真希(後編)
土曜日の朝、待ち合わせ場所に真希がプジョーで現れた。
「おっはよー。朝ごはん食べた?じゃあ早速いこっか〜」
国道36号を南下し苫小牧に入る手前で真希のプジョーが左折し、日高道に入っていく。
日高道は無料ではあるが高速道路と同じ規格で造られており、制限速度は100キロになっている。
日高道に入るや、真希のプジョーが加速する。
真希の言葉を借りると「カワイイ見た目」に反した元気な走りは、大学のキャンパス周辺で見たトコトコ走る可愛らしいイメージとはまた違うものがあった。
真希についていくため、凛子もジェミニのアクセルを踏みスピードを上げる。
旧式の純ガソリン車は、実家の父の運転するミニバンより荒々しいエンジン音を上げて疾走する。
そうしているうちに、日高門別の出口が近づき真希が左ウインカーを出したので、凛子もそれに続いて日高道を降りた。
出口を降りてしばらく一般道を走っていると、一軒の建物が見えてきた。
真希はその建物の敷地に入っていくので、凛子もそれに続いて敷地に入り、二人は車を停めた。
「ここが真希の実家?」
「ここは倉庫、元々はパチンコ屋にしてたんだけどね。人に貸してたから上は普通に生活できる家になってるよ。いまはガスと水道止めちゃってるけど」
倉庫の中には古びたバイクがずらりと並んでいた。
片隅には錆びたエンジンやホイール、タンクなどが山積みにされ、床にはバラバラにされたパーツが散乱していて、部品のかすかな油の匂いが漂っている。
倉庫の中央には大きな工具箱と作業台が置かれている。
作業台の上にはドライバーやレンチ、プライヤーなどの道具が散らばっていて、床にはタイヤレバーやオイル缶、廃材などが放置されていた。
倉庫の片隅にはモトコンポ以外にも真希が修理中の原付があった。
「すごいねここ、バイク屋みたい」
「うん、何台かはおとーさんのコレクション。でも、ちょっと荒れてるね」真希が笑いながら答える。
「(ちょっと?)」凛子は訝しんだ。
「モトコンポ降ろしちゃおっか」
真希から渡された前掛けと軍手を着けて、二人はプジョーからモトコンポを降ろした。
「わ、思ったよりは軽いんだねこれ。」
「そりゃそうよ、朝はあたし一人で積んだんだもの。あんまり重かったら誰も車に載せないしね。」
「たしかに、そりゃそーだ。」
真希は倉庫の中の整備ピットへモトコンポを転がしていく。
凛子はプジョーのリアハッチを閉めると真希の後を追った。
「それじゃやっていこうと思うんだけど、まあキャブが腐ってるだろうから、まずキャブ清掃かしらね。」
「キャブ?」
「ええっと、キャブレターって言って燃料を吸い上げて、燃焼室に噴霧するための装置。うちのプジョーや凛子のジェミニにももう使われていない古い方式なんだけど、構造が単純で安いから今でも芝刈り機とかには使われてるわね。」
「ふむ……ふむ?」
「ガソリンも有機物だから、長年放置されたエンジンは燃料系周りに劣化したガソリンの成分とかが詰まって、エンジンが吹けなくなっちゃうの。」
「ガソリンは……ああーっやっぱり腐ってる〜っ とりあえず、キャブをドボ漬けしておきますか〜」
「じゃあ私は真希がやってるあいだバイク綺麗にしておくよ」
「わあ!ありがとう♡ 凛子ちゃんってキレイ好きなのね♡ってわけで、まずは外装外していかないとね。その辺に10mmって書いてあるソケット転がってない?コンビレンチでもいいわ。」
「ソケット?コンビレンチ?」
「そっか、工具触ったことないのね。バイクとかクルマいじるならこういう工具はよく使うのよ。」
真希はキャビネットに転がっているコンビレンチを手に取り、凛子に説明しながら外装パネルを外していく。
「レンチは見たことあるかしら?これは開いた側と閉じた側があるよね。どちらも大きさは同じなんだけど、開いた口は早回しや横からしか差し込めないナットに使って、閉じた側はしっかり締めたり硬いボルトやナットを外すのに使うの。」
「ソケットは初めて見るかもね。こうやって先を付け替えると色々なサイズのボルトやナットに対応できるの。他にも、エクステンションっていってバーを付け足せば奥まった場所にも届くわね。」
「ソケットがくっつく側の工具も、これはラチェットって言って片方向だけ回るから作業しやすいの。こっちはスピンナーハンドルって言って角度は固定だけど、そのぶん力が入れやすいからレンチの閉じた側と同じように硬いボルトやナットを外すのに役に立つわね。」
「真希、すごいなあ。まだ私には区別が付かないかも……」
「そんなことないよ!笑 ジェミニもそのうちあちこち壊れるだろうから、工具は持っておいた方がいいよ〜」
真希は喋りながらキャブレターを手際よく取り外したが、中を開けてため息をついた。
「ああ……やっぱりキャブの中がギトギトになってら。見てみ?この茶色いやつ全部ガソリンが劣化した汚れ。」
「うわ、これ綺麗にすればいいの?」
「見えているところだけじゃなくて、この細い管の中とか全部これが詰まってるから、クリーナーに漬けて溶かさないとだめだよ。」
真希がキャブレターをクリーナーに漬けると、すぐに茶色い汚れが溶け出していく。
「キャブの漬け置きはまだ時間掛かるから、お昼食べいこう。うちの蕎麦ごちそうするよ!プジョー乗って。」
真希は凛子を助手席に乗せて倉庫から車を5分ほど走らせ、一軒の食堂に入った。
「はい、到着。ここが実家の母屋。」
「とーちゃ……おいー、戻ったよー」
「(今とーちゃんって言おうとしたな)」
「なんだあーおめえ、週末になったら戻ってきて、もう大学やめたのか?笑」
「んなわけねえしょ。友達連れてきたっけ、昼食べさせてやって。」
「おお〜そっかあ!うんうん、よくきたねえ。なんでも好きなもん出したげる、ゆっくりしてきなっ!」
「は、はいっ、ありがとうございます!ご馳走になります!」
凛子はメニューを開くとそば・うどん・ご飯もの、天ぷら単品……膨大なメニューに目移りする。
王道のかしわそばか、ボリューム満点のブタ肉そばか、かもそばも出汁が出ていて美味そうだ。
そう思い店内を見渡すと、「たこかき揚げそば」「たこめし」とたこ推しが目立つ。
なるほどここは北海道、海の幸もさぞ美味しいのだろう。であれば今日いただくのは「たこかき揚げそば」これで決まりだ。
「じゃあ、わたしはたこかき揚げそばをください。」
「あたしブタ蕎麦ね!あとアスパラかき揚げとタコ飯もおねがい!」
「ええっ、真希そんなに食べるの??」
「ひとりで食べるわけないじゃない〜、シェアして食べましょ!日高はアスパラも有名なんだから、美味しいわよ!」
凛子は店内を眺めたり、真希としばらく大学の講義トークなどをしていると、真希の父が丼を携えてやってきた。
「あいよっ、たこかきそばと、真希はブタ蕎麦な!タコ飯は二人分おまけしといたよ!アスパラちょっと待っててね〜。」
「ありがとうございます!いただきます!」
「ところでお嬢さん、お名前はなんていうの?」
「わたし、凛子と言います。」
「凛子ちゃんは内地の出身かい!家はどうしてる?真希と同じで下宿してるのかい?」
「お祖父ちゃんお祖母ちゃんが北広島にいて、そこでお世話になってるんです。」
「そうかい!じゃあ北海道は前に来たことあったんだね〜」
「あっいえ実は来たのは10年振りとかで」
「おお〜じゃあ随分久しぶりだねえ、セコマのホットシェフの限定ポテト食べた?あれうめえべや〜」
「ちょっ、とーちゃん邪魔ぁ!もうどっかいっててー」
「へっへっへっ、若え女の子とお話し楽しんでたのによ〜(笑)じゃ、ゆっくり食べてってな!」
「はーい(笑)」
「もう……ごめんね、高校もまともに出てないバカオヤジだからっ」
「ええーっ、でも何だかんだ仲良さそうで、あったかいお父さんじゃん!ていうか普段はとーちゃんって呼んでるんだね。」
「ちょ、やーめてー笑、田舎臭いしょ?そう思われたくなくて、服選んだり車も外車選んでみたりさ……」
昨日から真希にペースを振り回されっぱなしだった凛子は、ようやく真希の弱点を一つ見つけて内心ニヤついた。
「あいよー、アスパラかき揚げ揚げたて!」
真希の父が楽しそうに持ってきた声でハッと我に返る。
「凛子ちゃんそんじゃあさあ、オジサンとLINE交換しようよLINE……」
「さっさと厨房に戻れぇーっ!」
真希が顔を真っ赤にしておやじさんの背中を叩いた。
揚げたてのアスパラかき揚げに軽く塩をまぶしてかじる、サクサクとした食感にアスパラの甘みが広がる。
ああ……わたし、北海道でもうまくやっていけそうな気がする。
素朴でしかし力強い、競走馬を思わせる味わいに凛子は勇気づけられた気がした。
◇
「お蕎麦めっちゃおいしかった〜!ごちそうさま!」
「おそまつさま、バカオヤジすぐセクハラするから、ごめんね。」
「大丈夫だよ笑」
二人は倉庫に戻り、作業の続きに着手する。
「お昼食べてるあいだに汚れもだいぶ溶けたみたいね。腐ったガソリンは廃油缶に入れちゃって……ちょっと向かいのスタンドで新しいガソリン買ってくるね!」
真希がガソリンを買いに出たあいだ、凛子は興味から他のバイクを見て回った。ほとんどがくたびれた原付バイクだが、その中に何台か中型や大型のバイクが見える。真希が父のコレクションと言っていたものだろうか?
ひときわ一台のバイクが輝いて見える。ネイキッドタイプの黒一色のバイクで、タンクには「Kawasaki」と書かれている。
「それ、おとーさんの本命バイク。ゼファー400って言うんだって。」
「わっ、ごめん。戻ったんだ。」
「大丈夫。あたしは原付しか乗ったことないんだけど、やっぱ大きいバイクってメカの存在感もあって見惚れちゃうよね。」
「うん、全然わからないわたしが見ても手入れされてるのがわかるし、好きなんだなってわかるよ。真希はなんでバイク乗らないの?」
「だって、身長が……125なら乗れるバイクもあるけど、そこら辺いくなら原付で十分だしそれだったら車の方が荷物も運べるし!」
「ああそっか!気にしてること言ってごめん!」
「いいのいいの泣 まあ〜いじる方が好きだから。ガソリン買ってきたから、組み立て動くかテストしましょ!」
真希はクリーナーに漬けたキャブレターを取り出してバイクへ組み直し、燃料ホースを繋いでタンクへ新しいガソリンを500mlほど入れた。
「ほんとは他にもいろいろやった方がいいんだけど、まずエンジン掛からないとだから……ねっ」
真希がキックペダルを勢いよく蹴り飛ばすと、ベッベッベッベとエンジンがチープな呼吸を開始した。
「やった!とりあえずエンジン掛かったから、機械的な部分は大丈夫ってことね〜!仕入れがムダにならなくて良かったw」
「げほっ、げほっ、うう、臭いww」
室内で2stエンジンの排気を浴びた凛子は思わずむせる。
「ああごめんごめん笑 まだ他の部分も見ないとだから今日は一旦これでおしまい。めでたくエンジンも掛かったし、温泉いきましょ!」
顔に汚れを付けた二人は向かい合って笑いあった。
◇
あとで作業するからそのままでいいよ、と真希が言うので片付けもそこそこに前掛けと軍手を脱ぎ捨てて、二人は近所の公衆温泉に向かった。
大学に入って初めての友達と温泉に入る……凛子は少しドキドキしながら脱衣所に入った。真希は凛子より頭半分も身長が低く普段はオーバーサイズのパーカーをゆるく着ているので目立たないが、凛子より一回り立派な胸をぶら下げていることに、凛子は服を脱いだ時から気がついていた。
「こ、これが北海道の恵み……」
バカなことを考えて気恥ずかしくなり、タオルで顔を隠す。
「あーら。凛子って結構いい身体してんのね。運動とかしてた?」
「へえ!?う、うん。高校では陸上部だったんだ。大会とか全然上に行けるレベルじゃなかったけど。」
自分が相手を観察しているとき、相手もまた自分を観察しているのだ。
「だからバイク持ち上げるのもそんな苦じゃなさそうだったのね〜。じゃあこれからも、いろいろ手伝ってもらっちゃおっかな♪」
「ええーっ、またおそば食べさせてくれるならいいよ笑」
「んっ、そんなのでいいの?やったー!じゃあ決まりね!」
田舎町の公衆温泉ともなれば、人はまばらでそこらの有名温泉よりのびのびと湯船に浸かることができる。
「それにしてもいいお湯〜。茶色でまろやかでちょっと香りがしててコーヒーみたい。」
「北海道は温泉いっぱいあるわよ〜〜、一番有名なのは登別でしょ!ほかにも帯広周辺は十勝温泉って言ってここよりもっと真っ黒でアルカリ質の強い温泉があったり、とにかくどこ行っても温泉湧いてるから退屈しないわね!」
「真希は高校時代に原付には乗ってたんだよね?どの辺まで行ったことあるの?」
「ん〜原付じゃ山道が辛いから、さすがに旭川のおばあちゃん家くらいかなあ。長万部の人からバイク買い取って自走で帰ってきたこともある!あとは模試受けるのに千歳まで出たりとか?」
「距離感ヤバい人じゃん〜」
「あはあ〜、それ褒め言葉?ありがと〜。じゃあ今度はどこ行こっか?ゴールデンウィークの計画も立てなきゃねっ。モト直すのまだ掛かりそうだからあたしはこのあと実家泊まっていくよ、帰りひとりでごめんね?月曜日また大学で!」
「うん、大丈夫〜。帰りはのんびり走るよ笑」
大学生活初めての遠出でグルメと温泉を満喫し、凛子はぽかぽかとした気持ちで帰路に着いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます