第21話 わたしの御守り

 当たり前のようにわたしと恭司の不思議な生活は続いた。

 ママからは特に連絡が来なくなった。来るとしたらおかしな連絡で『今日は遅くなります』とか『お金は振り込んでおきました』とかまさに伝達的なものだけだった。

 わたしは今、ママを本当に不思議な人だと思っている。

 まるで知らない人みたいだ。


 だからと言ってサクラさんみたいにすぐ泣かれたりしたら困るだろうなぁと思う。

 アキはよく、来春からの一人暮らしを認めさせたよなぁと感心する。

 すごい。

 逃げようと思って逃げられる相手じゃない。

 それともサクラさんも子離れを受け入れて、アキのお父さんとの生活を大事にしようと気持ちを切り替えるのかもしれない。

 子離れ、親離れ。

 わたしたちはそういう時期なんだ。


 あれからアキから、毎日電話が来るようになった。恭司がいるから夜は電話できないし、わたしが丁度寂しさに脅かされる前、学校が終わった頃、電話は鳴る。

 そのやさしいコール音を三回分聴いて、電話に出る。

『なにしてたの?』

 アキは必ずそう訊く。たぶんそれはテンプレで、わたしは家事をしてたり、ゴロゴロしてたり、ブラブラしてたりした。

『今日はまだ寂しくない?』と言うアキの声の方が少し寂しそうで『大丈夫だよ』と余計な心配をかけないように答える。

 そう、よかった、と深呼吸するようにアキは答えた。

 学校であったことや、予備校での模試の成績、家族の話、そういう雑多なことは話さなかった。

 ただ、そう、よかった、というために電話をかけてきてるような気がした。

 だからわたしはできるだけアキが安心するように『大丈夫だよ』とやさしく、心を込めて言った。

 そうしてその短い電話が終わると、音もせずわたしたちの繋がりは切れた。

 その度にわたしの背中はゾクッとした。


 わたしの保護者代理は朝からしっかり髭を剃っていた。ツルツルとは言わないまでも、恭司の髭はほとんど剃り残しもなかった。

 清潔感が大事な職場だと思うし、休みの日でも念を入れてるところを見ると、あまり髭がすきじゃないのかもしれない。髪は長いのに。

 恭司はなにかあると顎をさすったけど、その時ザラザラとかジョリジョリしてそうな気配はなかった。

 アキでさえたまに「あ、髭······」と思って動揺することがあるのに。

 不思議な話だ。


 家事を終えてベッドで寝転んでいると航太からメッセージが来て『今、暇?』と訊かれる。

 暇かと言えばめちゃくちゃ暇で、すぐに既読が付けられる程、スマホと仲良くしてたところだった。

『暇ならどうする?』

『長野から帰ったんだけど、お土産あるからさ』

 航太のことを掘り起こして思い出す。そう言えばそんなことを言ってたっけ。

『別にすぐじゃなくていいよ。疲れてんじゃん?』

『今、駅にいるから。おいでよ』

 んー、と思う。暑いしめんどくさい。

『美味しいものが食べられるならいいよ』

 試しにそう打つと『わかった。駅ビルにいるから着いたら電話して』と返事が来た。

 これ以上、拒むのもまた面倒なので『わかった。支度してから行くよ』と送って、スマホを放って着替えることにする。

 さぁてなにを着るかな、と白のビッグTシャツに七分丈のデニムレギンスを選ぶ。涼しい。

 選んで⋯⋯ふと思う。

 航太はいつも『GU』とか言いながら、品の良い格好をしてる。

 自分の服装を上から見る。

 なんて失礼な。ママなら「もっとちゃんとしなさいよ」と言いそうだ。


 ベッドに腰を下ろす。バフっと埃が飛ぶ。

 あー、どうする?

 大人っぽい花柄のTシャツ、これで勘弁してくれない? うーん、と唸って薄手のTシャツにキャミワンピを着た。

『待ち』用じゃない、流行ってるような感じの。

 サマーSALEで買った、来年も流行るのかわからないやつ。


 うだるような熱い空気の中を泳ぐようにして、駅まで辿りつく。

 酸欠で倒れそう、と思って、本当に倒れることがあると思い出す。近くの自販機でとりあえず水を買う。息を吸うように飲み込む。

 首の後ろ側がちょっと涼しくなった気がして、かなりヤバかったことを知る。

 航太はすぐに一階まで下りてきて、じゃあ甘いものを食べに行こうと言った。

 ぐったりしていたわたしの頭に、例のヨーグルトシェイクが浮かんだ。次に満里奈の顔が、そして恭司、アキの顔が重なった。

 ······どう考えても食べ過ぎだった。今日はもう勘弁してほしかった。

「ごめん、フードコートじゃないとこでもいい?」

 先を歩いていた航太は今日はダンガリーのシャツにサンドベージュのハーフパンツだった。なんかこの前と違ってカジュアル。

 肩から布袋をかけて、白い四角い紙袋を提げていた。なんか、まさに旅行帰り、サマーバケーション。

 所詮、人はそんなものかもしれない。

 キャミワンピなんか意味がなかった。ナチュラルメイクも意味がない。

 まるで航太にアピールしてるみたいだ。

「え、奢りなんだから最初から高いとこに行くのかと思った」

「あ、そうなん?」

「たかられるんだろうなぁって」

 わたしは航太の背中をビンタした。航太の体が大袈裟に反り返って、航太が「怖いよ、お前」と笑った。


 ヨーグルトシェイクの代わりにわたしはバナナジュースを飲んだ。

 丸い、独特の容器に入っていてかわいらしかった。感動するくらい、それは本物のバナナジュースで、自分のチョイスを褒めた。

「美味しいの?」

「すごーく」

 テーブルの向こうで航太はなぜかニコニコしていた。シェイドの影で、陰影が薄い。

「じゃあもうひとつ頼むといいよ」と言いながら、テーブルの上の自分のアイスコーヒーを邪魔にならない位置にずらした。

 そしてどこかノスタルジックな真っ白い手提げの紙袋が置かれる。

 ズズッと、ストローが鳴る。

「これ、お土産。名物の蕎麦だよ。乾麺だから日持ちするよ」

「ありがとう」

 恭司もすきそうな気がする。

 なんだかんだ、和食派なのではと思っている。

「それからこれは、千遥に」

 小さな白い袋に、なにかが入っている。

 開けていいよ、と言われて取り出すと、赤い袋に入った御守りだった。


「善光寺って有名なお寺が長野にはあるんだよ」

「あ、聞いたことあるかも」

「それでさ、地元だからいつもは寄らないんだけど千遥のこと思い出してさ」

 む、と思う。

 なぜ思い出す?

「なんで?」

「千遥、危なっかしいから。僕には守矢さんみたいな大人の余裕も社会的信用も地位もないから、せめて御守りくらいなら」

「別にわたし、平気だよ」

「どの辺が?」

 ······心の中でどうしようか悩む。そういう悶々と悩む自分が恥ずかしい。

 本当のことなんだから、いつもなら一思いに言ってしまうのに。

「か、彼氏が、この間逢いに来てくれて」

 航太はわたしをじっと見た。

 続きを待っている圧を感じる。

「彼氏が?」

「うん、そう」

「遠恋?」

「そう」

「······ずっと逢ってなかったんだ?」

「まぁ、そういうこと······」

 航太は腕を組んで、背もたれに深く沈むように腰かけた。

「彼氏は千遥の御守りになってくれるの?」

「え?」

「じゃあなんで守矢さんのとこにいるんだよ」


 脳みそが停止して、考えることを拒否した。

 こういう時はリセットだ。

 リセットボタンを押して、再起動する。

 アキを思い出す。ほら、思い出して。

 声を、手のひらを、顔を、唇を――。

「遠くて逢えないから遠恋て言うんでしょう? つまり、アキはわたしの御守りみたいなものだけど、今は手元にないってことだと······思うんだけど」

 自信がなくなってくる。

 そう、よかった、とやわらかい声を思い出す。

 わたしが大丈夫だと聞いて、安堵するあの声を。

「······急に女の子みたいな顔するなよ」

「え?」

「いや、えーと、つまり再会して今は最高にハッピーなわけだ」

「言ってしまえば、まぁ、そんな感じ?」

 そんな話をすると、嫌でもあのキスを思い出して、わたしの中の女の子が頭をもたげる。

 アキのことで頭が爆発しそうで、ムズムズする。

 年下の従兄弟なのに、バカみたいに。


「どんなヤツなの?」

「えーと、航太ならいいかな。満里奈にも見られちゃったし」

 スマホのアルバムをスワイプしていって、アキの写真を探す。

 二人で自撮りした、にやけたわたしが写ってない、アキ単体の写真を。

「······これ、どこにいたの?」

「生まれた時からずっと一緒なの。わたしたち、ちょっと特別なんだよ」

 航太は全然わからない、という顔をした。

 それもそうだ、そんな簡単な説明で済むようなわたしたちじゃない。

 そんなに簡単なら、こんなに拗れてない。

「イケメンじゃん」

「まぁその、従兄弟なんだけどさ」


 航太は信じられない、という拒絶感いっぱいの顔をした。

 航太の中ではアキのような人種は存在しないのかもしれない。信じられない、という顔をしたまま、画像を見続け、目を上げるとわたしを見た。

「いとこ同士ってそんなに似るもの?」

 最近、そんな質問ばかりだなぁと辟易する。

 似てたらダメなのか?

 他人の空似ってやつもあるじゃん。

 ウェイトレスがお代わりのバナナジュースを持ってくる。

 ストローに手をかける。

 航太は飽きもせず、わたしの彼氏を見ている。

 ⋯⋯仕方ない、タネ明かしをするか。

「わたしと彼の母親が一卵性双生児なの」

 え、という航太の声に、わたしがジュースを啜る音が被った。


 

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