぇ、大晴。私も都会で大晴と一緒に暮らしてもいい?』


 帰り際にかけられた、告白同然の言葉。

 だけど、美羽のその言葉を受け入れるわけにはいかなかった。


『ごめん、美羽。俺には将来を誓い合った彼女がいるんだ』

『そ、そうなんだ。ご、ごめんね。今のやっぱなしで……』

『ああ、そうしてくれると助かる。お前とはこれからも、仲の良い幼なじみでいたいしな』

『幼なじみ……。うん、そうだよね。帰り際に変なこと言って本当にごめんね。じゃあ、またね』

『ああ、またな』


 こんな感じで、俺と美羽はなんともいえない別れ方をしたのである。

 なので、連絡をするのも気まずかったのだ。

 美羽から連絡が来ることも何度かあったが、仕事の忙しさと彼女を理由にして、返事を一切しなかった。

 まあ、将来を誓い合って、同棲までしていた彼女は、俺が仕事をクビになった途端に、別の男を作って出て行ってしまったがな。


「どうしたの?」

「なんでもない。それより、なんでお前がここにいるんだよ? 俺が帰省することは、親父やお袋しか知らないはずだが」

「その大晴のお父さんとお母さんから聞いたんだよ」

「まじか……」

「それよりさ、早く車に乗りなよ。送ってあげるからさ。それとも、この暑い中、歩いて家に帰るほうがいい?」

「ここはありがたく頼らせてもらうよ」

「うんうん、素直でよろしい。じゃあ、行こっか」

「ああ」


 俺たちは駐車場まで行き、美羽が所有する黒い軽自動車に乗り込んだ。







「とうちゃーく!」


 数分後、美羽が運転する車は、俺の実家の前に到着した。

 車から出ると、再び猛烈な夏の暑さが襲ってくる。

 美羽が送迎してくれて助かったな。


 それにしても、美羽は気まずくないのか?

 正直、俺は今でも気まずい。

 だが、美羽は違ったのだ。

 美羽は三年前の告白など、最初からなかったかのように、自然体で俺に接してくれた。


 美羽は大人になったんだな。

 俺も早く大人にならないと。


「どうかしたの?」

「いや、なんでもない。それより、送ってくれてありがとな。うちに寄ってくか?」

「もちろん! ……と言いたいところだけど、実はこれから仕事があるんだよね」

「仕事? ああ、そうか。お前はあのスーパーもどきで働いているんだったな」

「もどきじゃなくて、れっきとしたスーパーだよ! うちのスーパーがなかったら、みんな困るんだからね!」


 美羽は村長の孫だ。

 そして、美羽は村長が経営する、この村にたった一つのスーパーもどきで働いている。

 なぜ、「もどき」かというと、品揃えがコンビニよりも悪く、建物の見た目もスーパーというより、直売所と言ったほうが正しいからだ。


 だが、美羽の言うとおり、そんなスーパーもどきでも、この村にとっては、なくてはならない存在でもある。

 俺も子どもの頃はよくお世話になったものだ。


「それじゃあ、もう行くね」

「ああ、頑張れよ」


 美羽を見送ったあと、俺は三年ぶりの我が家に帰ることにした。







「……ん? 今何時だ?」


 携帯で時刻を確認すると、もう午後六時をまわっていた。

 窓から外の風景を眺めると、少し薄暗い。


「……俺はいつの間に眠ってたんだ?」


 寝起きでボーッとした頭を無理やり回転させ、寝る前にあったことを思い出す。


 実家に帰ってまず最初に会ったのは、お袋だ。

 お袋は三年前とまったく変わっておらず、元気そうで安心したのを覚えている。


 親父は仕事でいなかった。

 お袋が言うには、親父も変わらず元気に過ごしているらしい。


 お袋としばらく話したあと、二階にある自分の部屋に戻った。

 そして、暑さと長旅で疲れていた俺は、部屋に着いて早々眠ってしまったのである。

 家に帰ってきたのが、午後一時くらいだったから、約五時間も寝てしまったことになるな。

 そのとき、腹の虫が鳴った。


「腹、減ったな……」

「大晴ー! 美羽ちゃんが来てくれたよー! 一緒に晩ご飯食べる約束してるんだろー! もうご飯できてるから、下りてきなー!」


 一階から、お袋のやかましい声が聞こえてくる。

 というか、美羽と一緒に晩ご飯だと?

 俺はなにも聞いてないぞ。


 もしやと思い、携帯を確認してみると、


『私、今日の晩ご飯は大晴の家で食べるから。大晴のお母さんからは、すでに許可をもらいました! 午後六時頃にお邪魔させてもらうね!』


 という連絡がきていたのであった。


 仕方ない、今日は昔のようにみんなで夕食を楽しむことにするか。

 俺はお袋に返事をしたあと、寝癖を直してから、一階に下りていった。







 晩ご飯を食べたあと、俺は美羽を家まで送っていくことにした。

 日は完全に落ちていて、すでに辺りは真っ暗だ。

 道の所々に街灯がまばらに設置されているが、それでも暗い。


「はぁー、おいしかった。大晴のお母さんのご飯はやっぱり最高だよ」

「お前は相変わらずよく食うよな。人様の家で大盛りごはんを三杯食べるなんて、ほんと肝が座ってるよ」

「これでも今日はセーブして三杯に抑えたんだよ」

「誇らしげにしてるんじゃねぇよ。まったく、その細い身体のどこにあの量が入るんだか」

「あ、それセクハラだよ」

「この程度、お前なら平気だろ?」

「ひどーい。私だってうら若き乙女なんだよ? もっと大切に扱ってほしいなー」

「はいはい、善処しますよ」


 そんな他愛のない話をしていたら、あっという間に美羽の家に着いた。

 美羽の家は村長の住む家だからか、いつ見てもデカい。

 俺の家とは大違いだ。


「送ってくれてありがとね。ついでに、お爺ちゃんたちにも会ってく?」

「いや、今日はやめとくよ。こんな時間だしな」

「私は別に気にしないよ。きっとみんなだって――」

「俺が気にするんだよ。当分こっちにいるつもりだから、また日を改めて挨拶に行くわ。ほら、さっさと家に入れよ。虫にくわれるぞ」

「うー、わかったよ」

「じゃあ、またな」

「あ! ちょっと待って!」

「なんだよ?」

「あの……さ。明日、私の仕事が終わったら、一緒に湖までドライブに行かない?」

「ああ、いいぞ」

「やった! じゃあ、明日の午後六時頃に迎えに行くね!」

「わかった」

「それじゃあ、また明日。おやすみー」

「おう、おやすみ」







 美羽と別れたあと、俺は自宅には戻らず、そのまま夜の村内を散歩することにした。

 昼間に寝たせいで、今は全然眠たくない。

 なので、身体を疲れさせて、寝つきをよくするために、川原まで足を伸ばす。


 川原に着くと、カエルの大合唱が俺を迎えてくれた。

 都会だとカエルの声が聞こえることはまずない。

 久しぶりに聞くカエルの声は心に沁みる。

 昔はよくカエルの声を睡眠導入音楽のように聞いていたものだ。


 カエルの合唱、かすかに聞こえる川のせせらぎ、虫たちの鳴き声、風に揺れる草木のざわめき。

 まるで、俺は自然と一体化したような感覚に陥る。

 夏の暑さも吹き飛ぶほど、気持ちがいい。


 そのとき、十メートルくらい先で何かがうごめく気配を感じた。

 さっきまで聞こえた音たちは一瞬で消え去り、辺りはしんと静まり返る。

 俺は緊張しながらも、よく目を凝らして、それが何なのか確かめた。


 大きさは、人間に近いな。

 まさか、熊か?


 俺は冷や汗をかきながら、ゆっくりと後ろへと下がった。

 大丈夫だ。

 熊と出会ったときの対処法なら知っている。


 しかし、後ろへ下がる際、俺は段差につまずいてしまった。

 姿勢を崩した俺は、その場に勢いよく倒れ込む。 

 物音を立てたせいで、熊は俺に気づいたらしく、一気に目の前まで迫ってきた。

 俺は熊を見た瞬間、思わず息を呑んだ。


 なんと熊だと思っていたものは、人の形をした全身真っ黒な化け物だったのだ。

 化け物は、俺と同じくらいの大きさで、顔には目も鼻も口もなく、のっぺらぼうのようだった。


「なんだ、こいつは!?」


 化け物は異様に長い腕を持っており、長く伸びた鋭い爪のようなものも確認できる。

 化け物は、その長く伸びた腕を振り下ろしてきた。

 俺は咄嗟の判断で、横に避ける。

 化け物が腕を振り下ろした地面は、かなりえぐれていて、跡がはっきりと残っていた。

 もし避けなかったらと考えると、ゾッとする。


 化け物はまた両腕を振りかざした。

 やばい!

 今度こそ終わりだ!


「やめるんじゃ!」


 そのとき、誰かが俺と化け物の間に割って入る。

 その人物は、松明と鉈を持った村長であった。

 村長は松明と鉈を振り回しながら、化け物に近づいていく。

 化け物はそんな村長に怖じ気づいたのか、素早く後退する。

 そして、そのまま川原の近くにある森の中へと姿を消した。


「ふー、なんとか追い払えたのぉ。大丈夫か? 大晴?」

「だ、大丈夫です。おかげで助かりました。ありがとうございます」

「お礼など無用じゃよ。村の民を守るのが儂の役目じゃからな」

「あ、あの、村長。今の化け物はいったいなんなんですか?」

「……今日はもう遅い。化け物についてはまた明日話そう。とりあえず、おぬしを家まで送り届けるとするかの」

「わ、わかりました」


 その後、俺は村長に家まで送ってもらった。

 自分の部屋に着いてからは、緊張感が解けた反動で、布団の上から動けなくなる。

 

 あの化け物は何なんだ。

 またあいつが襲ってきたらどうすれば……。

 俺はそんな不安と恐怖に駆られながら、一夜を過ごしたのだった。






 翌日の昼頃、俺は小高い山の上にある神社へ向かっていた。

 化け物の詳細は神社で話す。

 今朝、村長から連絡があったのだ。


 村長が言うには、あの化け物は日中には出てこないらしい。

 村長を疑うわけではないが、不安だった俺は、できるだけ人通りが多い道を選んで神社へと向かう。

 神社へ向かう途中、昔なじみの知り合いたちと久しぶりに会ったが、皆昔と変わらず俺に接してくれた。

 そのおかげで、俺の不安な心が少し和らいだ。


 神社に着くと、村長が本殿の前で佇んでいた。

 村長は俺に気づくとゆっくりと歩いてくる。


「わざわざ、呼び出してすまんの」

「いえ、大丈夫です。それより、昨日の化け物の件についてですが……」

「それは、あとで話す。まずは儂についてきなさい」

「は、はい……」


 村長は小さな社の前で歩みを止める。

 それから村長は、社の扉を開けた。

 社の中には、人の形を模したような銅像が祀られている。

 銅像を見た瞬間、あることに気づいた。

 銅像は、昨日見た化け物にどこか似ていたのである。


 しかし、よく見てみると、銅像はちゃんと人の形を保っており、昨日俺を襲った化け物とは全然違った。

 同じなのは、顔がのっぺらぼうのようになっていることぐらいだ。


「村長、これは?」

「これはな、影神様かげかみさまじゃよ」

「かげかみさま……?」

「数百年前にな、この地に怪物が現れたのじゃよ。その怪物のせいで、この村は壊滅寸前まで追い詰められた」

「怪……物……?」

「そんなとき、この地にとある人物が現れ、怪物を退治してくれたのじゃ。その人物こそ、この影神様なのじゃよ」

「そんなことが……」

「当時の村人たちは、影神様に御礼として、村娘を娶らせた。その子孫が、儂ら稲本家の人間なのじゃよ」

「稲本家が?」

「儂らは代々、影神様の末裔としてこの地を守ってきたのじゃよ。この神社はな、村を怪物から救ってくださった影神様を祀るために、儂らの祖先が建てた神社なんじゃよ」


 影神様の昔話には、多少引っかかるものがあるが、とりあえず理解した。

 しかし、それが昨日見た化け物と何の関係があるのだろうか。


「もしかして、さっき村長が言ってた怪物って――」

「ああ、そうじゃ。あの化け物こそが、数百年前に現れた怪物じゃろうな」


 やっぱり、そうだったのか。

 昨日の化け物が、過去にこの村を……。

 いや、でも待てよ。

 怪物は退治されたんじゃなかったのか?


「実はな、あの化け物はこれまでも何度か目撃されていたのじゃよ」

「それならなんであいつを放置していたんですか? あいつは俺に襲いかかってきたんですよ?」

「これまで、あやつの目撃情報はあったが、人を襲いはしなかった。人を襲ったのは、昨日が初めてだったのじゃよ」

「でも――」

「それにな、あやつは普通の人間では倒せないのじゃよ」

「……え?」

「怪物について詳細に描かれた巻物に、そう書かれていたのじゃよ。じゃが、この件はそう心配せずともよいぞ」

「それはなぜですか?」

「なんでも、今は国直属の化け物退治専門の機関があるらしくてな。近いうちにそこから、エージェントがこの村に送られてくるらしい」

「そ、それなら安心ですね……」


 村長の話を聞いて、これが本当に現実なのか疑ってしまう。

 だけど、信じるしかないよな。

 昨日俺が化け物に襲われたのは事実なのだから。


「……話はこれで終わりじゃ。できれば、ここで聞いたことは内密にな。このことを知らない村民も大勢おるからの」

「はい、わかりました」

「それとな、おぬしはもう都会に帰ったほうがいい。昨晩のように襲われたくはないじゃろ?」

「で、でも、俺だけ逃げるなんてできません。両親や美羽が化け物に襲われる可能性もあるのに」

「心配するな。化け物を退治することはできないが、守る手段ならある。おぬしの両親や美羽の身の安全は保障しよう」

「そ、そうですか……」

「脅威が去ったら、またこの村に帰ってくるといい。儂らはいつでもおぬしを歓迎するからの」

「わかりました。ありがとうございます」


 村長の話を聞いたあと、神社の長い階段を下っていく。

 日差しが強く、セミの声がうるさかったが、そんなことを気にしてる余裕は今の俺にはなかった。







「とうちゃーく。どう私の運転テクニックは? 夜道もスムーズに運転できてたでしょ?」

「……ああ」


 俺と美羽は村の近くにある湖まで来ていた。

 しかし、昼間の村長の話を聴いたせいで、せっかくの美羽との大切な時間も楽しめていない。


「大晴、見て見て。満月が湖面に映って綺麗だよ」

「……ああ、そうだな」


 現在俺たちは、月明かりに照らされた湖のほとりにいる。

 昔はよく二人で訪れて、湖で泳いだりしたものだ。

 だけど、今は懐かしむ余裕すらない。

 あの化け物がまた出てきたらどうしよう。

 俺の頭の中はそれでいっぱいだった。


「……ねぇ、大晴。昨日、何かあった?」

「いや、何も……」

「その言い方は絶対何かあったでしょ。幼馴染みの私にも話せないことなの?」

「……」


 美羽が心配そうな顔をして、俺に近づいてくる。

 不安でいっぱいだった俺は、思わず美羽を抱きしめてしまった。


「た、大晴!? ど、どうしたの!?」

「美羽。お前が好きだ。俺と付き合ってくれ」

「ちょ、ちょっと待って大晴! 私にも心の準備ってものが……」

「ダメか?」

「……ダメじゃない。私も大晴が好き……だよ」

「そうか」


 俺はしばらく美羽を抱きしめ続けた。

 村長は大丈夫と言っていたが、俺はずっと不安だったのだ。


「美羽。この村を出て、一緒に都会で暮らさないか?」

「……ありがとう、大晴。私、その言葉をずっと待ってたよ」

「じゃあ、明日か明後日にでも――」

「でもね、もう遅いんだよ。大晴」

「……え?」


 次の瞬間、抱きしめていた美羽の背中から、長い腕のようなものが飛び出す。

 そして、俺の首を締めてきた。


「――がっ!?」

「ごめんね、大晴。私、もう人間じゃないんだ」


 目の前にいるのは、幼馴染みの美羽じゃない。

 昨日、川原で見た怪物にそっくりの化け物だ。


「ねぇ、大晴。ここで、死んでくれる? そして、私たちと一つになろう?」

「ぐ……あっ……」


 だんだん意識が遠のいていく。

 俺はここで死ぬのか?


「やっぱりお前も影化かばけだったか」


 謎の人物の声が聞こえてきた。

 同時に、首を締めていた腕が切断される。


「ギャア!?」

「げほっ!」


 静かだった湖のほとりに、化け物の叫び声と俺の咳き込む音が響き渡る。

 気づくと、目の前には、昨日駅ですれ違った黒いスーツ姿の男性が立っていた。


「大丈夫か?」

「あ、あなたは……?」

「今はそれどころじゃない。とりあえず、話はあの影化けを倒してからだ」

「ま、待ってください!」

「おい、服を掴むな。離せ――」

「残念だよ、大晴。せっかく一緒になれると思ったのに……」


 化け物は、ぽつりとそう呟いた。

 その後、俊敏な動きで後ずさり、湖の中へと飛び込んだ。


「くそっ、逃げられたか」

「嘘だ、美羽が怪物だったなんて……」

「だから、言ったろ。村の住民に気をつけろと」

「そうだ! 親父とお袋が危ない!」

「残念だが、お前の両親もすでに――」


 俺は落ちている車のカギを拾い上げた。 

 それから、車に乗り、エンジンをかける。


「おい、待て! もう、無駄だ!」

「うるさい! 俺は行く!」


 俺は男の制止を振り切り、そのまま家まで車を走らせた。







「親父、お袋! 無事か!?」

「……遅かったな」


 家に帰ると、黒いベストスーツ姿の背の高い女性がいた。

 女性の足元には、血を流した化け物が二体倒れている。


「ま、まさか、そいつらは――」

「お前の両親だったものだ」

「よ、よくも、親父とお袋を!」

「よく見ろ。お前の両親はすでに影化けにされていたんだ」

「そ、そんな……」

「姉さん! この家はすでに影化けどもに囲まれてるぞ!」

「……そのようだな」


 目の前に、さっき俺を助けた男性が再び現れる。

 周りを見回すと、顔のパーツがない、黒い化け物たちが俺たちを取り囲んでいた。

 ざっと見た感じ、百体以上はいるぞ。


「姉さん、全力でこいつを守るぞ!」

「当たり前だ」


 二人はものすごい速さで、化け物の群れに突っ込んでいく。

 謎の女性は刀のようなものを振り回し、謎の男性は腕を獣のように変化させて、化け物たちをなぎ倒している。

 この調子なら、化け物どもを全部倒せそうだ。


「これ以上、同胞を殺すのをやめよ!」


 そのとき、化け物の群れの奥から誰かの声がした。

 同時に、化け物たちよりさらに巨大な、狼男のような姿をした怪物が現れる。

 ……待てよ。

 俺はこの声の主を知っている。


「もしかして、村長なのですか!?」

「大晴よ。おぬしはここに帰ってくるべきではなかったな」

「やはり、お前がこの影化けどもを生み出していたのか」

「おぬしらが機関のエージェントか。まさか、本当に存在するとはな」

「もう一度問う。お前がこの影化けどもを生み出したのか?」

「ああ、そうだとも。儂がすべて生み出した。いや、厳密には、儂の能力でつくり変えたというのが正しいがな」


 まさか、ここにいるのは全部村の人たちなのか!?

 ひょっとして、美羽も――。


「お前は影使かげつかい、いや、影人かげびとだな」

「そうだ。儂こそが影神様の血を引く影人である」


 かげつかい?

 かげびと?

 こいつらはいったい何を言っているんだ?


「決まりだな。お前を排除する」

「これを見てもそう言えるかな?」


 村長が腕を目の前に出すと、そこには頭を掴まれた美羽の姿があった。

 美羽は先ほどの化け物の姿ではなく、人間の形を保っている。

  

「美羽!?」

「おぬしらが同胞を殺すのをやめれば、この娘を解放してやろう」

「……俺たちにそんな手が通じると思うか?」


 その瞬間、俺は二人が美羽ごと村長を殺すつもりだと理解する。

 気づけば俺は、二人の前に飛び出していた。


「待ってくれ! 美羽を殺さないでくれ!」

「どういうつもりだ? そこをどけ」

「大晴……私のために……?」

「大晴よ、おぬしはとんだ大馬鹿者じゃのう」


 次の瞬間、俺は怪物化した村長に後ろから鷲掴みにされた。

 力がよほど強かったのか、掴まれた際に俺の右腕が吹き飛んだ。


「――ぐがっ!?」

「大晴!」

「影使いたちよ。この男が殺されたくなければ、武装を解除せよ」

「くそっ! ……わかった。言うとおりにする」

「今だ同胞たちよ! そやつらをバラバラにしてやれ!」


 村長の声を荒らげると、化け物たちは一斉に二人に襲いかかった。

 二人がいた場所からは、肉が引き裂かれるような生々しい音が聞こえてくる。


「や、やめてくれ……」

「はっはっは! 機関のエージェントも大したことないのぉ! この調子でこの世を儂らだけの世界につくり直してやろう!」

「やめろー!!」


 叫んだ瞬間、右腕が再生し、黒い剣のように変化する。

 俺は無意識に右腕をふるい、身体を掴んでいた村長の腕を切り落とす。


「な、何っ!? おぬしも影使いだったのか!?」


 俺はそのまま村長に切りかかる。

 だが、すんでのところで、俺の攻撃は村長に避けられた。


「死ねっ! 大晴!」


 ああ、今度こそ終わり――。


「ダメっ!」


 すると突然、美羽が目の前に現れ、村長の攻撃から俺を庇ってくれた。

 美羽は無残に切り裂かれ、その場に倒れ込む。

 

「美羽!?」

「まさか、美羽が儂を裏切るとはな。しかし、今度こそ終わりだ。ここで、美羽もろとも死ぬがよい」

「くそっ!」

「大晴よ。死ぬ前に答えろ。なぜおぬしは影の力を持っていたのだ?」

「――それはな、影神様の血がそいつにも流れていたからだ」

「っ!? ば、馬鹿な。おぬしらは確かに殺したは――」


 村長は最後の言葉を言い終わる前に、身体を一瞬でバラバラにされた。

 村長がいた場所には、無傷の男性と女性が立っている。

 辺りを見回すと、化け物たちの亡骸がそこら中に転がっていた。

 どうやら、この二人がすべて倒したようだ。


「お前の言う影神様は、かなりの女好きでな。全国の怪物を倒すたびに、現地の複数人の女性と関係を持っていたんだよ。おそらく、この村でもそうだったんだろうな。これが、こいつが影を使えた理由だよ。わかったか、爺さん?」

「よかった。二人とも無事だったんですね」

「私たちのことは気にするな。それより、今は幼馴染みを看取ってやれ」

「そうだ、美羽!」


 俺は倒れている美羽に近づいて抱き寄せた。

 美羽の身体はぼろぼろで、一部が消えかけている。


「よかった。大晴が無事で……」

「美羽。俺を助けてくれてありがとう」

「当然だよ。だって私は大晴の恋人だもん。大晴のためだったらなんでもするよ」

「俺も美羽のためだったら、なんだってする」

「じゃあ、最後に私のお願い、聞いてくれる?」

「ああ」

「あのね、大晴には私と同じ境遇にある人たちを救ってほしいの。……できる?」

「もちろんだ。約束する」

「あり……がとう……。私の恋人が大晴でよかっ……た……」

「……おい、美羽。なんで黙ってるんだよ? お前はこれから俺と一緒に都会で暮らすんだ。だから、死なないでくれ……よ……」

「……」

「美羽ーっ!!」







「一週間ほど前、稲本美羽からのタレコミがあったんだ。祖父の様子がおかしい、村の人たちを化け物に変えている、とな」

「私のことはいいから、もうすぐ帰省するかもしれない長塚大晴を最優先で保護してほしい。……これが生前の彼女の最後の言葉だった」

「美羽は気づいていたんですね」

「村の人たちを救えなくてすまない」

「あなた方に非はありません。謝らないでください」

「そうか……」

「……あなた方は影の化け物を退治しているんですよね?」

「そうだ」

「もしよければ、俺をあなた方の組織の一員にしてもらえませんか? 美羽との約束を守りたいんです」

「ああ、構わない。君の能力はきっと役に立つ。上には私から言っておこう」

「ありがとうございます」

「それじゃあ、これから新人歓迎会といこうか。ようこそ、影化け対策組織『大影神おおかみ』へ。俺の名前は、常磐木ときわぎめぐむだ。よろしくな」

「私の名前は、神崎かんざき和佳奈わかなだ」

「お二方、これからよろしくお願いします」


 美羽、聞いてるか。

 俺はお前との約束を守るぞ。

 もうこんな悲劇が起こらないように、全力で頑張るからな。

 だから、ずっと俺を見守っていてくれ。

 愛してるよ、美羽。

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