おやおや、随分。
野原想
おやおや、随分。
「甘酒って、結構うま。」
自分の声がこの雰囲気に、似合っていた。
厚手のコート、袖から力の入っていない様な赤い指が一つの瓶を大切そうに持っている。深く吸い込んだ空気が冷たくて、その後に喉を流れていく甘酒がなんとも熱い。なんだ、今まで匂いでなんとなく飲んでこなかったけど飲んでみたら結構いけるじゃん。飲まず嫌いって、やっぱ損してるわ。今日飲まなかったらこの先の長い人生も損するところだったなんて、あっぶねー。
「ふふっ」
なにこれ、楽し。
ふっと溢れる笑いに誰も気づかない。
私だけの私の笑顔に、嬉しくなったりして。
視線は手元の瓶だけを見ていた。
顎に落としたマスク。冷えた口元に下からの湯気が当たり頬を撫でられる。
あ、今のおじさん長靴履いてた。
十二月、末日の裏路地。
小さい居酒屋に出入りする人や、神社への近道として通り抜けて行く人で割と賑やかだ。騒いでも許される夜というのは幾つになってもほんのり魅力的で気分を持ち上げてしまうものなんだろう。四段ほどの階段で子供が躓き、それを横にいたサラリーマンがさっと起こしてみせた。みどれというにも少し不恰好な水分が降り始め、人と人の肩がぶつかる。
「えー?そういう問題なのー?」と大きな声が耳に入ってくる。他の人は気に留める様子もない。きっと聞こえてすらいない。
アルコールを含んだサラリーマンの体から出るセリフはどうでもいいものしかなく、声量ばかりがデカくて困る。ゴツゴツとでかい革靴や普段履かないような少々サイズの合っていない女のブーツにさっきより白く色のつき始めたみぞれが落ちるのを眺めた。こんな絶好のシチュエーション。傘を持っている奴はただの馬鹿で持っていない奴はずる賢く生きていける人間。と勝手に決めつけてバカを見つけてはまた一口甘酒を口に含む。
右奥、気づかないふりをしていた居酒屋のラジオかテレビ。つらつらと誰かの声が聞こえてくる。そろそろ年が明けるらしい。
「ふぅ、ふぅ」
新年、あけましておめでとうの準備に忙しい人々を横目に私は甘酒が美味くて仕方ない。私の体温であったまっていた木のベンチから腰を上げ、後ろのおばちゃんに声をかける。
「お、おばちゃん、甘酒もう一つください。」
おばちゃんはニコニコと返事をした後で「サイズどれにするね?お嬢ちゃんがさっき飲んでたのは一番小さいやつだよ。」と教えてくれた。ポケットに手を突っ込む。冷えた手の平に乗ってきたのは百六十円。
「えっと、お金、これしかなくて・・・。」
らしくもなく口がごもる。おばちゃんは私の手の中にある小銭を数えて「これならさっき飲んでいたのより一個大きいのが買えるね。うちは安くて熱くて美味いが売りだからね。」と口角を上げて言う。
「じゃ、じゃあ、それで、お願いします。」
「あいよ。」
渡された瓶の甘酒は、さっきのよりもう少し暖かくて誰かの体温を懐かしく愛おしく待ち遠しく想ったり、なんて。
「おやおや、随分満喫してるじゃないか。」
「・・・っせーよ。」
座っている私を見下ろす萃は一口よこせと言わんばかりの目をしていた。まぁ、長い前髪で目なんかあんまり見えてないけど、なんとなくわかるとか、そういうやつ。
「神社、早く行くぞ。寒くて敵わん。」
「あったけーもん飲んでんじゃん!」
「お前が待たせるからだろ。」
「ごめんて、じゃ、いこ。」
差し出された手にほんの少しだけ指をかけて立ち上がる。少し歩いたところでそばの背中を見て一度、振り返る。
「おばちゃん、ま、また来ます。」
「あいよ、行ってらっしゃい。」
私の愛した、指先の温かい末日の路地裏。
おやおや、随分。 野原想 @soragatogitai
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