真希(前編)
大学の講義が本格的に始まり1週間が経った。
教養課程の講義はほとんど同じ教室棟で完結するので、広々としたキャンパスといえどさほど移動に時間は取られない。凛子は午前中使った教材と午後に使う教材をトートバッグに詰め替えるため車に向かって歩いていた。
「高校の参考書も重かったけど、大学の教科書ってページ数多いから密度が高いなあ。これ、通いの人って全部鞄に入れてるの?重っ……」
学生の半分は大学から徒歩か自転車で通える場所に下宿住まいをし、残り半分の多くは夏はバイク、冬は公共交通機関を併用するなどしている。
バイクもスクーターやカブと言った実用的なものがほとんどで、時折ネイキッドタイプが並ぶといったところだ。
そのため、自動車で通学しているのは全体の1割に満たない程度である。
学内に駐車場は何箇所かあるが、学生はバイクの駐輪場に併設されている第三駐車場の決められたマスに停めることになっている。
自分が例外なだけで、わざわざ通学に自動車を使うなどお金持ちの高級車が多いに違いない……と思いきや、ジェミニと似た雰囲気の古そうな車が多く、やっぱり大学生はそんなお金無いよなあと凛子は安心した。
(脚注:とんでもない勘違い、周りはあえて古い車を選んでいる。)
「その車あなたの?」
助手席の荷物を整えていると後ろから声を掛けられ、振り返ると中学生のようにも見える小柄な少女がこちらを向いていた。その少女はオーバーサイズのパーカーを着たショートボブヘアで、離れ気味の垂れ目にはセルフレームの眼鏡が掛かっており、体格と服装の年齢が凛子にはちぐはぐに見えた。
「おじいちゃんの車を借りてるんです」
「そうなの?90年代初頭のいすゞ・ジェミニ、それもこの色はハンドリング・バイ・ロータスじゃない!見ればわかるわ。あなたのおじいさんいい趣味してるじゃない。」
「そ、そうかなあ〜エヘヘ。」
「もしかして車に興味ない系?車通学してる人なんてみんな車好きだと思ってたわ。あたしの名前は真希、あなたは?」
「わたしは凛子。じゃああなたも車通学なんだね、1年生?だよね?」
「そうよ!同じ1年生、よろしくね。家、市内だから普段は車使わなくてもいいんだけどね。今日は荷物多いから出してきたの、あの車よ。」
真希が指差す先には端正なスタイリングの黄色のハッチバック車が停まっていた。
「黄色って、あんまり見ない色だね。かわいい!」
「そっちの方がよっぽど見ない色よ笑」
「この車ってハンドル左に付いてるね!どこの車なの?」
「この車はプジョー・106、フランスの車よ!フランス車は初めて見た?別に日本車と変わんないわよ。右足でアクセルとブレーキ、左足でクラッチ、ハンドル右に切れば右に曲がるんだから。」
中を覗き込むとジェミニにも似た簡素なマニュアルエアコン、小型のオーディオ……
どうやらフランス人は快適装備にはあまり興味が無いようだ。
「あたし、こう見えて理系なの、工学部。」
「わあ。理系なんだ〜、わたしは教育学部。教師目指してるってわけじゃないんだけどね。」
「理由なんて後からついてくるわよ、ここで出会ったのも縁だし仲良くしましょ!今日の夕方は暇?うちに遊びに来ない?」
「え、ええっいきなり遊びにいっていいの?」
「なんも大丈夫よー!せっかくの大学生活、気後れなんてしてらんないわ!LINEかなにか連絡取れるSNSはやってる?……じゃあまた夕方、講義終わったら!」
まくし立てるように約束を取り付け、講義棟に走っていった真希の後ろ姿を見送り、凛子は祖父母のグループメッセージで友達の家に遊びに行くから夕飯はいらない旨の連絡を入れた。
◇
夕方の講義が終わり、真希から連絡が入り駐車場で合流した。
「車置くところあるの?」
「うん、部屋の前に車2台分のスペースあるから大丈夫よ。北海道じゃこれが普通……ではないけどやっぱり車社会だから置き場には困らないねー」
「じゃあ、うちに向かうからついてきて。途中ではぐれたらメッセージで送った住所まで来てね笑」
真希の家は白石区にあり低層アパートの一階であったが、女子大生の一人住まいには贅沢な1LDKは雑然とした様子ですでに生活感が滲み出ていた。
「……この部屋住んでまだ1ヶ月経ってないよね?」
「夕飯なに食べたいー?ピザ取るでいい?」
「聞いてないし!ドミノなら北海道限定のやつ!」
テレビの前にはローテーブルとソファが置かれており、くつろぐにはちょうどいい。
二人はピザが来るまでのあいだ動画サイトを見て過ごすことにした。
「ねえ!これを見てほしくって!」
パソコンに向かっていた真希が座っている回転チェアから跳ね立つと、そのチェアは凛子にとっても見覚えのあるものだった。
「これ、ジェミニのシート?」
「そうだよ〜、ジェミニに使われているのと同じ、レカロのシート♪ 車のシートをこういう風にオフィスチェアみたいにするキットがあって、レカロ安く手に入ったからやっちゃった〜」
「へええ、真希ちゃんって器用なんだね」
「?こんなの器用のうちに入らないわよー、売ってるもの説明書通りに組み立てるだけでしょ。」
「あと名前、呼び捨てでいいよ、ちゃんづけはこそばいからね。」
「こそばい?」
「っ、くすぐったいって意味!」
真希は方言が漏れたことを自覚して恥ずかしくなり、大きな声をあげた。
「真希ちゃ……はなんであのプジョー乗ろうと思ったの?」
真希はピザを頬張りながらまくしたてる。
「だってかわいいじゃない!きりっとした顔なのにころんとしてて、それにハッチバックは荷物がいっぱい乗るから便利!」
「ジェミニでも教科書とか買い物くらいは載るけど……荷物って?」
「いいわ!見せてあげる〜」
真希が玄関前に積み上げた荷物に被せているブルーシートをめくると、その中にひときわ大きな箱形の物体がある。薄汚れた赤い箱形の物体は2つ車輪がついており、どうやらバイクのようだ。
「これ、モトコンポっていって車に積めるサイズの原付バイクなのよ。昨日引き取ってきたんだけどね、週末は実家行って直そうかな〜って思ってるの。」
「直して乗るの?」
「ううん!フリマサイトで売って小遣い稼ぎするの!プジョーもバイク売った稼ぎで買ったのよ。」
「真希さん……いつからそのようなことを?」
「元々お父さんがそういうことやってたんだけどさ、高校上がって原付乗るようになってあたしも手伝うようになって。やり始めたら面白くって、そのうちあたしがメインで作業するようになったの。」
「器用って、器用のレベルがおかしい笑」
「いやいや、しょせん動けばいいのやっつけ整備しかしてないから、全然だよ〜。そしたら週末一緒に実家くる?ガラクタの山見せてあげるよw」
「いいの?行ってみたい!!真希の地元ってどんななんだろ」
「マジで田舎だよwじゃあここのセコマで待ち合わせにしよう。時間は10時でいい?」
二人はマップアプリを開いて待ち合わせ場所と時間を決め、ピザを食べ終えてしばらくくつろいだ後、この日は解散することにした。
(後編に続く)
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