カフェ・アイリス メロンソーダなアラモード

Tempp @ぷかぷか

第1話 メロンソーダ?

 樫の木の少し重いドアをキィと開ければ、今日もカフェ・アイリスには芳醇な香りが漂っていた。

 このチョコレートっぽい香りはエチオピアの……多分ハラー?

 そう思って『本日の珈琲』を見るとカファだった。惜しい。


 でも私がコーヒーを飲むようになったのは、この神津こうづ北公園通りにひっそりと佇むカフェ・アイリスに通うようになってからだ。だからまあ、そんなに日は経ってないし、全然有り。それで早速『本日の珈琲』を頼もうと口を開こうとした時、私の推しマスターの笹川ささがわさんと目があった。

吉岡よしおか様。よろしければ本日はメロンソーダは如何でしょうか」

「め、めろんそーだですか?」

「吉岡様がこれまでジュース類を注文されたことがないとは記憶しているのですが、今回はサービスに致しますので」

 お、おう。マスターのお勧めであれば私は何でも飲みますとも!

 何故ならば私が『本日の珈琲』ばかり頼むのは、最初にきたときにマスターが『本日の珈琲』をおすすめしたからですので! なんならこれから毎日メロンソーダでもよろしいですよ!

 という気持ちはとりあえずおいておいて。

「はい、それでは是非」

「どうぞ。お口に合えばよろしいのですが」

 マスターが作ってくれた飲み物が口に合わないわけがないじゃないですか!


 そういえば言い忘れていたような気はするが、私はマスター推しでほぼ毎日のようにこのカフェ・アイリスに通っている。とはいえ別にマスターを狙っているわけではない。そんな烏滸おこがましい。

 私はこの、なんだか時代に取り残されたような喫茶店に泰然と佇むオークの一枚板のカウンターのような渋さに溢れているけれども、なんだかちょっとかわいい60代のマスターを愛でているだけでそれで満足なのだ。

「どうぞ」

 プチプチと泡のはじける明るいグリーンの液体に口をつける。

 うん、普通のメロンソーダ! 普通の……。

 なんとなくマスターの香り高い珈琲を飲み慣れた私にとっては、ちょっと物足りない。そう考えると私はマスターの味に馴染んでしまっているのだな、それはそれで自己満足感が凄く高い……。けれどもマスターは私をじっと見つめている。それはそれで萌えキュンなんだけど。

 こういう場合は忖度せずに正直に話したほうがいいよね。

「えっと、普通にメロンソーダです」

「そうですよね」

 ……間が持たない。


「あの、何かメロンソーダに問題が?」

 マスターは少し考えるように首を傾けた。萌え。

「私が若いころには、若い女性のお客様は皆様メロンソーダやクリームソーダをご注文頂いておりました。けれども最近はほとんど出なくなってしまって。炭酸ものですから一度開けてしまうとなかなか保たないのですよね。それでメニューから外してしまおうかと悩んでおりまして」

「な、なるほど?」

 マスターの若い頃とか! 妄想たぎる。

 それはそうとしてメロンソーダ、か。私は別にメロンソーダが嫌いなわけじゃない。けれども別に、わざわざ高いお金を出して喫茶店で飲もうとは思わない。だって自販機で売ってるもの。

 そしてクリームソーダは明確に嫌いだ。私は珈琲を飲むときでもブラック派だ。クリームソーダはなんていうか、あの時間が経つにつれてバニラアイスがソーダに溶け出して、なんだかもったりしたというか中途半端な味になっていくのがどうにも我慢できない。出されて速攻で食べてしまってもあの白いのがちょっと残ってしまうわけだし、それなら別でアイスを頼みたい。

 つまり私にこれを聞くのは完全にミスディレクションなのだ。


「私にはよくわからないですけど、なんといいますか私は折角喫茶店に来たのなら珈琲を飲みたいな、と」

「ありがとうございます。喫茶店冥利につきます」

 マスターのほのかな笑顔に昇天しそうです。

 でもメロンソーダかぁ。そもそもメロン成分は色しかないよね。昔はメロンは高価だったから流行ったのかな。それともこのどぎつい緑色? 紡錘形のカップをなでながら、どうしたものかなと思う。

「そうですねぇ、最近はインスタ映えとかありますから、やっぱり綺麗な色は流行ると思うんですが」

「いんすたばえですか……」

 そう思って店内を見回す。ここはおしゃれなカフェではなくオールドクラシカルな落ち着いた喫茶店なわけで、それはそれでインスタ映えはするといえばするのだけれど、オシャレ感の方向性は少し違う気がする。


「吉岡様はその、いんすたばえのする喫茶店にはよく行かれるのでしょうか」

「え、ええまぁ。たまには」

「あの、もしよろしければ……そのいんすたばえのするメロンソーダのある喫茶店に連れて行っては頂けないでしょうか。誠に恐縮なのですがその、流行りの喫茶店というものに興味はあるものの、一人では入れなくて」

 固まった。

 それは、それはひょっとしてデートのおさそいなのでせうか!!!!!?

 マスターの少し恥ずかしそうなもじもじする表情は何だかとても唆る。

「あの、やはり駄目ですよね。申し訳有り」

「だだだだだだだ大丈夫ですッ‼‼‼ 光栄でありますッ!」

 思わず固まってしまって返事を怠ってしまい申し訳有りませんッ!

 ホッとした顔のマスターがまた萌ゆ。

 ええとそうすると、どうすればいいんだ?

 万難を廃してマスターの役に立つカフェを探さねばならなぬ。

 家に帰る途中の本屋でこの神津のカフェブックを買った。ここからもっともマスターのお役に立てそうなカフェを探すのだ! マスターはご高齢であられるから、おそらくカフェの梯子は難しいだろう。となれば私がこの本の中にあるカフェのなかで面白そうなメロンソーダのある店を片っ端から巡らねばならない。

 フンス!


 そこで私は友達を呼び出して片っ端からカフェ巡りをした。

 もちろん私はそんなにメロンソーダを飲めない。そもそも好きなわけではない。がぶがぶになってしまう。だから私は1番小さいカップのエスプレッソショットを頼んで友人が頼むメロンソーダを一口だけもらうのだ。

 10店舗も周る頃には私はちょっとイガイガしていて、友人はブクブクしていた。

 だが友人の貴重な犠牲によって私はとうとうマスターと訪れるカフェを一つ選びぬいたのだ! いろいろな要素が詰め込まれたものがいいかと思って。

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