初ツーリング(後編)
結局、セイコーマートから先は真希が先頭、凛子は同じく二番目で美佳が殿に付く形となった。
国道から逸れると道幅が狭くなり、カーブが連続する道が始まる。
真希は美佳と対照的にスピードこそさほど出さないが、プジョーの小ささを活かしてワインディングを軽やかに駆け抜けていく。
「真希の走りはスムーズで後ろに付いていて安心感があるね。」
「なるほど、曲がり始めるまでにブレーキを終わらせて、カーブの真ん中を過ぎてから加速するのか。」
「なんだろう、そもそもブレーキをあまり踏まない……エンジンブレーキとブレーキの使い分けが上手?」
凛子は真希のドライビングを観察してつぶやいた。
駆動方式や車のパワー、車重が違えば走らせ方も違ってくる。
半日の短いドライブからもさまざまな学びを得て、凛子はドライビングへの理解と興味が一層深まった。
日が落ちる頃、三人はようやく登別温泉の宿に到着した。
温泉で長いドライブの疲れを癒したいところだが、まずは夕食からだ。
三人は部屋に荷物を置き、浴衣に着替えて食事処へと向かった。
店内は落ち着いた照明と間接照明によって柔らかく照らされており、静かな時間が流れていた。
食事の最初は、道南産の真イカの刺身から始まった。
透き通るような白身は、口に入れると甘みとともにほんのりと海の香りが広がり、三人を一瞬にして海の世界へと誘い込んだ。
続いて、オホーツク産の帆立と道央産の野菜を使用したサラダが運ばれてきた。
帆立の甘みと食感、そして野菜のシャキシャキとした食感と新鮮な味わいが一体となって、口の中で爽やかなハーモニーを奏でた。
「うわぁ、これ見て!」美佳が声をあげた。「ホタテ、デカすぎるでしょw」
凛子と真希も笑顔でうなずいた。一口食べると、ホタテの甘みと海の香りが口の中に広がり、一瞬で彼女たちを海辺に連れて行った。
メインの一つ目は、道央産の豚肉を使用した豚汁だ。
具材には、道南のじゃがいもや道央の人参など、北海道各地から集まった新鮮な野菜がふんだんに使われており、素材の旨味が溶け出したスープは、体の芯から温まるような深い味わいだった。
「豚汁とは意外な……ああ〜、でもなんか落ち着く味だ。」真希がほっとした表情を浮かべる。
「これはもうごちそう豚汁だね。」凛子もうなづく。
メインの二つ目は、道北産の羊肉を使ったジンギスカンだ。
特製のたれとともに焼かれた羊肉は外は香ばしく中はジューシー、その豊かな香りと味わいは三人を魅了した。
一方、同じく道北産の野菜は、肉の脂をさっぱりと引き立ててバランスの良い一品となっていた。
「美味しい…。」凛子が感激の声をあげる。
「美味しい!」美佳は頬張りながら満面の笑みを浮かべた。「こんなに美味しいもの食べたの、久しぶりだよ。」
「ほんと、柔らかくてスーパーで買う冷凍ジンギスカンとは別物だね。」真希も同意した。
そしてデザートは、小樽産のクリームチーズを使ったチーズケーキだ。
濃厚ながらも後味スッキリのチーズケーキは食事の締めくくりにふさわしい一品となり、三人の満足そうな顔がそれを物語っていた。
◇
食後、大浴場の湯船でリラックスしながら、三人の話題は次第に日常の話題に移っていった。
「そういえば、凛子、あの後、中間テストの結果はどうだったの?」真希が興味津々で尋ねた。
「ええと、まぁ、なんとかなったよ。一部読みが外れたけど、まずまずだったかな。」凛子は笑いながら答えた。
「美佳はどうだった?」凛子が振り返すと、「ギリギリだったけど、なんとか合格。」美佳は手を平に出して小さく一回転させる仕草で示した。
会話はさらに続き、美佳の高校時代の話に移った。
「美佳、SNSとかやってたんだよね。」真希が興味津々で尋ねた。
「うん、高校時代は結構やってたな。読者モデルとかカットモデルとかもしてたからフォロワーも多かった。でも、前にも言ったけど、大学進学のタイミングでアカウント消したんだよね。」美佳は伏し目がちに頷いて語った。
「なんでアカウント消しちゃったの?」凛子が尋ねた。
美佳は少し考え込んだ後、ゆっくりと言葉を選びながら答える。
「うーん、時々変なメッセージが来たりしたし、こうやって新しい世界に飛び込んだのにそれを引きずりたくなかったんだよね。だけど、変なメッセージきたときは私も対策してた。」
「父の休日の写真を時々ストーリーに載せたり、あんまり酷いメッセージだと送ってきた人に直接送ったりしてた笑」美佳は笑いながら続けて答えた。
「え、美佳のお父さんって何してるの?」真希が興味津々で尋ねると、美佳の笑みが一瞬固まった。
「うーん、父はね、公務員なんだけど…」彼女の声は、ちょっとした迷いを含んでいた。
「実は……」美佳は言うべきかどうかを内心で問いかけ、口を開けたまま、一瞬だけ言葉を途切れさせた。
そして、小さく深呼吸をし決意を固めた。
「空自の隊員なんだ。」その言葉は、彼女が普段見せるクールなイメージよりもあたたかな調子で、ほんの少し照れくさそうに聞こえた。
「各務原基地に勤めてて、かなり鍛えてるし、すごく屈強だからさ。」美佳がにっこりと笑いながら答えた。
「え、そうだったの?!」凛子と真希が同時に声を上げる。
「だからさ、変なメッセージが来たら、すぐに父に報告して、父の写真を投稿してたの。ジムで筋トレしてる様子とか送ってもらって笑」美佳は少し照れくさそうに笑い、語った。
「それなら、変なメッセージ送る人も躊躇するね。」凛子が言うと、真希も「そりゃそうだわ。美佳、あんた、賢いわね。」と大笑いだ。
◇
大浴場から上がった三人はホテルのラウンジへと移動した。
暖かな照明が木目調のテーブルと椅子に優しく灯り、窓の外には地獄谷の静寂が広がっていた。リフレッシュした三人は冷たい飲み物を手に、新たな話題に突入した。
「じゃあ、次は何について話す?」真希が問い掛けると、美佳がニヤリと笑った。
「それならやっぱり、車の話でしょ。」美佳の提案に、凛子と真希は思わず笑った。
「美佳、あんたのビーエムさっき座ったらいい匂いがしたよね。なんのフレグランス使ってんの?」
「おっ、気づいた?このあいだSNSで話題になってた都内の新しいブランド。オンラインショップ見たらカーフレグランスも扱ってて注文しちゃった!」
「結構高そうだな……でもいい香りの車内で音楽も掛けてドライブって最高よね〜。」
「そうそう、オーディオのことなんだけど、美佳の車はタブレットでナビできるようになってるんだよね?」
「そうね、タブレットを固定できるオーディオに交換してもらったのよ。」
ジェミニに乗るようになってから、凛子の目下の関心は古びたオーディオのことだ。
「いいなあ。わたしの車、オーディオがちょっと古くてさ。それはそれで雰囲気に合ってるから気に入ってるんだけど、スマホ繋げないのはやっぱり不便だよ〜」
「カーオーディオってスマホ繋げるだけでいいなら意外と安かったわよ、ほらこれとか。」
美佳が見せた通販サイトでは、ラジオとUSB、Bluetoothでスマホが接続できるシンプルなオーディオが五千円程度で販売されていた。
「え!一万円もしないくらいで買えるんだ!?これなら帰ったら注文しようかな!」
「私はやり方が分からなかったから、取り付けもお店に頼んだら結構掛かっちゃったな。真希できない?」美佳は真紀に雑に振った。
「まあできると思うけど……あたしのプジョーもスピーカーがボロくなってカスカスな音しか出ないから、そしたら今度一緒に交換しましょ!」
「うわああ美佳も真希もありがとう〜、オーディオ買ったら教えるね!」
その後は、美佳が最近試した韓国製のシートマスクやヘアトリートメントについて熱く語り、元モデルのスペックを発揮して芋娘二人を圧倒するなどして夜は更けていった。
◇
翌朝、三人は早起きして朝風呂に浸かり、その後朝食バイキングを楽しんだ。
美佳は昨晩も白米をおかわりしたというのに、朝食も凛子が食べ終わるまでに寿司を三回取りに行った。
「いやあ、さすがにおなか一杯、これで一週間は食い溜めできたかしら。」
「リスじゃあないんだから……帰り道だけど、海沿いの道を通って苫小牧経由で帰るって話だったよね?」
「あ、わたしお土産買っていきたいな〜」
「そうね、じゃあチェックアウトしたら各自の買い物とか済ませてから出発しましょ。」
チェックアウトと買い物を済ませた三人は、それぞれの車に乗り込み登別温泉を後にした。
帰路に選んだ海岸沿いの道は実に単調だ。
日曜日ともなるとそれなりに車列はあるが、昨日の刺激的なドライブと対照的な緩やかなロード・ゴーイングもまた独特の心地よさがある。
苫小牧を過ぎたころ、真希からグループチャットにメッセージが届いた。
「さもぱで休憩しよ」
サーモンパーク千歳、名前と裏腹に目を引くような施設があるわけではないが、場所の分かりやすさからツーリングの休憩場所では定番だ。
三人は車を停め、トイレを済ませたりコンビニで飲み物を買い、この土日で何度目かのクルマ談義に花を咲かせる。
「で、昨日走って思ったけど、タイヤってそんなに違い出るのかしら?」
「タイヤ?何か問題あるの?」
「うーん、問題っていうわけじゃないんだけど、ちょっと硬いかなって思うのよね……」
「ネットじゃフランス車は壊れるって意見ばっかだけど、思ったより全然壊れないわね。」
「そもそも壊れたら部品とかどーすんの?」
「それがね、ネット見てたら海外の通販で……」
「わたしもそろそろメンテナンス出した方がいいのかなあ?」
「凛子の車ってどこにメンテ出してるの?」
「南幌に内藤自動車っていう整備工場があって、そこの内藤さんがお祖父ちゃんの古い知り合いなんだって……」
それぞれの車についての話題は尽きることなく、気がつくとちょっと休憩のつもりが日が暮れ初めていた。
三人は再び車に乗り込み、近所のファミレスで少し早い夕食を済ませて解散した。
自宅に帰った凛子は、朝方入った大浴場に比べればはるかに狭い自宅の風呂に浸かりながら、ふと思った。
「美佳がスピードを出すのも、真希がゆっくり走るのも、それぞれに意味があるんだなって、今回のドライブで感じた。それに、ドライブで運転と景色を楽しんで、温泉に入って美味しいご飯を食べられるなんて、最高。」
「もっと車のことを理解しよう。それに、ツーリングは飛ばし過ぎないでゆっくりと道のりを楽しもう。」
その言葉の裏には、しかし、凛子自身の心情が隠されていた。
ジェミニと自分の限界を探ることへの刺激と期待が、胸の奥底に静かに燃え上がっていた。
「でも、また美佳と一緒に走るときは、あの興奮とスピード感をもう一度感じてみたいな」凛子は心の中で囁いた。
その想いは湯気と共に天井に昇り、夜空に溶けていった。
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