04.逢魔が時 後


 ハンターの界隈かいわいでは、吸血鬼については有名な話だった。何十年も前に滅んだと言われた魔族の一種で、太陽こそ嫌うが全てにおいて人間を凌駕りょうがする。

 吸血鬼に出会ったが最期、その者は死ぬしかないとまで言われている。


 例え、人類最強だ何だとうたわれる【S】級のハンターが挑んだとしても、倒せるかどうかも分からないという。何せ、吸血鬼を退治した過去の例などは皆無なのである。高位のハンターですら出会ったら手出しせずにすぐに逃げろと忠告されるほど。


 そんな最強の魔族だのと言われる彼らがどういうわけか、数十年程前からパッタリとその噂を聞かなくなった。

 内乱が起こって根こそぎ死に絶えたらしいと言う噂は、ジョシュアの耳にも入ってはいたが。実際がどうだったかは誰も知らない。不明のままだった。


 そのような事情もあって、吸血鬼の生態はほとんど知られていない。分かっているのは、彼らは闇に紛れ暗殺者のように音も気配もなく忍び寄り、ヒトの生き血をすするという事くらい。


 だというのに。ジョシュアの前にいる女がソレだと言う。信じられないような話だった。


「滅んだのではない、私達の為にのだ」

「!」

「秘密を知られたな。これで、お前をただで帰す訳にもいかなくなったぞ。私に、付き合ってもらう」

「っ!」


 楽しそうに微笑む女の何と美しい事か。ジョシュアは心底恐怖した。

 今にも襲いかかって来そうな気配に足がすくむ。ジリジリと、後退しそうな足に力を込め、汗のにじむその手のナイフを、力一杯握りしめた。


 女の言うその秘密とは、この女が吸血鬼を滅ぼしたというその事なんだろうか。そのような疑問をを頭の片隅に追いやりながら、ジョシュアは必死で生き抜く方法を考えた。


 けれども、いざという時にポンコツなジョシュアの頭では、これといった打開策だかいさくを考え出す事もできない。

 どうイメージして戦っても、八裂きにされるしかない。ジョシュアにはそんな未来しか思い描けなかったのだ。


 生きて、あの女性にどこかで再会するというのも当然無理な話で、どう転んでもジョシュアには獲物にされるような未来しか想像できなかった。

 やるもやらぬも結果は同じ。ならば相手の油断を誘いつつ時間を稼ぐ事。それが唯一、ジョシュアの出来る事であって助かる道。


 そう、信じて戦うしかなかった。ジョシュアはゴクリと生唾なまつばを呑み下しながら、必死でナイフを握りしめた。


 先に動いたのは女の方だった。

 不意に姿を消したかと思えば、背後に僅かに風を感じる。女が距離を詰めて来るのはジョシュアにも容易に予想ができた。


 神経を研ぎ澄まし、タイミングを見計らって右手で横に一閃する。

 その瞬間、微かに瞠目した女が飛び退く姿を捉えたかと思ったがしかし、瞬く間に女は再び姿を消してしまった。


 ジョシュアにはほとんど女の気配が追えていない。彼の勘と、微かに感じる空気の流れで体を動かしているのだ。極限きょくげんの緊張状態に、自然と息が上がっていた。


 察知して避ける、ことそれに関してはジョシュアの右に出る者はいない。それだけではあるが。

 お陰で色んな人間に怪我をさせてきた。恨まれもした。今更もう、死ぬであろうジョシュアには関係のない事ではあるが。


「何だお前、意外とやるじゃないか。カンが良いのか?」


 声がしたのは彼の左手後方だった。丁度ナイフの切っ先の届かない位置に、女はわらって着地していた。


 猫のようにジワジワと遊びながらなぶり殺す気であろうか。ジョシュアの頭にそんな嫌な考えが浮かんだ。

 しかし、ここで動きを止める訳にもいかない。彼は圧倒的弱者だ。考えるよりもまず、行動する以外に生き残る手立てはなかった。


 ジョシュアのナイフの攻撃範囲は、意外にも全方位に及ぶ。彼の僅かばかりの魔力を知覚に総動員して神経を研ぎ澄ませる。

 近接戦闘にならざるを得ないナイフの弱点も扱い方も、一応は熟知していた。相手の思い込みを突くのが、彼の戦い方だった。


 パワーの圧倒的に足りないジョシュアが相手に致命傷になる程の傷を負わせる事はまれだったが、タイミングを上手く当てる事くらいは、ジョシュアにだって出来るのだ。


 女の油断もまた、ジョシュアにとっては幸運であった。女の声にびくりと驚くフリをしながら、身体で手元を隠しナイフを持ち替える。ナイフを相手に敵がどう回避してどう出てくるのか、彼には経験から何となく分かっていた。

 それがこの女に通じるかは分からなかったが、ジョシュアはそれに賭けるしかなかったのだ。


 女が再び襲いくるその瞬間に、振り向きながら左手で再度一閃する。当たらないのは承知で、流れでそのまま背後に飛び退けば、随分と意外そうに服の端を眺める女の姿をその目の端にとらえた。


「服を切られたか……」


 裂かれたシャツの襟首えりくびを摘みながら、ポツリとこぼした女の声は、妙に呑気にも聞こえた。ジョシュアには余裕など一片たりともなかったが。

 そして突然、女は何かを思い付いたように声を上げた。


「ふむ、決めたぞ」


 そう呟いた女は、一度ジョシュアの事を見据みすえたかと思うと、次の瞬間にはその姿を消した。

 警戒を続けるジョシュアが咄嗟とっさに構えるよりも早く。女はあっという間にジョシュアを背後から羽交い締めにしてしまった。

 それは先程とはまるで比較にならない程の早業で、ジョシュアは全く反応すらも出来なかった。


 ギリギリと、大男おおおとこにそうされていると思える程の力で、関節やらを掴まれ押さえ込まれる。苦悶くもんの声を微かに上げたジョシュアに笑いながら、女はジョシュアの肩に顎を乗せた。


「お前は私のだ」


 耳元でそうささやかれてたまらず震えるも、ジョシュアにはもう抵抗すらできない。女の怪力に骨がきしんでいた。


 ジョシュアにが相手にできたのは、女に殺すつもりがなかっただけだと思い知らされる。

 圧倒的な力量差。出会ったが最期、例え助けが来ていたとて人間如き、この女をぎょせる者などいるはずがなかった。

 ジョシュアはいよいよ死を覚悟した。


「いっ――!」


 首筋に生暖かい風を感じると同時に、ブツリと皮膚ひふが喰い破られる。そのままジワジワと血の気が失せていき、ジョシュアはあっという間に気が遠くなってしまった。目の前がチカチカと白く明滅して何も見えなくなる。


「まぁ、男も飲めなくもないか――」


 胸から込み上げるような何かに耐えきれなくなり、ジョシュアはその場でとうとう気を失ってしまう。

 意識が落ちる直前、女の発した言葉がひどく他人事で呑気だった事にも、ジョシュアは気付けない。


 呆気なく、そしてつまらない人生だった。

 ジョシュアは嘆息して、来世はもっと楽な人生を生きたい、と漠然と思ったのだった。

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