第49話 末妹は小悪魔に抱き着く
ここで……
白羽のストーカーに対する嫌悪は妥当な感情だったはずだが、今回の時雨に対するモヤッとした不満はその限りじゃない気がして、戸惑う。
……紅羽からの好意に、まんまと揺らがされてしまっている自分が、どこかにいるんじゃないのかと。
リアクションに困った末、ぎこちなく「……う、うん」とだけ頷いていた。
……なんか、紅羽からの特別扱いに、めちゃくちゃ照れたみたいな反応になってしまった。
これはこれで恥ずかしすぎる!
「そ……、それより、さ! ……紅羽が好きな洋菓子店って、なんて名前だっけ?」
話題転換した。
ついでに、紅茶を飲むためを装って、そろりと紅羽の手から逃れる。
「洋菓子店ですか……? どうして急に?」
「今度、紅羽の好きなクレームブリュレ買ってこようかと思って。今朝の、ほんとに助かったから」
一生分を捧げられるほどの財力は生憎ないので気持ち程度ではあるが、やはりなにか返したい。
紅羽はぱちぱちと目を瞬かせ、こてんと小首を傾げた。
「ご褒美……ってことですか?」
「ご褒美……いやまあ、お礼に。日頃から食事つくってくれてるのもあるしな」
とはいえ紅羽だけに、というわけにもいかないし、白羽にも買ってくるつもりだが。……そうなると母さんにも要るかな。
などと考えを巡らせていたら、紅羽が戸惑うような、複雑な表情を浮かべていることに気づいた。
てっきりほほ笑んでくれるかと思ったんだが。
「ん……? もっと違うスイーツがいい?」
「あ、いえっ、そうではなくっ……。おにぃちゃんのお気持ちはすごく、ありがたいです。……ただ」
「ただ?」
「白羽姉さんになら、いいんですが……。わたしには、あまりお金を使わないでほしいんです」
……なんとも意外なお願いをされてしまった。
恐縮してしまう……んだろうか。
友人たちとはすぐ奢るとか奢れとか言い合っているからちょっとびっくりはしたが、奢られるのが苦手なタイプがいるのもわからなくはない。
「ご褒美は、ものじゃないほうがうれしいです。たとえば」
「……た、たとえば?」
またとんでもないことを言い出すんじゃないかと、経験上、自然と身構えてしまった。
……が。
「し、叱る……、とか……」
紅羽は恥じらうように頬を紅潮させて、ものすごく小さな声で、たしかにとんでもない要求をしてきた。
目が点になる。
「いや……。叱るのはご褒美にはならねえっていうか、むしろ罰だろ……」
ついマジレスしてしまった。
前から感じてはいたが、紅羽、妙に叱られたがってる節ない?
悪ふざけが好きな小学生男児でもあるまいに……。
なんだかおかしな扉を開いてしまっていないかと、ちょっと心配になってくる。
「そ、それもだめならっ、……頭を、撫でる……とか、……だ、抱きしめるっ……とか……!」
紅羽はさらに真っ赤になって、縮こまりつつやっと真っ当な提案をしてきた。
しかも全部、俺がした覚えのあることだ。
「わたし、男の人に叱ってもらったのも、頭を撫でてもらったのも、……抱きしめてもらったのも、全部……おにぃちゃんがはじめてだったんです。それがすごく、うれしくて……」
……全部、俺が、はじめて。
甘美な響きに感じられなくもないが、それよりも、やはりまだ会ったこともない父親の影が、心に差した。
本来ならすべて、幼少期に経験しておくことのはずだ。
褒めるのも叱るのも、保護者がしてやるべきことのはず、なのに。
「だ……だめっ、ですか……?」
反応を示さない俺を、紅羽が不安げに見つめてくる。
この表情が計算じゃないことはわかっていても、あざとさを感じるほどに可愛くて、……そして
「……だめじゃない。紅羽にとってご褒美になるなら、いいよ。おいで」
椅子から立ち上がって、優しい調子で紅羽を呼んだ。
なにも意識せずに、軽く抱き寄せて、よしよしと頭を撫でてあげよう。
あくまで、兄が妹を健全に愛でる感じで、幼い子どもにしてやるみたいに自然に。
……うん。できるできる。楽勝だ。実際にやったことあるし。
イメージトレーニングを済ませ、ごくごくスムーズに、こちらへ歩み寄ってきた紅羽の身体に、両腕をまわそうとして────
そして俺を見上げた紅羽と、目が合った。
頬を上気させ、瞳を揺らし、余裕なさげな表情で期待と緊張を伝えてくる──紅羽と。
「……………………」
「……………………」
その瞬間。
俺は直感的に悟った。
いまの彼女を抱擁するのは、なんか、よくわからないがとにかく途轍もなく危険すぎる──と。
即座に両腕の動きをキャンセルする。
そして代わりに、紅羽の小さな頭をなでなでなでなでなで……と撫でくりまわしてやった。
「っ……い、いまの流れは、ハグじゃないんですかっ?」
「は、ハグじゃないですね! よしよしよし!!」
だって無理だろ!
あんな……ものすごく女の子です!って感じの顔されたら!!
しかし、期待させておいて肩透かしを喰らわせるなんて、不誠実だったかもしれない。機嫌を損ねてしまっただろうか。
撫でる手を緩めて、俯きがちになった彼女の反応を窺おうとした時、だった。
「おにぃちゃん……っ」
────ぎゅうっ、と。
真正面から躊躇いなく、抱き着かれた。
俺が撫で回したせいで少し乱れた髪と、俺の胸の隙間から覗く、潤みを帯びた瞳にまた捕まる。
ドクッと心臓が跳ねた。
機嫌を損ねているどころか、紅羽は悪戯っ子のような笑顔を浮かべ、動揺する俺をじっと見つめていた。
「おにぃちゃん。もしかして、昨夜わたしを抱いたこと、思い出しちゃいましたか……?」
「っ…………」
まるでからかうような囁き声で言い、紅羽は俺の身体の形でも確かめるみたいに、すりすりとさらに密着度を上げた。
むにゅりと、硬めの生地に包まれた柔らかな弾力が、腹の上あたりを執拗に押し返してくる。
昨夜はぬいぐるみが遮断してくれていた、そのたしかな存在感に、下手に身動きが取れなくなった。
「っ、紅羽、待……っ」
「おにぃちゃんによしよししてもらえるだけでも、とーっても幸せな気持ちになりますが……。次はちゃんと、わたしを抱いてくださいね……?」
甘ったるく焦がれた声と笑みに、密着のせいでただでさえ騒がしい鼓動が、早鐘を打った。
そういう意味じゃないことは頭で判別できるのに、そして狙って仕掛けてきていることもじゅうぶんに理解しているのに、それでもありあまる可愛さと
攻めるモードに入った彼女から逃れるなんて、不可能だ。
────っ、いや。
だめだ。
この子は血が繋がらないとはいえ俺の妹で、家族で、そして──俺はこの子に、恋愛感情なんていだいていない。
仕掛けられるがまま流されるわけにはいかないだろ!! 兄貴として!!
兄としての自我で以て頭を冷やし、距離を取ろうと紅羽の肩を掴んだタイミングで、玄関のほうからカチャリ……と控えめすぎる音が聞こえた。
それがドアの開いた音だと理解するより先に、パッ、と紅羽が俺から離れる。
「このドアの開閉音の小ささは、白羽姉さんですね。わたしお出迎えしてきますねっ、新妻のようにっ」
紅羽は満足げに笑いを零し、パタパタと楽しそうにリビングを出ていった。
数秒後、玄関先で「おかえりなさいっ」と白羽を迎える、紅羽の弾んだ声を聞きながら。
……脱力した俺は、ガックリと崩れるようにテーブルに腕を載せて項垂れた。
脈拍が荒ぶっている。あわや敗北寸前だ。
理性はギリギリ手放さずに済んだ──それは本当によかった、けど。
「か……っっっ」
かわっ、可愛っ…………いや心臓に悪〜〜〜〜!!
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