第37話 長妹は想いが溢れる

 白羽しらははそう震えた声を零すと、口元だけでなく顔全体をぬいぐるみに埋めてしまった。

 それでも耳の赤さまでは、隠しきれていない。


「そっ、……そう? あ、ありがとね……?」

「……っ……」


 あ、ありがとね……?てなんだよ、俺!

 と自分のリアクションの下手さにツッコみたくなったが、それ以外に、どう返せばいいのかわからなかった。

 しかもいつになくはしゃいでしまった自覚があるので、こちらもちょっと気恥ずかしさが込み上げてくる。


 落ち着かなくなって視線を横に滑らせると、レバーの隣の液晶が、1を表示していることに気づいた。

 ……あ、そうだ。

 一回で獲れちゃったから、まだワンクレ残ってるんだった。


 自然と、ディスプレイとして置かれた他の種類の景品へと目を向けながら白羽を呼ぼうとした時、


「ね……ねえっ、陽富ひとみくん」


 落ち着いたらしい白羽が、ぬいぐるみから顔を上げて先に俺を呼んだ。

 

「ん?」

「もう一個……獲れない、かな……?」


 そう言って白羽が控えめに指さしたのは──ディスプレイに飾られている、同シリーズのうさぎのぬいぐるみだった。

 まるで以心伝心したみたいで、思わず顔が綻ぶ。


「俺も同じこと考えてた。せっかくだし、紅羽くれはのぶんも欲しいよな」

「うんっ……! で、できれば、陽芽はるめさんのも……」

「いや、母さんにはいいんじゃないかな……」


 そりゃめちゃくちゃ喜んではくれそうだけど、四十過ぎの母親のためにぬいぐるみを獲るのはなんかちょっと恥ずかしい。

 娘の立場なら抵抗ないのかもしれないが……。なにか贈るにしても別のものがいいな……。

 そんな話をしつつ、早速ゲームコーナーを見回っていた店員に声を掛けて、指定したうさぎのぬいぐるみを初期位置にセットしてもらった。


「白羽、今度はひとりでやってみる?」

「わ、私はだめっ、どきどきして動かせない……。陽富くんがして? お金は出すから……!」

「責任重大だな……。お金はいいよ、たぶん足りるはずだし」


 景品をゲットしてしまっているから、確率もリセットされているだろう。

 先程とは違い長期戦は免れないが、滑る素材なわけでもないし、おそらく多くて十回……運が悪くても十五回くらいくり返せば、獲れるはずだ。


「でもっ、私も、紅羽にあげたいなって思ってるから……っ」

「んーそっか、じゃあ半分お願いしていい?」

「うんっ!」


 提案しといてなんだが、もっと責任重大になった。

 妹と折半となると最小限の出費に抑えなければいけない。

 とりあえず最初は五百円ぶん連続投入することで六回ぶんのクレジットを追加し、地道に取り出し口のほうへと景品を寄せていく。

 クレーンゲームに慣れている俺はまあこんなもんだよな〜と思っていたが、白羽は景品を掴みそうで掴んでくれないアームにかなりハラハラしてしまうらしく、毎回力が入っている。

 この子、絶対一人称視点のレースゲームで身体が左右に揺れちゃうタイプだ。


「い、いざとなったら、ATMで預金引き出してくるからね……っ!!」

「それはガチやばいな」


 妹の貯金をクレーンゲームに注ぎ込むクズ兄貴に成り下がるのだけはいやだ。なんとしてでも予算内で終わらせなければ。

 言ってしまえば似たものを定価で買えばいい話なのだが、いまそれは野暮というものだ。


 プレイ中、横目で確認すると、白羽はぬいぐるみを抱きしめてむうっと真剣な顔でアームの動作を見届けている。

 一回目とは違い、絶対に手に入れたいという意気込みが伝わってくる。

 その様子についフッと笑いが漏れてしまった。


「ど、どうしたの?」

「いや……うん。白羽、妹想いでいいお姉ちゃんだなと思って」


 先程も紅羽のために髪飾りを買っていたし、紅羽の話をする時はいつも優しい顔をしているし、とても愛情深いのがわかる。

 俺がどれだけ善い兄であろうと努力を尽くしても、彼女たちの純然たる絆には到底敵わないだろう。

 もちろんそれは俺にとってむなしいことではなくて、むしろ、とても喜ばしいことだ。


「紅羽のこと、ほんとに大好きなんだな」


 笑いかけると、白羽は驚いたように顔を赤らめたが、


「うん……っ。大好き……」


 そのあと、とろけそうなほど柔らかな笑顔で頷いた。

 どこまでも正反対なのに、たまに見せる小悪魔な一面や、こういうふにゃふにゃの笑顔はそっくりなふたりを、家族の一員として見守っていられるならこんなに幸せなことはないと思う。

 揺るぎない、保護対象である。天使すぎるので。


「……マジで天使だな……」


 それはもう、しみじみと呟いてしまうレベルだ。

 俺がほぼ無意識にぼそっと落としていた独り言に、白羽はまた驚き、目をぱちぱちっと瞬かせた。


「てっ……てんし?」


 やばい。

 つい声に出てしまったのだが、ふつうにばっちり聞こえてたらしい。

 気持ち悪がる……ような子ではないのはもうわかってるけど、戸惑わせてしまったかもしれない。

 ……でも本心だし、褒め言葉なのだから、ここで否定するのも違う気がする。


「……うん。天使だと思ってる」

「っ…………」

「白羽は、──天使だよ」


 あえてしたその言い回しには、嫌がらせの犯人への挑発心も、多少含まれていた。

 やっぱり白羽は、お前なんかの、天使じゃない。

 低俗な嫌がらせをするような矮小なやつに、うちの大切な白羽を好いてほしくない、とさえ思う。


 白羽は俺の、俺だけの、守るべき可愛い義妹なのだから。


 そして、────もうひとつ。



「……はじめて会った時も、白羽のこと天使みたいだって、ほんとに思ってた」



 ……いまこのタイミングなら、たしかめられる気がした。


 白羽が目を瞠り、静かに息を呑む、のがわかった。



「も、もしかして……、憶えて……る……?」



 期待するように、しかし同時に不安げに、白羽がおそるおそる尋ねてくる。


 やっぱり、と思った。



「憶えてるよ。──去年の夏、会ってるよな、俺と白羽」



 紅羽に告白された先週の金曜日までは忘れてしまっていたから、あの夏の日に白羽とどんな会話をしたか、すべては思い出せない。

 けれど断片的には、憶えている。

 というか、土曜日にうちにやってきた白羽を見た時に、思い出したのだ。



 ※ ※ ※



 去年の夏、あれは殊更強い日差しに照らされた時間帯だった。

 俺が生徒手帳を拾ったのは人気ひとけのない廊下で、顔を上げてみると、真っ白なセーラー服に身を包んだ女子中学生が少し離れた先を歩いていた。

 高校見学に来た受験生かと思いつつ、俺は生徒手帳に記されていた名前を呼びかけた。


 すると、黒髪を揺らして振り返った彼女は。

 ──その時なぜだか、ひどく、悲しげな表情を浮かべていた。

 それはまるで親とはぐれて迷子になってしまった、幼子のようで。

 けれど彼女の白い肌や伏せられた長いまつ毛が、窓から射し込む強い陽光に透けていて、──意識を奪われてしまうほど、神秘的な光景に映ったのを憶えている。


 ──『自分の名前……、あんまり、好きじゃない、から』


 俺から生徒手帳を受け取った彼女は、俯き、忌むようにそう暗い声を落とした。


 ──『天使とか、そういうイメージでつけられたんじゃないの?』

 ──『て、天使は…………』

 ──『? ……でも、俺は綺麗な名前だなって思ったし、ぴったりだと思うよ』

 ──『……どうして』

 ──『どうしてって……さっき、君が振り返った時、日差しに照らされてるのも相まってなんかすごい、神々しく見えたから。──それこそ』

 ──『……………………』

 ──『天使──みたいだなって、思ったくらい』

 ──『……………………』


 彼女は前髪の隙間から見える大きな猫目を丸くし、言葉を失っていた。

 なに言ってんだこの人、と思われたのかもしれない、とその時の俺は思った。

 口にした直後に自分でも、なんで彼女いる身で受験生を口説いてんだよと内心でツッコんだくらいだ。


 でも、誓って、他意はなかった。

 こちらとしては、俺よりも随分と浮かない顔をしていたから元気を出してほしいとか、こんなに可憐な容姿なんだからもっと自信を持てばいいのにとか、それくらいのありきたりな感情で口にした、本心だったのだ。

 幼い子どもみたいに泣きそうな顔をしていたからか、年齢がひとつ下の女子、というよりは、小学校低学年くらいの女の子を相手にしている気分だったかもしれない。

 とても可愛らしい彼女が、どうしてそこまで自分を卑下してしまうのか、俺には全然わからなかったから。



 あの日の印象は、白羽が俺の妹になったいまでも──あまり変わっていない。



「……わっ」


 去年のことをぼんやりと思い返し、ついでにその頃かなり落ち込む出来事があったことも思い出しながら、何度目かの決定ボタンを押した。

 アームがぬいぐるみ目掛けて降りていくのを見守っていると、ふいに、トンッと腕のあたりに軽く白羽がもたれかかってきた。

 ぎゅうっと、俺のシャツの袖を小さな手で掴んでいる。


「ん? 白羽?」

「…………っ」


 疲れてしまったんだろうか。

 そういえば、しばらく立ちっぱなしだもんな。

 ぬいぐるみ獲れたら、どこか座れるところで休憩するか、それか近くのベンチで待っていてもらうか……。


 なんて、そんなことを考えていた俺の耳を、



「っ……陽富くん、────好きっ……」



 周囲のにぎやかな電子音に紛れて、白羽の消え入りそうな声が──小さく掠めた。

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