とある記録部の話

西風理人

とある記録部の話

   とある記録部の話



      A


 私は某個人向け総合サービス業の記録部で働いている。

 知らない方は居ないと思うが、一応説明しておく。個人向け総合サービス業というのは、我が国では三十年ほど前からメジャーになった業種で、その名の通り一人から一家族、あるいは一団体向けに展開している総合サービスを行う業種である。業務内容は計算代行、グローバルサービス経由の買い物代行など多岐に渡る。

 知らない方も居ると思われるので説明すると、記録部では、利用者が来てから帰るまでの行動を時間ごとに記録するという仕事をしている。こんなことをして個人情報は大丈夫かと思われる方も居ると思われるので説明すると、そもそも個人向け総合サービス業というものは一利用者につき一局が担当するようになっているので大丈夫である(近年ではグローバルサービス経由の攻撃により個人情報が流出したケースもあるにはあるが・・・・・・)。

 記録部には部屋がいくつか割り当てられていて、そのうち一つの部屋で、私は一日の大半を過ごす。部屋には巻物のような形をした書類が一つ置いてあり、そこに利用者の記録をとっていく。

 巻物のような形をした書類に、最初は抵抗があった。もっとこう、ノートのようになっていて、それをいくつも使い潰していき、そしてそれを本棚に入れていくほうが、よほど感覚的でわかりやすい。だが、そうしないのは理由がある。多くのノートを貯めておくと、いつか失くすか、情報整理の手にかかる。一つの巻物に続けて書き込んでいくメリットが、確かにあるのだ。



      B


 僕は某個人向け総合サービス業の一時記録部で働いている。

 一時記録部は、グローバルサービスの台頭が著しい最近になって新しく出来た部署である。一時記録部では、また使うかもしれない情報を取っておくという仕事をしている。目的は業務の簡略化である。例えばもらった広告やチラシを取っておく。次にその広告をもらいそうになったとき、取っておいた広告を見せて、「すでにもらっています、いりません」と言えば、広告をもらわずにすむ。広告を一々もらうのは、一回なら大した手間ではないが、積み重なると時間と場所のロスである。

 一時記録部には部屋が数多く割り当てられていて、そのうち一つの部屋で、僕は一日の大半を過ごす。部屋は殺風景で、入り口に置かれた下駄箱とデスク以外には家具はない。その分床の面積を多めに取ってある。僕の仕事は、この部屋にないチラシを床の隅から順に並べていくことだ。

 チラシを床に並べていくのにはまだ抵抗がある。もっとこう、スクラップブックのようなものにチラシをまとめていくほうが、よほど綺麗に片付く。だが、そうしないのは理由がある。取っておいたチラシの重複の有無をスムーズに探し出す必要があるからである。チラシをスクラップブックなどに取っておくと、必要なときすぐに見つけられず、さらにはすぐに取り出せない。

 取っておいた記録物を探しに来るのは別の方の仕事だが、今日も部屋にチラシを並べる。



      A


 警備部に、新しい部門が配置された。掃除部門だ。記録部に取ってある紙束の貯めすぎで業務に支障が出る、とにかく掃除をさせろ、などと何かと理由をつけて記録部のフロアに入ってくる。

 私はいつもの調子で追い返した。この部屋には書類はただ一つしかない。この点では、やはり巻物一つで助かったといえる。

 今日は業務がもたついている。何かあったのか。



      B


 掃除部門とかいう奴ら、僕の部屋に突然上がりこんできて、部屋に並べてあるチラシを全部さらっていった。業務に支障が出るとかなんとか言って。業務に支障が出ないようにチラシを貯めていたのに、何を考えているんだ。奴らのせいで昨日まであったチラシをまた並べることになった。今日は残業だ。まったく。



      A


 私は違和感を感じてここ数週間の記録を読み返した。明らかにおかしい。掃除部門が来たときに限って業務時間が延びている。これで三回目だ。中央に進言したいが、中央が開いている業務時間中、私はこの部屋を離れるわけにはいかない。なんとももどかしい立場だ。

 ・・・・・・ん。掃除部門は、私達のように利用者と無関係に動くわけではない、のか。利用者が、動かしている・・・・・・?



      B


 あああ、まただ。また記録物を捨てられた。掃除部門の奴らめ。僕らがどれだけ大変なのか知らないくせに。

 奴らは「捨てる」という力をもっている。それに対して僕らの「記録する」という力はなんて弱いんだろう。どれだけ記録してもいつかは捨てられてしまう。ペンは剣より強しなんて、誰が考えたんだ。個人向け総合サービス業という文明的な場所で、破壊の力がこんなに強いなんて。

 もう、嫌になるな。



      A


 業務が終わり、記録の手を止める。部屋の外へ出ると、何かがふらふらとこちらへやってくる。見ると、一時記録部の者だった。声をかけても返事がない。廊下を歩き続けた彼は私にぶつかると、びくりと肩を震わせ、こちらを見上げた。疲れ切った顔をしていた。

 もしかすると、警備部の掃除部門に厄介な目に合わせられたのかもしれない。私は、話を聴くから付いて来いと言った。それでも彼は立ち止まっていたので、彼の手を引いて廊下を歩き出した。

 休憩室に着いて、全部聴き出した。掃除部門が一時記録部の記録物を毎回捨てていくということだった。信じられない話だ。記録物は神聖にして犯すべからざる物だ。私の部と彼の部にどれほどの差があるというのだろう。

 それにしても、彼は掃除部門に全ての非があると考えていたようだ。そうではない、掃除部門は利用者が動かしているのだ、と私が言うと、彼は顔を真っ青にした。

「それならこのまま泣き寝入りですか!?」

 利用者に干渉することなど出来ないから、という意味だった。干渉なら、出来る。私が記録を書き換えて、利用者に掃除部門の使用をやめるように言うことなら出来る。言おうとして、やめた。記録の力は破壊の力より強い、とだけ言った。



      B


 今日は利用者から本社の社長にクレームが行って、僕たちはこっぴどく怒られた。それでも今までより気分がいい。ようやくあの掃除部門が業務を停止することになったからである。

 業務が終了した後、先日お世話になった記録部の人をふと思い出して、記録部の部屋を訪ねた。出てきたのは、先日の人とは違う人だった。

「一時記録部の方ですか。何か御用でしょうか」

 そう言われて、先日の人の名前がわからないことに気が付いた。まごまごしていると、相手がぽんと手を打ち、

「先任が、あなた宛の記録を残していました」

一通の封筒を部屋から取ってきて、僕に手渡した。

「他に御用はありますか」

ありません、と言うと、新しい記録部の人は静かに部屋に戻っていった。

 僕は一時記録部に戻って、封筒の中身を読み始めた。



      A


一時記録部の方へ


 何から書けばいいだろうか。普段記録をとっているのに、こういう時になると困ってしまう。

 まずは結論からだろうか。君がこの手紙を読んでいる時、掃除部門は業務停止になっているだろう。そして、私は既にこの局にいないだろう。


 私の所属する記録部は利用者の行動を記録するのだが、もしも記録を先に書いてしまえばどうなるだろうか。実は先に書いた記録は当局内で実行されるのである。例えば、そう。掃除部門に記録部の掃除を依頼すると、今後掃除を依頼するならば、この局に侵入者が来るだろう、というような脅迫めいた通知が利用者に届くように書くのだ。掃除部門は利用者への信頼を失い、利用者は本社にクレームを出すだろう。

 そうだ。何を隠そう、掃除部門を業務停止に追いやったのは私だ。


 個人向け総合サービス業において、記録部による記録の改ざんは重罪だ。今までこの業種で記録の改ざんを行ったものは誰一人いない。良くて解雇、悪くて……なんだろうな。

 掃除部門の在り方に疑問を抱いていたのは、君だけではない。業務時間の延びは、皆が気が付けたはずだ。おそらくは、利用者本人でさえも。人は気がついても、なかなか行動に踏み切れないものだ。

 私も疲れ切った君に廊下で出会わなければ、ここまでの度胸は出せなかったと思う。きっかけをくれた君には本当に感謝している。面と向かって君にお礼を言えなかったことは、申し訳ない。


 君に幸運あれ。ペンは剣よりも強し。



      B


 ああ、僕はなんてことをしてしまったのだろう。僕のせいで記録部の先任の人を解雇にまで追いやってしまった。せめて一言言ってくれればよかったのに。いや、何か言われても僕に止められただろうか。

 僕はしばらくその場から動けないでいた。ドアに取り付けられたチラシ受けに紙が落ちる音で、我に返った。小さなメモ紙にどこかで見た筆跡で文字が書いてある。

「外で、待って、る?」

 僕は慌てて荷物を鞄に詰め、靴を履き替えてドアを開けた。

「痛っ」

「だからドアから離れて待つようにと言ったのです」

 そこには先程記録部で出会った後任の人と、……ここの警備員の制服を着ているから、警備員の人、だろうか。警備員の人はおでこを押さえていて、目元がわからない。

「あの」

 警備員の人はおでこを擦っていた手をどかした。言葉が出なかった。ここにいるはずのないあの人だった。

「ああ、みっともない所を見せてしまったな。私は記録部の先任だった者だ」

思考が空回りする。

「あんな手紙を書いたが、私はこの通り、なんとかなったよ」

「あなたからの質問がなかったのでお答えしませんでしたが、先任は現在当局の警備係として再雇用されています。シフトは夜から」

「まあ、安心してもらっていい。……そうだ、勇気をくれてありがとう」

 僕はその後どうしたのか、あまりよく覚えていない。年甲斐も無く涙を流したのか、何も伝えなかった二人に怒ったのか。確かなのは、記録部の先任の人が無事でほっとしたということだ。



      C


 私は記録部の後任である。先任とは長い付き合いで、黙っていてもそれなりに考えていることがわかる。しかし今回は怒り心頭に発した。

「再雇用の情報を私の記録にこっそり紛れさせて欲しいですって!? 自分の汚点くらい自分で全て拭って行ってください。私があなたの面倒を全て見られるわけがありません」

「いやあ、それが。罰則の所に『抹消』ってあった」

 私は先任の言葉をそのまま繰り返した。手渡された法律書の写しをつぶさに確認した。

「抹消がどこまでの物かは推測でしかないが、おそらく……」

「しっ」


 個人向け総合サービス業法

 ……

 第二千三十八条 第一項

 記録部による記録の改ざんは解雇以上の重罪とする。

 第二千三十八条 第二項

 記録部による記録の改ざんのうち、本社業務を著しく阻害する悪質なものは抹消の処分とする。


「……どうしても、やるのですね」

 勝算はある。改ざんを起こせば、同じ担当者の巻物内は根掘り葉掘り調べられる。それは裏を返せば、後任や他の担当者の巻物に抹消を覆すだけの改ざんを入れれば、一時しのぎが出来るということになる。いや、よほどのことがない限り、隠し通せる。当局の警備係として再雇用されるという、努力で何とかなるレベルの事項の書き換えなど、後から見れば改ざんか改ざんじゃないかなんてわからないのだから。

「ああ、そうだ。このままだと最悪彼がいなくなる。しかし、彼をかばって私が消えるのは、差し引きゼロになって意味がない。最低限の犠牲で打撃を与えたい」

「あなたがいつもこのくらい理性的だったらいいんですが」

「それだと停滞するだろう。誰かが動かないといけないんだ」

「捨て身の作戦に躊躇した人には言われたくありませんね」

 そうは言っても、人間味があって温かいものはいいものである。



 ちなみに私はその後、任期を全うした。先任も警備係の任期を全うした。一時記録部の方がどうなったかは、私にはわからない。たまに一緒に飲みに行くと言う先任から聞くのは、一時記録部の枠に収まらず、着実に昇進をしているとのことである。

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